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M42ヴィントホーゼ (Windhose 42)

こんにちは、エーデルマンです。韓国の梨泰院での事故を見て、今から30年くらい前に同じような体験をしたことを思い出しました。確か大阪の天神祭の花火会場だったと思いますが、地下鉄出口から出て会場へ向かう集団と、あまりの混雑ぶりにあきらめて帰ろうとする集団(←自分はその中の一人)が逃げ場の無い路地で押し合いへし合いで身動きが取れなくなり、まさに報道されていたようなパニック状態に陥りました。幸い警察官の誘導で大惨事は免れましたが、あの時は苦しさよりも、腕も足も自由に動かせない状況に底なしの恐怖を感じました。今回の事故で亡くなられた方のご冥福を祈ります。

さて、本日のネタはM42 ヴィントホーゼ(Windhose 42)です。
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1942年に導入された野戦ズボンの上から履くオーバーパンツです。M42 ヴィントブルーゼ(Windbluse)と組み合わせで着用している写真が多いですが、セットで支給されたかどうかは不明です。(ヴィントブルーゼだけ支給されたことは、Soldbuchの支給リストで分かっています)

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イタリア戦線で捕虜になった山岳猟兵。3人ともヴィントホーゼを履いています。だぶだぶですが、下に履いているズボンとこのヴィントホーゼの間に空間を作ることで、保温性を高めています。

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こちらのヴィントホーゼはコットン・レーヨン生地です。ヴィントブルーゼと同じく、グリーンブラウンと雪(冬季)迷彩のリバーシブルになっています。
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数字がやたらと多いシュテンペル。86は股下、92は総丈、124はウエスト、104はヒップのサイズですが、RBNrの上の186と196が何を表すのか分かりません。(適用する身長の範囲という説あり)M43はミュンヒェン被服廠1943年納品、その後ろの/Hは陸軍(Heer)の意味でしょうか?

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ヴィントホーゼの裾口は紐で絞れます。靴を脱がずに履けるよう、裾の幅は広くなっています。
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裏側は雪迷彩色となっています。ヴィントブルーゼと同様、こちら側がゴム引きになっているタイプもあります。
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ベルトもリバーシブルになっています。野戦ズボンの調整ベルトと同じく生地に直接バックルの爪をぶっ刺すタイプです。
このズボンのベルトの生地は厚いので、バックルの爪が折れて無くなったズボンを多く見かけます。

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『The K98k Rifle』に掲載されている写真の一つで、狙撃スコープ付きKar.98Kを清掃する山岳狙撃兵は迷彩スモック(Tarnjacke)とヴィントホーゼを着用しています。左側の兵士がHBT生地の上下であることから、寒い時期ではなさそうです。

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そう言えば『最強の狙撃手』には、宣伝中隊が撮影したヴィントホーゼを履いたゼップ・アラーベルガーの写真が2枚掲載されていました。

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地面の上で長時間伏せる必要のある狙撃兵にとって、ヴィントホーゼを着用することは迷彩効果に加え、防水効果や汚れ防止、空気の層による断熱効果も有益であったかと思います。
なお、『最強の狙撃手』文中で迷彩アノラック (Tarnungs Jacke)についてはボロカスに描かれていましたが、雪迷彩スモック(ヴィントブルーゼ)については、"これは小さく丸めることができて携帯に便利だった。薄いコットン素材は濡れた状態でも動きを妨げず、重量も少なく、肌着のようにすぐ乾いてくれた。"と評価しています。この本には着用写真が2枚も掲載されているくらいなので、ヴィントホーゼも愛用していたのは間違いありません。(たぶん、知らんけど)
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ヴィントブルーゼと組み合わせ。今回紹介したヴィントホーゼは特別ビッグサイズですが、他のズボンもウエストサイズは大きめなので、上の方で掲載した写真の右端のドイツ兵の様にヴィントブルーゼをズボンにタックインすることも極めて通常でした。


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M17 スチールヘルメット (Stahlhelm 17)

こんにちは、エーデルマンです。ロシアがウクライナの東部と南部4州を強制的に併合し"自国"にしてしまいました。ロシア政府の公式発表では住民投票で賛成多数を得た為と言っていますが、兵士が住民を一軒一軒回って投票をさせている映像もニュースに流れており、インチキであることは間違いありません。

さて、本日はM17スチールヘルメット((Stahlhelm 17)を記事にしたいと思います。
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1914年6月のサラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦でドイツ帝国軍は革製のピッケルハオベより防護性能が優れたスチールヘルメットを導入します。
この時に導入されたヘルメットは、"石炭バケツ"という渾名の通り縦長の形状と、ツノのように飛び出たベンチレーションが特徴的です。
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ちなみにベンチレーションの突起部は、防弾シールドを引っ掛ける為にあるということを、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。

このドイツ帝国のスチールヘルメットには、M16、M17、M18の3種類が存在しています。

M16:ライナーバンドの材質が革製、スカート部分にチンストラップ金具留めリベットがあり
M17:ライナーバンドの材質がスチール製、スカート部分にチンストラップ金具留めのリベットあり
M18:ライナーバンドが材質がスチール製、チンストラップ金具留めのリベット無し

M16とM17の違いは内側を見ないと判断できませんが、M18とはリベットの有無で識別できます。

なお、非常にマニアックな視点となりますが、映画『西部戦線異状なし』では物語が進むにつれて主人公のヘルメットのタイプが変わっていきます。

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入隊~最初の戦闘シーンはピッケルハオベ。

Im Westen nichts Neues2
二度目の戦闘シーンではM16/17ヘルメットを着用。チンストラップ金具留めのリベットがスカート部に付いています。
ん?ヒムメルシュトースのヘルメットはベンチレーションの突起が無い?

Im Westen nichts Neues3
このシーンでのヘルメットはM18です。M16/17にあったリベットがありません。(〇印のところ)



第一次世界大戦で生産されたスチールヘルメットは750万個。戦後のヴァイマール共和国軍10万人に供給され、余剰となった分はフライコーア(ドイツ義勇軍)で使用されたり他国への輸出されます。

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1935年3月にナチスドイツは再軍備宣言し徴兵制を復活させると同年秋までに兵士の数は83万人まで急増、正式モデルのM35スチールヘルメット(1935年6月25日付採用)では足りない分を補う形で再利用されました。
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これらのヘルメットはコレクターの間では"トランジショナルモデル"(移行期モデル)と呼ばれており、フェルトグラオの塗装に国家鷲章/国家色のデカールが貼られています。
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こちらがそのトランジショナルモデルのスチールヘルメットとなります。国家鷲章のデカールが左側、国家章が右側に貼られています。
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このヘルメット、よく見るとM16/17やM18とは違って、チンストラップ金具留めのリベットが高い位置にあります。このタイプは"オーストリア型M17"と呼ばれており、オーストリア=ハンガリー帝国が採用したモデルとなります。

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オーストリア=ハンガリー帝国兵士の軍装。スチールヘルメットのリベットの位置に注意。

ここからは少し脱線して、ナチスドイツによるオーストリア併合(アンシュルース)について。

オーストリア=ハンガリー二重帝国は第一次世界大戦後に崩壊、ハンガリーやチェコスロバキア、ポーランドなどが独立、オーストリア共和国は経済的に単独では立ち行かなくなり、ヒトラーはナチスが台頭するドイツは併合(アンシュルース)を画策、政治的な駆け引きや、反対派の暗殺など紆余曲折の末、オーストリアをドイツの一州とする法案が1938年3月12日に成立、翌13日にはドイツ「エスターライヒ州」となります(その後、1938年10月14日に「オストマルク州」に改称)

一か月後の4月10日にはドイツとオーストリア両国でアンシュルースの是非を問う国民投票が行われ、97%の賛成を得ます。

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こちらはアンシュルースの投票用紙。賛成(Ja)を記入する〇は反対(Nein)より大きく中央にあり、最初から賛成を前提とした投票であったことが分かります。冒頭でウクライナ4州の住民投票のことを書きながらこの国民投票が思い浮かび、記事にしようと思った次第です。

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ただし、ロシアによるウクライナ4州併合とは違い、当時オーストリア国民の大多数はドイツとの統一を支持しており、進駐したナチスドイツ軍は各地で熱狂的な歓迎を受けます。上記写真で行軍する兵士はリュックサックから山岳部隊と思われますが、一次戦タイプのヘルメットを被っています。

ドイツの指導者兼首相のヒトラーは元々オーストリア人ということもあり、国民からすれば、同郷人がすごい出世して故郷に錦を飾ったような感情もあったのかも知れません。

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ヴィーンでナチスドイツの進駐軍を迎え入れるオーストリア共和国軍。国家章のデカールが貼られています。
オーストリア共和国軍は多くの山岳部隊を保有しており、ドイツ軍の山岳部隊は大幅に強化されることになりました。

話をスチールヘルメットに戻しましょう。
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M17とM35スチールヘルメットとの比較。M17の方がバイザーとスカート部が長くバイザーとの間のカーブも緩くなっています。一次戦タイプのヘルメットは砲弾の破片から頸部を守る点では優れていますが、反面音が聞き取りづらく、自分の声が反響するという欠点が指摘されていました。その為、M35ではスカート部を短くすることでこの問題を解決、軽量化にもなりました。

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黒白赤の三色(トリコロール)国家章は1933年に導入され、最初は左側にハンドペイントされます。その後、国家鷲章が制定されると右側側に移動します。国家章のデカールは1940年3月21日付け通達で廃止されますが、トランジショナルモデルでもシングルデカールのヘルメットは存在しるので、1940年以降も使用され続けたことが分かります。

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デカールのクローズアップ。DDヘルメットはフェイクが多く、購入前には十分なチェックが必要です。こちらこちらのサイトでホンモノのデカールの写真が掲載されており、比べて見る事が出来ます。ちなみにこちらの国家鷲章デカールはHuber Jordan & Koerner製で主にトランジショナルモデルに使われるタイプとのこと。

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ヘルメットの内側。トランジショナルモデルのヘルメットはM31ライナーに換装されているのが特徴です。
ライナーバンドはアルミニウム製、チンストラップ取り付け部が一重になっているので1938年以前の生産となります。

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チンストラップの取付金具は角型です。その後ろには換装前のチンストラップの金具が一部残っており、表側のリベットに繋がっています。
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オーストリア型M17は第一次世界大戦中に534,013個生産され、ドイツから購入したヘルメット416,000個と併せて100万個弱がオーストリア=ハンガリー帝国軍に納品されたことになります。戦後どれだけのヘルメットがアンシュルースでナチスドイツ軍に接収されたか不明ですが、第二次世界大戦でも消耗されたことを考えると、100年以上の時を経てもなお現存していることに感動を覚えます。

最後に『西部戦線異状なし』のリメイク版が2022年10月28日にNETFLIXで公開されるようなのでトレイラーを貼っておきます。


映像を見る限りピッケルハオベ着用のシーンは無く、全員がM16/17を被っています。
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このリメイク版はドイツ語で制作されるとのこと、非常に楽しみです。


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クラッシュキャップ(Knautschmütze)

こんにちは、エーデルマンです。9月も中旬となりましたが、まだまだ残暑が厳しいですね。今年の夏の猛暑ぶりは異常でしたが、地球温暖化でこれからもずっとこんな感じなのでしょうか?ところで現在、日本列島には「過去に類似がないほど危険な」台風14号が近づいて来ていますが、大きな被害が出ないことを祈ります。

さて、本日はドイツ軍将校の旧型野戦帽(Feldmütze Alter Art)または、"クラッシュキャップ" (Knautschmütze) を紹介します。(以後、このブログではクラッシュキャップの呼称を使用します)
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クラッシュキャップは制帽と似た形ですが、チンコードは無く、国家鷲章、柏葉リースともに帽章が布製なのが特徴です。(例外もあり)

クラッシュキャップの導入時期はヴァイマール時代の1934年3月24日となっており、極初期型は1919年型野戦帽と外観は同じ、違いは鍔が革製、パイピングが兵科色になっている点です。

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1919年型の野戦帽を着用したライヒスヴェーアの兵士。

話が少し脱線しますが、1934年11月に兵・下士官用に新たな野戦帽が導入されたことは以前こちらの記事で紹介しました。この野戦帽はコレクターの間ではM34略帽(Feldmütze 34)と呼ばれていますが、下記の資料では新型野戦帽(Feldmütze Neuer Art)と記載されており、当時は旧(Alter) と新(Neuer)のみの区別だったことが分かります。

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1935年発行のREIBERTより (STEINER氏所蔵)

この"新型"の野戦帽(M34略帽)の導入により1919年型の野戦帽が"旧型"となったのと同様、クラッシュキャップも1938年11月6Ⅿ日に将校用の略帽(M38略帽)が導入されたことで、以後は"Alter Art"と呼ばれることになります。
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もう一つの名前であるクラッシュキャップの由来ですが、クラッシュ=潰して(というより折り畳むが正しいですが)ポケットや雑嚢に入れて持ち運びできるソフトな帽子という意味、そして被った時に潰れたように見せる外観の面の両方があったと思います。
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クラッシュの型も所有者の好みが反映されており、こちらの帽子のようにトップの両端の凹ませて"山"の形にしたものや、トップを極端に後ろ反らしてザッテルフォルムを強調したもの、トップを左右どちらかに傾けたもの、サイトがビーグル犬の耳のように垂れ下がったもの、等々バラエティーに富んでいます。

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上下ともにクラッシュ具合が粋ですね。

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この帽子の頭頂部の心材はトップの両側が内側にカーブしており、どのように被っても山の形状を保っています。このようなクセは自然に出来るものでは無いので、意図して作ったと思われます。

Alter Alt-5Bs-1  
ここからは、このクラッシュキャップの細部を見て行きたいと思います。パイピングの兵科色はグリーンですが、3本とも色が違っており、軍属(Beamten)か山岳猟兵(Gebirgsjäger)か非常に判断が難しいです。
もちろん、山岳マニアとしては後者の方が嬉しいですが、軍属は人事やロジスティックスなど組織の運営には欠かせないプロフェッショナリスト集団、私は好きです。(軍属については制帽の記事でも触れています)
とはいえ、思わず心の声が・・・

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こちらはお馴染みの『The German Mountain Army Soldier of WWII』で紹介されているクラッシュキャップです。
パイピングの色がおんなじ感じ・・・これは、ワンチャンあり?

Alter Alt-17Rs

The German Mountain Army Soldier of WWII
Wade Krawczyk Bart Jansen
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余談ですが、最近この本に掲載されている実物コレクションが売りに出ているのをよく目にします。著者が亡くなった為との噂を耳にしますが、真偽は不明です。

Alter Alt-16Bs
トップの布はトリコット製、鉢巻はフェルト、鍔は革製でエナメル加工がされています。
トップが布以外にウールやドスキンも使用されています。鍔はバルカンファイバーや人工皮革(圧縮した紙製、独Preßstoff)も存在しています。

Alter Alt-14es
国家鷲章は1937年6月19日に採用されたダークグリーン地にアルミシルバーの糸で織られたタイプです。

Alter Alt-13Es
コカルデと柏葉リースはライトグレー地でこちらは1935年3月22日に採用された初期のタイプです。
なお、前述の通り導入時は金属製のコカルデのみ、その後、フェルト製のリースがそのコカルデを覆うように取り付けられます。
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内装は褐色のサテンのような光沢のある生地でスウェットバンドは革製です。セルロイド製のシールの跡があります。
なお、鍔がエンボス加工されたように見えますが、こちらはエナメルが経年変化で溶けたものです。

Alter Alt-11Ws
額があたる部分のスウェットバンドの裏側にはクッション材として薄いコルクの板が入っています。

前述の山岳猟兵大尉服との組み合わせ。将校用は守備範囲外ですが、引き寄せの法則でポチっとしてしまいました。将校用と言っても官給品のM36野戦服に将校用の徽章を付けた所謂"前線モデル"です。(こちらの将校服については後日アップします)
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クラッシュキャップは1942年4月に廃止されますが、既に所持している帽子の着用は容認されていた為、終戦まで着用され続けます。


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M20勤務服 (Dienstrock 20)

こんにちは、エーデルマンです。本日はライヒスヴェーア時代に兵士に支給されたM20勤務服(Dienstrock 20)をアップします。既にM28勤務服の記事で紹介済みですが、オーナーの@野うさぎ屋さんから許可を得て再掲させていただきたいと思います。

なお、ライヒスヴェーアの軍装について浅学ゆえに今回の記事を書くにあたってはこちらの本を参照にさせていただきました。当時の写真が大量に掲載されているのでとても分かりやすいです。

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最初に陸軍(ライヒスヘーア)兵士へは第一次大戦型の隠しボタンのブルーゼが支給されますが、帝政時代のイメージを払拭する為にM20勤務服の原型ともいえるM19勤務服が1919年5月に制定されます。

M19勤務服は4つポケットに粒状の模様が付いたボタンが採用され、帝政時代には近衛兵と一部のエリート部隊のみ着用が許されたドッペルリッツェン(Duppellitzen)が全兵科共通の襟章となりました。また肩章は紐状で、将軍はゴールド、士官はシルバー、兵・下士官はフェルトグラオとなっていました。

そして翌年の1920年2月22日と12月22日の2回にわたる通達で陸軍の制服として正式に採用されたのが、M20勤務服となります。
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伝統の8つボタン。腰ポケットは切り込み型になっています。ナチス政権前の制服の為、鷲(アドラー)の胸章はありません。

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M20勤務服を着用する野うさぎ屋さん。Vショーの会場でこの姿をお見掛けして思わずレプリカ?と思ってしまったほど、非常に良い保存状態です。というのもヴァイマール時代の勤務服はそもそも数が少なく、ほとんどは礼服や野戦服に改造されて残っていません。(なお、記章は精巧なレプリカとのこと)

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リッツェンの色は白なの歩兵科です。兵科を色で識別するヴァッフェンファルベ(Waffenfarbe)は1919年に制定され、1920年12月22日の通達でヴェアマハトとほとんど同じ形式に改められます。
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襟はダブルホックで立て襟になっています。襟の色はモスグリーンでこちらも1919年5月に制定されました。

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背後からの写真。センターベントになっており、ベルトフックはボタンタイプです。

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内装は総裏地です。M33以降の野戦服が必要な部分だけに貼られているのに比べて非常に贅沢な造りになっています。

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内ポケットは左右二つあり、右側は包帯用、右側は水筒でも入りそうな容量です。

シュテンペルの拡大
  98 胸囲   44 首から袖までの長さ
   42 首回り
  88  胴回り  62 袖丈
   H.B.A.H (Heeres-Bekleidungs-Amt. Hannover
   =ハノーファー被服廠)
   1924  1924年(上記被服廠に納品された年)

    17. J.R  第17歩兵連隊

  1926   1926年(下記部隊に支給された年?)
   IB  第1大隊
   4K  第4中隊
      99 工場番号?

知る人ぞ知る第17歩兵連隊で、しかも第4中隊のシュテンペル!!思わず腰が抜けそうになりました。

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被っておられた制帽には、ブラウンシュヴァイクの髑髏が輝いていたのは言うまでもありません。いやー非常に貴重なものを拝見させていただきました。改めて御礼を申し上げます。


なお、野うさぎ屋さんご自身がYoutubeでM20勤務服について解説しているのでリンクを貼らせていただきます。

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MG34収納木箱とアクセサリー一式

 こんにちは、エーデルマンです。いやーコロナ新規感染者数が過去最多の23万人ということで、自主的に行動制限中です。(本当は暑くて外に出たくないだけですが)PCR検査を受けたくてもどこも予約で一杯なので、症状も軽いしいいやという人も多いと思うので、実際の感染者数は100万人でもおかしくないと思います。約10人に1人が感染者かも?なんて考えると、ますます外に出にくいなぁ。

さて、本日のアイテムは一年前に記事にしたMG34のポルトガル仕向けの収納木箱とアクセサリー一式です。

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こちらは以前アップしたMG34と一緒に写真を撮影していましたが、なかなかアップする機会がありませんでした。なお、今回の記事も「WWⅡ ドイツ軍小火器の小図鑑」様のサイトを参考にさせていただいております。

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収納木箱です。横幅120cm 高さ27cmの木製でダークグリーンで塗装されています。

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木箱には「METRA 7.9M/M M/944」のステンシル塗装があります。METRAはポルトガル語で「METRALHADORA =機関銃」の略、7.9M/Mはマオザー弾の口径、M/944はMG34のポルトガル軍の正式名称です。

JUWEL26.jpgMG34(M/944)は1943年に600挺、1944年に400挺、合計1000挺がポルトガルに輸出されました。
1943年後半といえば急激に戦局が悪化している時、機関銃の主役をMG42に譲ったとは言え、まだまだ現役の MG 34 をドイツがポルトガルに売却することに同意したということは非常に興味深いですね。
外貨獲得が目的、或いは何等かの政治的な取引があったのでしょうか?


この木箱、ドイツからポルトガルまでの長距離間を運搬する為に特別にドイツもしくはチェコスロバキアで作ったのか、もしくはポルトガル軍がアクセサリーと一式で管理する為に作ったのか、当時の記録が残っておらず不明です。個人的には輸送コストの合理性を考えると後者では無いかと思っています。
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中身は仕切りがされており、MG34本体とアクセサリーがコンパクトに収納されています。
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<収納アクセサリー>

・予備銃身ケース
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4本セットで本来は銃と同じシリアルナンバーがステンシル塗装されています。(予備銃身は入っていません)

・M34ガンナーズツールポーチ
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こちらはドイツ軍で使用されたものと全く同じです。
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タグにはポルトガル語が印刷されています。「FAZ PARTE DO COMPLETO DA  MET. 7,9 M/944 No. 5053」(これはシリアルNo. 5053 M/944 7.9mm機関銃のセットの備品)でしょうか?

・メンテナンスノート
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こちらのメンテナンスノートです。銃に個別のノートが付属しており、すべての射撃や銃身交換、修理、検査の履歴を記録するようになっています。なお、表紙のM/940は誤植や別の銃のノートを使ったのではなく、MG34のポルトガル名です。1940年にMG34が採用されたことから、当初この名称が付けられましたが、後にM/944に変更されました。
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こちらのページには射撃した日付と弾数、射手によるコメントが記載されています。

・機関部カバー
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こちらは砂やゴミが機関部へ侵入するのを防ぐ布製のカバーです。ほとんど使用された形跡がありません。

・スリング
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これらのアクセサリーは生産地もバラバラ、本土への空襲激化により輸送が不安定なドイツ国内一旦集積して箱詰めするよりも、個別に送付してポルトガルで組み合わせる方が理に適っているのではと考えます。

最後に前回MG34同様、収納箱の写真の掲載に対して快く承諾いただけたOさんに対して厚く御礼申し上げます。


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M42 オーバーコート (Übermantel 42)

 こんにちは、エーデルマンです。ちょうど10日前に安倍元総理が銃撃され死亡するという凄惨な事件が起こりました。歴史上政治家の暗殺事件は数え切れないほど発生していますが、自分が生きている間に平和な日本で起こるとは。。。暴力で問題を解決しようとする行為は決して許されることではありませんが、追い詰められた者にとってはそれしか手段が無いのも真実。何ともやり切れない気持ちになりました。

重々しい書き出しとなってしまいましたが、気分を変えて行きましょう。本日はM42オーバーコート(Übermantel 42)についてアップしたいと思います。

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M42オーバーコートは40年型の改良タイプとして1942年3月に導入されました。変更点は以下の2点です。

①襟の面積を拡大。
M42 overcoat2-1

②プリーツを背中まで延長。

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以上の変更により防寒性や運動性は高まりましたが、基本的な構造はM40オーバーコートと大して違いは無く、冬季の東部戦線では不十分だったと思います。

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内装です。前回紹介した歩哨コートは裾まで厚い裏生地で覆われていましたが、こちらはM36、M40オーバーコート同様、上半身のみです。

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レーヨンの生地らしく、非常に光沢が美しいです。汗染みが全く無いのでほぼ未使用だと思われます。

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サイズと被服廠のシュテンペル。
真ん中の数字はは胸囲、下二つは首回りと袖丈だと思いますが、上二つの数字172と176は何を示すのか分かりません。この服の着丈は125cmなので明らかに大きすぎます。コートに適合する身長でしょうか?一番下の45は製造年と思いますが、こちらも確証はありません。
M42 overcoat7
襟を立てることで防寒性が高まります。

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ベルトでウエストを絞ることが出来ますが、調整点はボタン1個分のみなので、それほど役に立ったイメージがありません。ただ無駄なモノは早々に廃止されているはずなので、何らかの意味はあったはずです。

M42 overcoat10
ベルトの根本にはもう一つストラップがありました。こちらもウエストを絞る為にあるようです。

陸軍においてはウール製オーバーコートはM36、M40、このM42で終戦までモデルチェンジされる事無く支給されました。
この他にも極寒用の毛皮のコートやオートバイ兵用のモーターサイクルコート等々、機会があれば紹介していきたいですが、とにかくコートは“保管場所を取る”のが難点なので狭い我が家では“ところてん式”で行くしかありません。


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MP43 (Maschinenpistole 43)

こんにちは、エーデルマンです。ロシア軍がウクライナに侵攻してから100日と1週間が経ちました。圧倒的戦力差でロシア軍が首都キーウ(キエフ)を2週間ほどで陥落すると悲観的な見方をしていましたが、ウクライナ軍の徹底抗戦でロシア軍は同地一帯から完全撤退、第二の都市ハルキウ(ハリコフ)も包囲せんとするロシア軍を国境まで押し戻すという展開。戦線は東部ドンバス地域に移り、NATOからの兵器供与や米国からのレンドリースで増強したウクライナ軍とロシア軍の激しい戦闘がまさに今行われています。

なお、キーウ、ハルキウ、ドンバス地帯は第二次大戦中1941年から1943年にかけてドイツ軍とソ連軍が攻防戦を繰り返した場所で、このブログでもこちらの記事で攻防戦の一つ「第三次ハリコフ攻防戦」について少しだけ触れています。
1943年8月に「城塞(ツィタデレ)作戦」でドイツ軍は敗北を喫しましたが、その後マンシュタイン元帥の天才的な退却作戦によりドニエプル川まで撤退、天然の要害に防衛線を築き、ソ連軍の怒涛の攻撃を必死で食い止めます。しかしマンシュタインの解任後1944年3月、ついに防衛線は崩壊します。(すみません、この話にオチはありません)

ということで、本日は80年近く前にウクライナで使われた(かもしれない)MP43(Maschinenpistole 43)突撃銃について取り上げたいと思います。
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こちらは無可動実銃となります。なお、この記事を書くにあたっては相互リンクを貼らせていただいている「WWⅡ ドイツ軍小火器の小図鑑」様のサイトを参考にさせていただきました。

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この角度で見ると、如何にも"突撃銃"という感じがします。80年近く前に開発・生産された小銃とは信じられないほど、モダンなフォルムです。

MP43/MP44/StG44 仕様

種別             自動小銃
口径 7.92mm 
銃身長        419mm 
使用弾薬 7.92×33mm クルツ弾
装弾数         30発
作動方式    ガス・ピストン方式
全長             940mm
重量             5,220g/6,100g(マガジンフル装填時)
発射速度    500-600発/分 
銃口初速      685m/秒 
有効射程   300m

MP43_3-5.jpg
MP43_1-1.jpg
MP43は1943年12月に導入され後にMP44、Stg44 (StrumGewher44)と名称のみ変更されます。

MP44_1-2.jpgMP44_2-5.jpg
こちらは以前アップしたMP44です。この2挺、製造時期が近かったのか、刻印以外は同じ外観です。

MP43/44/Stg44はアサルトライフルの始祖と呼ばれており、世界的にベストセラーとなったAK47の開発にも影響を与えたと言われています。

ak47MOVIE.jpg
敗戦国のモノに影響を受けたと言えないお国柄か、こちらの映画には全く出てきませんでした。あ、でも映画自体はとても面白かったです。

MP43_8-2.jpg
「MP43」の刻印とシリアルNo、1944年製造を示す「/44」の刻印があります。

MP43_10-4-1.jpg
エジェクションポート。ダストカバーはボルトの移動で開く仕組みです。

MP43_13-1.jpg
リアサイトはVノッチで1=100~8=800mの目盛りが入っています。小銃による近接戦闘のほとんどは400m以内という経験則からクルツ弾が開発され、その射程に合わせて設定されています。
MP43_12-2.jpg
ハンドガードはスチール製です。たぶん60発くらい連続射撃すると素手で持てないほど熱くなったと思います。(すみません、適当に言っています)

MP43_11-1.jpg

マガジンか矢印あたりを持って射撃している写真が多く残っています。

MP43_14-2.jpg

バットストックは単材でウォールナットのような質感ですが材質は不明です。

MP43_16-1.jpg


こちらはMP44のバットストックでラミネート加工材です。
初期のバットストックはこれより一回り大きいサイズでしたが、MP43が前線部隊に大量に供給され始めると、車両内の小銃架に収まらないという問題が発生した為、Kar.98Kと同サイズに小型化されました。
MP43_15.jpg
クリーニングキットを収納するコンパートメントがあります。ここに入るアイテムに関しては説明を省きますが、どれも非常に希少で特にマニュアルは状態の良いものだと10万円に近い取引価格です。
ちなみにマガジンポーチは更にレアで片方だけで数十万円、左右マッチングペアだと100万超え。。。本物と見分けのつかないフェイクも流通しており、よほど信用できる相手からでないと怖くて買えないシロモノです。

MP43_20-1.jpg
マガジンはクルツ弾が30発入る所謂バナナ型です。
MP43_22-2.jpg
こちらはMP43/44/Stg44共通のマガジン。どちらにもMP44の刻印がありますが、上はブルーイング、下はパーカライジング仕上げとなっています。

MP43_22-1.jpg
どちらのマガジンにもWaAと三文字のメーカーコードの刻印があり、戦時中に製造されたもののようです。
MP43_25.jpg
装弾数は前述の通り30発、ダブルカラムです。



MP43_21.jpg
ドイツ軍の突撃銃は第三帝国の崩壊まで生産が続けられ、合算で約425,000挺が生産されたとしていますが、連合軍の戦略爆撃による輸送路の破壊により前線に届いたのは1/3。また仕掛状態や部品の状態のものも相当数あったと思います。



MP43_17.jpg
完成品を含め、それら仕掛品は工作機械と共に連合国に摂取された他、東ドイツで国家人民具および人民警察で一時的に使われました。現在でも中東やアフリカの紛争地帯で使用され続けています。

zzslfmp44.jpg
ソマリアでMP44を担いだ少女。Kar.98Kも写っています。

MP43_18.jpg
シリアには5,000挺存在しているようですが使える弾薬が無い為、現地で叩き売られているとか。。。


こちらはパキスタンの有名な武器市場ダッラの動画。試し撃ちも出来るようで、怖いもの見たさで一度行ってみたいかも。


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エーデルマン

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脳内の99%をドイツ軍が占めている、そんなアラフィフ親父です。
注)当時のドイツ軍の装備・生活用品に興味がありますが、特定の団体・思想を支持するものではありません。

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