FF33野戦電話(Feld Fernsprecher 33)

こんにちは、エーデルマンです。今回はFF33野戦電話(Feldfernsprecher 33)を取り上げたいと思います。野戦電話は工兵限定のアイテムではありませんが、電話線の敷設作業は工兵部隊が行っていたということで、工兵のカテゴリーに入れたいと思います。
歩兵連隊所属の通信小隊(Nachrichtenzug)が行っていたようです。
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FF33野戦電話は1933年に採用、1934年に部隊配備されます。24社で製造され終戦後もドイツ連邦軍の他スイス、ノルウェーなどで1970年代まで使用され続けます。

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【ケース外部】

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電話は横28cm x 高さ21cm x 奥行10cmのベークライトのケースに収納されており、重さは約5kgです。
正面には開閉ラッチ、その下には通信機や副電話機に接続するためのソケットとカバー、呼び出しベルのスリットがあります。

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防塵カバーを開くとソケットが露出します。

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無線機に接続することができます。


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裏にもベルのスリットがあり、蓋と本体を接続するヒンジが全体に取り付けられています。
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蓋の上部には、電話機固有の番号やコールサインが書き込める空白のパネル、フォネティックコード(おなじみ"アルファ"、"ブラボー"、"チャーリー"のドイツ軍版)の表があります。

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空白のパネルには簡単に消せるよう鉛筆で記入します。ドイツ軍のフォネティックコードはドイツ語圏の典型的な名前。ちなみに独ドラマ『ジェネレーション・ウォー』の登場人物の名前、Whilhelm、Fiedrich、Victor、Charlotteはフォネティックコードから取ったものと思われます。

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キャリングストラップ用のノッチが両サイドに、右側にはクランクポートがあります。

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最初クランクポートがねじ式になっているのを知らず、いくらハンドルを引っ張っても抜けないので焦りました。
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映画でもおなじみの「グルグルグル」ですね。発電機(ダイナモ)で電気を発生、接続先の野戦電話のベルを鳴らします。ちなみに1秒間に3回まわすと70-100V発生させることができるようです。

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発電機のイラスト。野戦電話が非常に重いのはこの発電機が原因です。

【ケース内部】

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開閉ラッチを解除して蓋を開けるとハンドセットが鎮座しています。
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上蓋の裏側には回路パネルとハンドセットを固定する板バネがあります。

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上蓋の裏側には回路図のプレートがあります。左側は1.5Vバッテリーからハンドセットまでの回路図、右側は発電機から呼び出しベルの回路図になっています。

【ハンドセット】
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ハンドセットはケースと同じくベークライト製。コードの長さは118cmです。

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握りの部分がスイッチ(PTTボタン)になっていて、バッテリー温存の為、押している間だけ通電しこちらの声が相手に届くようになっています。
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本体に接続するプラグでこちら側には回路図の刻印されています。
1番と5番ピンはハンドセットへ、2番と4番ピンは電話へ接続。

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反対側には製造年号の刻印。コネクター上部にあるのは引っ張る為のリングです。

【内部詳細】 
 
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トップパネル左がバッテリーボックス、中央が接続コネクタープレート、クランクハンドル、右がハンドセット受けです。左の淵はゴム張りされたスリットがあり、配線接続したままでもケーブルを圧迫せずに蓋を閉められるようになっています。

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屋外では、雨や砂などが入らないよう蓋を閉めて使用することとされていました。

【バッテリーボックス】

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バッテリーボックスはスチール製の蓋を開け、1.5Vの角型バッテリーが収納できるようになっています。蓋の裏側にはバッテリーの+-の電極を接続する端子があります。

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標準的な野戦電話用バッテリー。(写真はお借りしています)

【コネクター部】

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上からハンドセットのソケット、その下には電話/アース線を接続するスクリュー式の端子があります。"La"(Leitung a)通信線用、"Lb/E"(Leitung b/  Erde)はアース用です。右には呼び出しベルのテストボタン "Prüftaste"、ヘッドセットのソケットが配置されています。発電機用のクランクハンドルは取り外すことができます。

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ハンドセットの送話部の部分が窪みになっています。その下にはシリアルナンバーと製造年の刻印があります。

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野戦電話の外ケースを取り除くと内部はこのような構造になっているようです。(写真はお借りしています)

 
【使用手順】

1. 電話を安定した場所に設置
2. 開閉ラッチを解除して蓋を開ける
3. ハンドセットを外す。その時コードはケースの淵のゴム張りのスリットにかかるようにする
4. クランクハンドルを外して右面のクランクポートに接続する
5. 上部のスクリュー式端子(La、Lb/E)を緩める
6. アース線をLb/E端子に接続
7. 電話線をLa端子に接続
8. ハンドセットコードと電話/アース線がゴム張りのスリット上に乗っていることを確認
9. 蓋を閉める
10. ハンドセットを耳にあて、スイッチ(PTTボタン)を押しノイズが増幅されるのを確認
11. クランクハンドルを回し相手側のベルを鳴らし、返答を待つ

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当時、野戦電話は精密な電子機器という扱いで直接地面には置かず、ツェルトバーンや毛布の上に置くことが望ましかったようでです。

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こちらの写真には、地中にアース棒を刺してアースを取る様子が写っています。

【ケーブルスプール】

最後にケーブルスプール(Abspuler)をアップします。
  

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こちらは電話線を敷設したり巻き取る場合に使用するスプールです。

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ビーレフェルトのNIRONA製造所1937年製です。 他にもアムト"WaA433"が刻印されています。

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通話距離は電線の種類によって違いますが、最短で3km、架空かつ特殊なケーブルを使えば120kmまで延長することが可能でした。
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現在市販されている電池やケーブルを使って機能を再現することが可能なようです。いつか実現してみたいですね。


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大型ワイヤーカッター(Große Drahtschere)

ご無沙汰しております。世の中は悪質タックル問題が取り沙汰されていますね。実は私も大学時代にアメフトに近い接触の激しいスポーツをやっていまして、「潰してこい」という指示は、やはり「ケガさせるくらいハードにいけ」という意味でした。ただし「潰しにいく」のはあくまでプレイ中のことであって、プレイ後にあんな行為をしたら即刻退場でしたし、チームの名誉を汚したということで試合後にコーチや上級生からボコられるのは必然でした。(それはそれで問題ですが・・・)
監督やコーチが会見でそんなつもりで言っていないとか、反則の瞬間を見てなかったなど説明していましたが、一回目の反則の後も出場させ続けたのは、故意にケガさせるつもりであったことを認めたも同然だと思います。

旬のネタで前置きが長くなってしまいましたが、本日は以前から「やるやる」と言っていた工兵のアイテムをアップしたいと思います。

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こちらは本日のネタ、工兵が鉄条網の切断に使用した大型のワイヤカッター(Große Drahtschere)です。

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陣地の前面に構築され敵歩兵の侵入を防ぐ鉄条網は、日露戦争や第一次大戦で大々的に使用され「戦車・機関銃」と共に世界三大発明と言われています。陣地攻撃をする際、まずは工兵が先頭に立ちワイヤーカッターや爆薬を使って鉄条網の破壊作業を行います。

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トーチカを攻撃する戦闘工兵部隊。

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ワイヤーカッターと工兵。

ワイヤーカッターについての記述は少ないですが、こちらが参考となります。

“グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944

グロースドイッチュランドの各歩兵中隊には火焔放射器が2個ずつ装備されていた。これは同師団の特権であった。ソ連軍は市外戦の名人で、特に戦争前半の後退戦では、本隊が撤退してからかなり経っても狙撃兵や工兵のチームが残っているなど、非常に巧みなところを見せている。村落や市街地を区画ごとに手早く効率的に掃討するには、歩兵工兵中隊から送り込まれる特殊技術兵の分遣隊(火焔放射器や爆薬、ワイヤーカッター、自動火器などを豊富に備えていた)が最も適任だった。

-グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944より-



それでは、ワイヤーカッターの詳細を見ていきましょう。

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ワイヤーカッターの寸法は横63cm、縦14.5cmでマニュアルと同じでした。

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ハンドルを開き、梃子の原理でワイヤー(有刺鉄線)を押し切ります。
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カッターの先端にはガイド部があり、ワイヤーを確実に刃に到達させるような構造になっています。なお本来はカッターの刃はピッタリと閉じているはずですが、何故かこのカッターは隙間があります。

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刻印があり、WaAマーク、メーカー名は不明ですが"Solingen"と"1937"、陸軍の所有物を意味する”H"の文字が読み取れます。

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ハンドル部分はベークライト製で、上部にはリング状のストッパー当てが別パーツで付いています。

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ハンドルの端は小豆色のベークライト製で、色はワルサーP38のグリップに似ています。

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このワイヤーカッターは、車載用として有名ですが、携帯する為の収納ケースも用意されています。
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収納ケースの本体はウェブ製。全長は68cmでワイヤーカッターがすっぽりと収まるサイズです。背面にはベルトループがあり、ウエストベルトに装着できます。

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蓋側の穴にスナップで留める簡単な仕様です。

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ワイヤーカッターの先端が当たる部分は本革で補強されており刻印があります。

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WILH. BRAND
HEIDERBERG
  1937
 WaA 204
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工兵関連のアイテムは工具系はノコギリや斧、スコップ、装備系は背嚢やサイドポーチがありますが、いずれも人気があってあまり市場には出てきません。また収納ケースは特にレアで見つけても本体よりも高い(場合によっては数倍)とコレクター泣かせのアイテムです。

ケースが揃うのを待っていたらいつまでたっても更新できないので、本体を見つけたらとにかくゲット、収納ケースは後付けという形で紹介していきたいと思います。

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クールラント従軍カフタイトル (KURLAND Ärmelband)

 GWも後半戦、皆様いかがお過ごしでしょうか? GW中ゲームばかりしているのも不健康なので、どこか近隣の低山にでも登ろうと画策していましたが、天気も不安定ですし、どこに行っても人ごみなので断念しました。
山登りほどでは無いですが、このような趣味のブログの更新も写真撮影やら調べものやらで意外とパワーを消費します。特に戦史が絡むと自分の知識不足を補う必要がある為、通常の3倍くらい時間がかかってしまいます。

ということでGWの時間を利用して以前から記事にしたかったクールラント従軍カフタイトル(KURLAND Ärmelband)について書きたいと思います。

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まずはカフタイトルのロゴになっているクールラントという場所やそこで行われた戦闘について、Wikipediaを引用しながら確認していきます。

クールラントというのはラトビア西部地方の名前で、現在はラトビア語でクルゼメ(Kurzeme)と呼ばれています。

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この地域にはもともとバルト語系のラトビア人支族のクール人が住んでいましたが、13世紀に起こった神聖ローマ帝国の東方植民によりドイツ騎士団領の一部となった後は20世紀までドイツ人による実効支配が続いていました。

クールラントは13世紀始めにドイツから攻め込んだリヴォニア帯剣騎士団に征服され、1237年にドイツ騎士団領に吸収された。また沿海地域の一部にはクールラント司教区が設置された。クールラントはリヴォニアの他地域と同じくドイツ人の入植地となり、入植者とその子孫はバルト・ドイツ人と称された。その社会構造は、バルト・ドイツ人の支配階層がラトヴィア人農民を支配する、典型的な植民地型である。この構造は20世紀に至るまで長く続いた。

-Wikipediaより-
 
1941年にソ連侵攻(バルバロッサ作戦)が始まると北方軍集団がバルト三国を占領しますが、1943年2月にドイツ軍がスターリングラード攻防戦で降伏した後は、ソ連赤軍による反攻が始まりドイツ軍は徐々に西へ押し戻されます。そして1944年6月22日には大攻勢“バグラチオン作戦"が発動、その後1944年秋にバルト海沿岸部での"バルト海攻勢"が始まり、北方軍集団は中央軍集団と分断されクールラント半島に閉じ込められてしまいます。(クールラント・ポケット)

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ドイツ国防軍陸軍参謀総長ハインツ・グデーリアンは即刻、軍を撤収させ、ソ連軍が迫る中央ヨーロッパに配備しなおすべきだと主張した。しかし、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはこれを拒絶、(中略)ヒトラーが軍の撤退を拒否したことにより、クールラントで包囲された軍は再編成され、およそ200,000の将兵が25個師団に再編成、第16軍、第18軍が創設された。(ただし、一部の情報では、31個師団と1個旅団という説もある。)包囲されたとはいえ、彼らはいまだソビエト赤軍の北方側面における脅威であった。

-Wikipediaより-
 
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1944年の戦線(赤)と1945年の戦線(黒)。

1944年10月10日から1945年4月4日までの間に、クールラントをめぐってドイツ軍とソ連軍は激しい攻防戦を展開、大規模な戦闘は全部で6回あったと言われています。

1回目:1944年10月27日-1944年11月7日
2回目:1944年11月20日-1944年11月30日
3回目:1944年12月23日-1944年12月31日
4回目:1945年1月23日-1945年2月3日
5回目:1945年2月12日-1945年2月19日
6回目:1945年3月17日-1945年4月4日

なお、3回目の戦闘の後、1945年1月15日に北方軍集団はクールラント軍集団と改名されます。
クールラント軍集団をせん滅しようとソ連赤軍は猛攻撃を加えますが、文字通り背水の陣となったドイツ軍将兵は、死に物狂いで戦います。その結果、ソ連軍は多大な損失を出しただけで作戦はすべて失敗に終わりました。

ラトビアの記録では、ソ連の指導者で軍最高指揮官のスターリンがクールランド半島へ度重なる攻撃を命じ、その損失は無視されたともされている。3月16日におけるドイツの公式記録によると、ソビエト赤軍はクールラント半島における5回の戦闘で死傷者、捕虜、約320,000人、2,388両の戦車、659機の航空機、900門の砲、1,440丁の機関銃を失ったとされる。ソビエト赤軍は6回目と最後の戦いで捕虜となった将兵、553名と74,000人を失ったと推定しており、合計で捕虜、死傷者約390,000名となる。

-Wikipediaより-
 
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クールラント軍集団の兵士(1945年2月17日撮影)

包囲下の劣悪な状況で獅子奮迅の戦いを続ける兵士の戦意高揚を目的として、当時のクールラント軍集団司令官ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ上級大将の要請により、総統ヒトラーは1945年3月12日にクールラント従軍カフタイトルの制定を許可します。

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クールラント従軍カフタイトルの授章資格は以下の3つ。

・戦闘のうち少なくとも3つに参加
・戦闘で負傷
・直接の戦闘に関わらなくても、作戦に3か月間従事

包囲下の兵士に授与する為、多くのカフタイトルはかつてのクールラント公国の首都であり、クールラント軍集団司令部のあったクルディーガ(Kuldiga)の 織布工場で生産されました。

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現地製造のカフタイトルは縦3.5cmx横22cmでカフタイトルとしては短いことが特徴です。(通常のカフタイトルの長さは35-40cm)短い理由は物質不足の為と言われていますが、真偽のほどは不明です。
なお、ドイツ本国で生産されたカフタイトルも存在しています。デザインは同じですが文字がエンボス加工がされており普通の長さとなっています。

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KURLANDを挟んで左側にはドイツ騎士団の紋章、右側にはクールラント公国の首都であったミタウ(Mitau)の市章であるヘラジカがデザインされています。

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現在のイェルガヴァ(旧ミタウ)の市章

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カフタイトルの裏側。黒い刺繍糸で横方向に縫い込まれており、模様が白黒反転しています。

クールラント軍集団は最後の一兵まで戦い続けようとする中、ソ連軍は首都ベルリンを攻撃、1945年4月30日に総統ヒトラーは総統地下壕で自殺し、5月8日にはついにナチスドイツは連合軍に対して無条件降伏します。

カール・デーニッツは、クールラント軍集団最後の司令官カール・ヒルペルト上級大将に対して、ソビエト赤軍に降伏するよう命令、ヒルペルトと指揮下の軍司令部要員はレニングラード方面軍司令官レオニード・ゴヴォロフ元帥に降伏した。この時点における軍集団の残存兵力は、27個師団と1個旅団であった。

同日、ラウザー将軍はより有利な降伏条件を得ることに成功した。翌9日から、ソ連軍はクールラント軍集団の司令部要員の尋問と、一般将兵の捕虜収容を開始した。

5月12日までに約135,000名が降伏し、捕虜収容は5月23日に完了した。バルト海戦区全体で約180,000名のドイツ軍将兵が捕虜となり、その大半は、まずヴァルダイ丘陵の捕虜収容所へ送られた。
-Wikipediaより-
1944年10月の包囲開始時に20万人いた兵士が13.5万人になったということは、単純計算で6.5万人が戦死・行方不明あるいは負傷により本土へ移送されたということになります。(あくまで本国からの増援無しという前提ですが)一方でソ連側の捕虜・死傷者はドイツ軍の6倍の39万人となっています。精鋭部隊がベルリン侵攻に回されていたとしても、このキルレシオはあまりに大きく如何にドイツ軍の防衛線が強固だったかということが分かります。

9日~12日の間に将軍28名、将校5,083名を含む総勢140,408人が降伏した。同期間に引き渡された物資は、航空機75機、戦車・自走砲307両、砲門1,427門、迫撃砲557門、重機関銃3,879丁、小銃・軽機関銃52,887丁、装甲兵員輸送車219台、無線機310台、車両4,281台、牽引車両240台、輸送用台車3,442台、馬14,056匹であった。

-Wikipediaより-

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降伏後一か所に集められた戦車。鹵獲されたT-34やSU-85、シャーマン中戦車が映っています。

クールラント従軍カフタイトルが個々の兵士に渡される頃は、ドイツの敗北は決定的になっており、ほとんどの兵士は名誉よりも故国への生還を強く願っていたと思います。降伏する前に司令部は記録をすべて焼却、また将兵もロシア兵の報復を恐れ、カフタイトルなどの戦功章やその勲記、授章履歴が書き込まれたSoldbuchなどは破棄したと思われます。よって、どれくらいの本数が生産・授与されたのか、今となっては知る術はありません。

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現存しているわずかな写真のほとんどは、戦闘支援を行った海軍・空軍の将兵もしくはクールラント・ポケットから海路で搬送された第16、第18軍の兵士を撮影したもので、いずれもドイツ国内で撮影されたものとなっています。ちなみに上記写真の兵士はドイツ国内で製造されたカフタイトルを着用しています。


泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート
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なお敗戦の日に行われたクールラントからの脱出劇については、「泥まみれの虎ー宮崎駿の妄想ノート」に"実録・脱出行"として書かれております。

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空路ではユンカースJu 52輸送機35機がノルウェーから飛来、負傷兵を乗せドイツ本国へ向かいますが、うち32機がソ連機に撃墜されドイツへたどり着けたのは3機のみという悲惨な結果に。

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海路においてはドイツ海軍による護送船団が編成され、難民・将兵を甲板までぎっしりと詰め込んで5月8日の夜半にリーバウ・ヴィンダウから出港。途中、ソ連の爆撃機や魚雷艇が幾度となく襲い掛かりますが、船団の多くは4連装20mm高射機関砲、88mm高射砲を装備しており、これに応戦、撃退します。戦闘で多数の被害者を出しながらも、船団は5月10日から11日にかけてキール港への入港に成功しました。

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クールラント・ポケットに最後まで残り投降した兵士には捕虜収容所での過酷な生活が待っていました。彼らは森林伐採や石炭採掘などの労働を強いられ、多くの兵士が故郷に戻れたのは終戦から4年半も経ってからでした。


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チェス(Schach)

ご無沙汰しております。GWはいかがお過ごしでしょうか?
ドイツ軍とは何の関係も無い話で恐縮ですが、最近PS4の『モンスターハンター:ワールド(MHW)』が面白くてかなり嵌っています。モンスターハンター(通称モンハン)は、文字通りモンスター(恐竜とか龍、怪獣などの大型生物)を狩るゲームなのですが、2004年の発売以来、シリーズ化されており本作は最新作となります。

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無印といわれるPS2版の初代から、PSP版のMH2G(2008年)、オンライン版のMHF(2013年)と結構やり込みましたが、武器や防具を作る為の素材集めが作業になってしまっており、また狩りに持っていくアイテムの調合など事前準備が面倒でその後のシリーズには手を出していませんでした。
ところが最新作のMHWはシステムを一新、面倒臭さを排除し、より狩りの楽しさに集中できるよう改良されています。相変わらず素材集めも必要なのですが、作業にはならないよう工夫されていて、最終形態の武器・防具までサクサクと進むことができました。今は大剣使い(たまにランサー)なのですが、これまで手が出せなかった武器、ボウガンや弓などの飛び道具にも挑戦してみたいと思っています。

前フリが長くなってしまいましたが、このブログの趣旨であるドイツ軍に話を戻します。今回はドイツ兵が楽しんであろう当時も今もゲームの王様、チェス(Schach)を極々簡単にアップします。
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携帯用の箱に入った"Dame und Mühle"(チェスとミル)です。紙製のチェス駒と折り畳みのチェスボードが入っています。箱の表にはチェスに興じている兵士のイラストが書かれています。"Ein Gruß aus der Heimat”(故郷からの挨拶)という文字通り、兵士への慰問用となっています。なお左側の兵士のセリフは「チェックメイト!!」。
なお、バリエーションとして色違いのバージョンや、野戦郵便(Feldpost)で送れるよう箱自体が野戦郵便小包になっているタイプもあります。

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チェス盤を広げ、駒を並べてみました。ちなみに私はチェスについては何も知らないので、並べ方は見様見真似です。(とりあえず全駒揃っていてホっとしました)チェスの駒は立体的な加工が施されており、暗い場所でも手で触って分かるようになっています。

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ボードの反対側はミル(Mühle)の盤となります。別名ナイン・メンズ・モリスとも言い 、ローマ帝国時代からヨーロッパで親しまれているボードゲームの一種です。

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こちらはポケットに入るサイズのチェス盤で固紙のケースに入っています。屋外でプレイしても風でも吹き飛ばないよう、差し込み式となっています。

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写真を撮り忘れましたが、裏側には同じくミルの図柄があります。
今回は兵士が個人的に携帯できる簡易な既成品を紹介しましたが、もちろん下記写真のような本格的なチェスセットや手先の器用な兵士は木や動物の角や骨、石などから駒を削り出しで作ったものも使用したと思います。

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兵舎でチェスを楽しむ兵士たち。右端で観戦している兵士がストローでミルクを飲んでいる様子が面白いです。(直接口をつけて飲む、いわゆる『口飲み』は時間が経つにつれ菌が繁殖する為、禁止されていた)
戦争中といってもやはり娯楽は必要です。兵舎では訓練後の自由時間に、前線でも戦闘の合間にSkatのようなカードゲームと併せてチェスを楽しんだことでしょう。


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Yサスペンダー (Koppeltragegestell für Infanterie) Part4

こんにちは。今週末は桜が見頃ですが、花粉症がマックスにひどくて家から一歩も外に出られないエーデルマンです。(平日は仕事なので外には出ざるを得ませんから、休日は極力引き籠っていたい・・・)
さて今日の日記のネタは、Yサスペンダー(Koppeltragegestell für Infanterie)となります。

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Yサスペンダーは、過去に何度も記事にしましたが、今回紹介するのは極初期型タイプとなります。
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Yサスペンダーが導入されたのは1939年4月で最初に作られたタイプは金具が全てアルミ製となっています。アルミは貴重な為、1940年頃にはスチール製に変更されます。(1940年製のYサスペンダーについてはこちらを参照) 

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メーカー名は判読できませんが、かろうじて「39」が読み取れます。
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ドイツ軍のベルト装備に共通する特徴ですが、体に触れる部分は皮の表側をなめしてスムーズにし、表側は皮の床面(裏側)を起毛処理しています。

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補助ストラップのジョイント部分。ジョイント金具もアルミ製です。

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中央のリング部分。初期の補強革は黒染めですが、中期・後期のタイプは茶色に染められています。(後期タイプはこちら

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裏側は当て革があり、金具が体に直接当たらないようになっています。

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ベルトフック部分。こちらも金具はアルミ製。

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補助ストラップのフック金具。前後の可動が可能になっています。(後期タイプになるとバックルと一体型になります)

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フック金具の裏側にあるメーカーロゴ。

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Aフレームに接続するDリング。

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今回、最初にYサスペンダーについて書いた日記(2010年)を読み返してみましたが、当時は「実物の残存率は結構高く150~200ドルで取引されております」だったんですね~。最近では入手しづらくなっており、価格は当時の倍以上になっています。

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こちらはこの記事をアップした時点で開催中のオークションのスクショですが、後期タイプが既に4.5万円を超えてしまっています。もし3万円以下で見つけたら購入することをお勧めします。


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陸軍M34略帽 (Feldmutze 34) Part3

こんにちは、エーデルマンです。 本日はM34略帽 (Feldmutze 34)についてアップします。 
M34略帽はライヒスヴェーア時代の1934年11月に導入された略帽(=略式制帽)で、1942年にM42略帽が導入されるまで戦闘・作業帽としてあらゆる兵科で使用されました。 

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極初期のデザインは国家色のコカルデ(円形章)と兵科色のソータッシュ(山形ヒモ)が頭頂部に付いており、フラップ前面にはM42略帽のようにボタンが2つ付けられていました。(当時はヴァイマール共和制なのでもちろんハーケンクロイツ付きの国家鷲章はなし)ちなみにボタンは機能しない飾りボタンとなります。 

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1935年頃の写真。前列右側の兵士がM34略帽を被っていますが分かりづらいですね。

こちらの写真にはコカルデとソータッシュがはっきりと写っています。(STEINER氏所蔵)
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1935年版のREIBERT(STEINER氏所蔵)
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そしてライヒスヴェーアからヴェアマハトに組織が改編した1935年には、コカルデは金属製からBEVO製となりソータッシュと共に一段下のフラップ前面に移動、頭頂部には国家鷲章が縫い付けられます。 (初期帽章のベースカラーはライトグレー)
M34earlycap_33.jpg  
ここでは便宜上、左側のイラストの帽章の取り付け状態を1stパターン、右側を2ndパターンとします。

M34earlycap_21.jpg 
2ndパターンの略帽を着用する兵士。M34略帽とM34野戦服にはライトグレー地の徽章が付いています。角型肩章がダークグリーンなので、1935年後半以降に撮られた写真と思われます。
M34earlycap_32.jpg  
1935年9月10日付けの陸軍規程35年第505号(H.V.35,Nr.505)により、野戦服の襟がダークグリーンに変更されると、帽章のベースカラーも同色に変更されます。(右側の状態を3rdパターンとします)

こちらのM34略帽は3rdパターンで、1935年に導入された新型帽章が取り付けられています。
 
M34earlycap_18N.jpg   
M34earlycap_17N.jpg 
この略帽、よく見るとフラップ前面の縫い合わせの位置が右側に寄っています。これは1stパターンの略帽の特徴です。(この略帽を極初期型と呼ぶことにします)
M34earlycap_19N.jpg  
最初は1stパターン、次に2ndパターンの徽章が付けられていたものが最終的に3rdパターン付け替えられたのか、或いは1935年になっても極初期の縫製を工場が続けていたのか不明です。

それでは極初期型と、以前こちらで紹介した1940年製のM34略帽(工兵科)を比較してみましょう。

M34earlycap_1-2.jpg 
1940年製の方はフラップの縫い合わせが真ん中です。また極初期タイプの方は頭頂部の立ち上がり角度が垂直に近く頭頂部もフラットな為、被帽時に正面から見て四角いシルエットとなります。 
M34earlycap_31.jpg  
左側の国家鷲章はダークグリーン地にオフホワイト色の刺しゅう、40年製の方は1937年に導入されたダークグリーン地にライトグレー色の刺しゅうとなっています。


M34earlycap_2.jpg 
横から見たシルエット。極初期型は頭頂上辺が長尺の為、内側に深く折り込まれています。 

極初期型の内装とスタンプ。
M34earlycap_11.jpg 
コットン生地の裏地がフェルト生地本体に手縫いで取り付けられています。

M34earlycap_6.jpg 
サイズは58cm、1.は中隊番号でしょうか? 残念ながらメーカー名と製造年は判読不可能です。

M34earlycap_15n.jpg   
ベンチレーションホールの金具。亜鉛製で表面はエナメルでメッキされています。
 M34earlycap_9-1.jpg M34earlycap_9-2.jpg   

この略帽にはソータッシュが頭頂部に付けられた痕跡(縫い跡)がありません。また新型帽章の縫い糸は裏地に貫通しておらず初付けと見られる為、1935年の軍備拡大の折に新たに参入したメーカーによって作られた可能性があります。
M34earlycap_28.jpg

年表で見ると、1stパターンと2ndパターンの存在期間は非常に短く
なっています。実際に1stパターンはヴェアマハト以降は2ndパターンに全面的に切り替えられたと思われ、その為かオリジナル状態で現存している略帽はとんでもないレアアイテムとなっています。ただし2ndパターンと3rdパターンの違いはベースカラーのみ、なので帽章は在庫は無くなるまで使われ続けたと思います。

M34earlycap_22.jpg
丸形肩章を着用しているので1936年以降に撮影された写真と思いますが、ほとんどの兵士が2ndパターンの略帽を被っています。

最後になりましたが、貴重な1stパターンの
写真を掲載させていただいたSTENER氏に感謝の意を表します。


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フードコンテナー (Essenbehälter) Part3

こんにちは、エーデルマンです。今週末は先週と比べるとだいぶ暖かいですね。気温が上がるのは良いのですが、同時に花粉が飛び始めるわけで、花粉症の私にとっては辛くて長い引き籠り生活のスタートとなります。引き籠り期間中は頑張ってコンテンツを充実させていきたいと思います。

さて、今回はドイツ軍が使用したフードコンテナー(Essenbehälter)のバリエーションとアクセサリーを記事にしたいと思います。
 Essenbehalter_N1S_201802121420186ea.jpg  
こちらは1942年製のフードコンテナーです。大戦初期~中期に製造されたタイプで当時の写真にも多く写っています。
Essenbehalter_N2.jpg 
フードコンテナーの使用目的については、以前こちらで説明しているので省きます。
Essenbehalter_3.jpg 
高さ40cm、横幅36cmです。本体はアルミ製でフィールドグレイで塗装されています。
12リッターもの食糧を入れて運ぶには、本体もなるべく軽い方が良いということで当時は貴重なアルミが使用されました。(どれほど貴重だったかはこちらの記事で説明しています)
  
しかし「軽い」「錆びにくい」と良い事尽くめのアルミですが、難点は写真のように塗装が剥げやすいところですね。

foodcontainer21.jpg
こちらの写真には、塗装が剥げて地肌が思いっきり見えているフードコンテナーが映っています。

Essenbehalter_25-4.jpg     
上部写真。持ち運び用の取っ手と蓋を固定する為の板金がリベットで取り付けられています。
Essenbehalter_N16.jpg    
蝶ナットとヒンジによるロック機構で蓋を密閉します。

Essenbehalter_N10.jpg

写真のように上蓋の裏側にはレードル(Schöpflöffel)が収納できます。(レードルについては後述)

Essenbehalter_7-1.jpg  
“CCJ 42”の刻印。CCJはF.W. Bröckelmann, Aluminiumwerk GmbH KGのメーカーコード。

Essenbehalter_37.jpg 

続いて後期のタイプを紹介します。

Essenbehalter_N5-1.jpg   Essenbehalter_N5.jpg 
こちらは1943年製です。
 Essenbehalter_N4-1.jpg  
初期型のフードコンテナーと形状は同じですが、材質はスチール(鉄)に変更されています。また1943年以降に採用された標準色、ダークイエロー(ドゥンケルゲルプ)で塗装されています。

Essenbehalter_N7.jpg 
戦中・戦後の保存状態は良かったようで当時の塗装が90%以上残っています。所々にサビ止めの赤い下地塗装(プライマー)が見えています。

Essenbehalter_19N2.jpg 
フードコンテナーは外容器と内容器の二重構造になっており、長時間保温することができます。内容器と蓋の裏側はスチール製で琺瑯加工されています。

Essenbehalter_14.jpg
初期型と並べて見ると加工の違いが分かります。初期型はリベット止め、後期型は溶接止めです。

Essenbehalter_16.jpg
上蓋には“djo” 43”の刻印。メーカーは残念ながら不明です。

NARA 3


アクセサリーの紹介です。まずは、レードル(Schöpflöffel)から。

 Essenbehalter_34-3.jpg 
フードコンテナー専用のレードルです。全長29cmで一杯分の容量は300mlです。アルミの鋳造製。
Essenbehalter_31.jpg  
Essenbehalter_28-1.jpg  
レードルはフードコンテナー上蓋の収納できるようになっています。取り付け金具には少し角度が付けてあって蓋を閉じる時にレードルが本体と干渉するのを防いでいます。
Essenbehalter_33.jpg   
こちらは大変珍しいスチール製のレードル。内容器と同じく琺瑯加工されています。

Essenbehalter_N18_20180212184558cd2.jpg

最後にストラップ。


Essenbehalter_23-1.jpg Essenbehalter_24-1.jpg 
フードコンテナーを背負って運ぶストラップには、全革製と革+ウェブ製の2種類があります。刻印を見る限り、全革製は戦前から大戦初期、ウェブ製は1943年以降に製造されたものが多い感じです。

Essenbehalter_20-1.jpg 
上部のバックル部分。全革製はアルミ製、ウェブ製はスチール製です。ウェブ製の革部分はコードバンのような材質です。

Essenbehalter_26.jpg Essenbehalter_27.jpg 
ストラップの下部。すぐに取り外せるようフックの形状をしています。

Essenbehalter_21.jpg
全革製は1939年製でBerlinにあったメーカー名とアムトが刻印されています。
Essenbehalter_22-1.jpg 
こちらは1943年製。”hla”はMetallwarenfabrik Treuenbrietzen GmbHのメーカーコード。

Essenbehalter_6-1.jpg 
ストラップを取り付けた状態。ストラップは丈夫な革で作られており、幅が広く負荷を分散出来るようになっています。
Essenbehalter_15.jpg
中期以降の組み合わせ。ウェブ製への切り替えは革の温存とは別に寒冷地対応もあったと思われます。

Bessarabia-Ukraine-Crimea-299.jpg 
フードコンテナーを担いで食糧を運搬するドイツ兵。温かい食事は疲れた兵士に生きる気力を与えたと思います。
一方で大きなフードコンテナーを背負った食料運搬兵は敵の狙撃手の標的になり易く、そのような危険な任務に就いた兵士はさぞかし戦友たちから感謝されたことでしょう。


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