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工兵用爆薬嚢(Pionier Sprengmittel Tasche)

こんにちは、エーデルマンです。今回はmixiで以前つぶやいた工兵用爆薬嚢(Pionier Sprengmittel Tasche)をアップします。

工兵用爆薬嚢は38cmx31cmx11cmのキャンバス製のカバンで、3kg爆薬(Geballte Ladung 3kg)と1kg爆薬(Sprengbüchse 24)、信管やトラップ用のワイヤーなど収納しました。

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見た目はM31衣嚢(Bekleidungssack 31)に似ていますが・・・

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爆薬嚢は、サイドポケットがあるので一目で違いがわかります。
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ポケットはカバーとフラップの二重になっています。メインポケットには3kgと1kg、サイドポケットには3kg、合計7kgの爆薬が収納可能。
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雨蓋を開けた写真。前室と後室が1枚の布で仕切られており、前室には爆薬、後室には信管やワイヤーを収納します。

ここからは細部について説明します。
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バックルはスチール製でリベットで留められています。

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バックルの裏側のあて革。
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持ち手はコットン製。

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雨蓋のストラップはハトメが無く、バックルに通しているだけです。

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RBNr.のメーカースタンプ
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専用のショルダーストラップ。雑嚢用のストラップと似ていますが、厚手のコットンウェブ製です。爆薬嚢のDリングにはナス環で取り付けます。
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爆薬嚢は爆薬を運搬する以外に、梱包爆薬として目標に投げて破壊する目的で使用されました。


7kgのTNTの威力ですが、周囲が開けた場所で爆発した場合、爆心から約13.7メートル離れたレンガの壁には亀裂が入り、35メートル離れた石こうでできた壁および石綿板は破損、64メートル離れた一重窓は粉砕されるそうです。また、爆心から12.2メートル以内に立っている人の鼓膜は破損し、3.7メートル以内にいる人は死ぬ可能性があります。

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こちらは『アンノウン・ソルジャー・英雄なき戦場』で梱包爆薬を使用するシーンですが、破壊力は手榴弾の数倍の威力となっています。


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Gew.43 (Gewehr 43)

こんにちは、エーデルマンです。お盆休みですが、今年も暑さと人混みが苦手なので恐らく家に籠りっぱなしです。(一回位は山登りに行こうかと思っていますが・・・)

さて、本日紹介するのは“Hitler's Garand"(ヒトラーのガーランド)ことGewehr 43(Gew.43)です。
ドイツ軍部は第一世界大戦での経験から、ボルト・アクション式に代わる次世代の自動装填式の小銃=半自動小銃の必要性を理解していましたが、全歩兵に支給するという発想や、その為の資金も無く、第二次世界大戦が始まっても、ドイツ歩兵の主力兵器はGew.98を15cm短縮させただけのKar.98Kでした。

一方でソ連やアメリカは半自動小銃の開発を進め、ソ連はシモノフM1936(英:AVS-36 露:ABC-36)とトカレフM1940(英:SVT-40 露:CBT-40)、アメリカはM1ガーランドを採用します。

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1941年に独ソ戦が始まると、ソ連軍兵士の持つボルト操作しなくても装填できる半自動小銃の威力を思い知ることになります。ドイツ陸軍兵器局はマウザー社とワルサー社へ開発を要請、一年弱という短い期間でそれぞれ「Gew.41(M)」と「Gew.41(W)」を完成させます。


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Gew.41(M) 


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Gew.41(W) 
画像提供:「WWⅡ ドイツ軍小火器の小図鑑」*Gew.41(M)の原図提供元 Kentomon

実用試験の結果、ワルサー社がマウザー社よりも優れていると判断、Gew.41(W)が正式に採用されます。しかしながら銃口部分が大きくなるバン・システムはフロントヘビーで扱い難く、また同方式はガスの移動距離が長い為、ロシア戦線の過酷な状況では作動不良が頻繁に発生しました。そこでGew.41のバン・システムの改良では無く、より信頼性の高いSVT-40のガス作動方式をコピーしてGew.41に組み込んだ新型の半自動小銃「Gew.43」を開発します。

Gew.43 (Gewehr 43) 仕様

種別 半自動小銃
口径 7.92mm
銃身長  546mm 
使用弾薬 7.62×57mm 
装弾数 10発
作動方式 ガス・ピストン方式
全長  1117mm
重量 4400g
発射速度40発/分
銃口初速775m/秒
有効射程 1200m

Gew.43は1943年4月に採用され、ワルサー社のほか、グストロフ社、そしてリューベッカー・マシーネン・ファブリク社(BLM)が製造します。なお名称は、1944年4月25日にkarabiner 43に変更され、それに伴い刻印も「K.43」となります。G.43/K.43併せて終戦まで46万2千挺が生産されました。

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Gew.43は安価に大量生産する為の工夫が随所に見られます。ストックの材質に積層材(ラミネート)やベークライトが使用されるのは同時期の軍用銃と同じですが、Gew.43では鉄製部品の製造に初めて鍛造工程が導入されます。
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レシーバーとボルトキャリアは型鍛造となります。鉄の塊から削り出す切削加工に比べて大量生産向きで製造コストは下がります。またボルドがスライドするレシーバー後部のハウジングはプレス加工で製造されています。

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トリガーガード部もプレス加工された部品を使用しています。なお、プレス加工とは金型に金属(メタルシート)を挟み、圧力により成型を行う製造法で鍛造同様に大量生産に向いています。

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10発装填可能なマガジンです。Gew.41とは違い脱着が可能です。追加装填は、小銃用の5発装弾クリップを用いて上部から行うよう推奨されていました。

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マガジンはメタルシート製で補強用のリブが刻まれています。バネの圧力は強くなく、10発装填は容易にできます。

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マガジンの底部にはgcb (Grohman u. Sohn Ad. Metallwarenfabrik, Wurbenthal/Sud.)のメーカーコード、WaAB92のヴェッフェンアムトとK43の刻印があります。
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バットストックはボルトアクション銃では一般的な形状です。
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バットストックにはメンテナンスキットや予備パーツ、マニュアルを収納するコンパートメントがあります。

■Gw ZF4(4倍 狙撃スコープ)
Gew.43/Kar.43ともに標準でレールが付いており、ワンタッチで4倍の狙撃スコープが装着できるように設計されていました。半自動小銃の狙撃銃は初弾をミスした場合、第二弾を迅速に発射できる、反撃された場合の素早い応戦が可能になるといった利点があり、『最強の狙撃手』の中で、"ゼップ"・アラーベルガーもKar.98KとGew.43を状況によって使い分けています。

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しかしながら、連合国の戦略爆撃が激しさを増す中、安定した生産体制の維持が困難になり、さらに爆撃の被害や兵役により熟練工が減少、労働力として強制収容所の囚人や捕虜などに頼らざるを得なくなります。そのような状況で生産された中で狙撃銃としての要求仕様を満たせたものは極僅かで、実際に狙撃銃として使用されたのは10%以下でした。
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こちらは4倍率スコープのGw ZF4(Gewehr Zielfernrohr 4-fach)です。Gew.43以外にFG42やMP43にも装着されました。製造メーカーは3社でそれぞれ生産数は下記の通りです。

メーカーコード生産数
Voigtländer und Sohn, Braunschweigddx. 73,000 
Opticotechna GmbH, Preraudow. 40,000 
AGFA Kamerawerk, Münchenbzz. 3,500 


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このスコープには「Gw ZF4」の刻印がありますが、1944年12月15日には「ZF K43」に変更されます。なお、△はグリース記号で1943年後半以降の製造、水色は一般的には寒冷地仕様を示すとされています。

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ZF4のアクセサリーは、①ゴム製アイカップ②遮光フィルター③サンシェード④レンズカバー⑤マウント⑥ウィンテージ・ノブキャップがセットになっています。

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垂直に配置されているノブは距離を調整するエレベーション・ノブでレチクルが上下します。1~8(100~800m)まで50m間隔で目盛りが刻まれています。
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水平に配置されているノブはウィンデージ・ノブでレチクルを左右に移動します。
レティクルの前にあるレンズ(対物レンズ側)が左右に動き、像自体が動くようです。(A.Iさん、ご指摘ありがとうございます)


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ドイツ軍の狙撃スコープはこのパターンのレチクルが一般的です。

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ZF4の脱着方法について。

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レールに沿ってマウントをスライドします。




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「カチッ」と音がしてレールの溝でロックがかかります。スコープを外す時は矢印の部分を押しながら左にスライドさせます。




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レバーを左から右に移動し、固定 ”fest"します。外す時はレバーを左に移動し、解除"lose"にします。
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最初から狙撃スコープ有りでデザインされている為、この状態でのバランスは抜群です。スコープは短く、右側にオフセットされているので、ボルト操作や5発クリップでの装填には一切干渉しません。

■マガジンポーチ
Gew.43のマガジンが2個(20発分)が収納可能な専用のポーチを紹介します。マガジンポーチは本革製以外に代用皮革やビニール製、布製、ゴム引き製と様々なタイプがあります。MP44のポーチと同じく残像数が少なくコレクターの間で高額取引されていた為、東欧を中心にフェイクが大量に生産され市場に出回りました。

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こちらはビニール製のポーチです。ビニールは正確には「ポリ塩化ビニル(PVC)」という合成樹脂の一種で、塩化ビニルモノマーを重合させた樹脂に柔らかくする可塑剤と劣化を防ぐ安定剤が加えられたものです。1927年にアメリカで工業化がスタートします。
ポーチ本体の生地はフランスの高級ブランドのルイ・ヴィトン製品と同じく、キャンバス地をポリ塩化ビニルで加工したものです。

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こちらは革製のポーチです。写真は無いですが、内部に"bla 1944"の刻印があります。

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こちらは"ros 1944"刻印で生成りの革製です。ストラップ通しが無く、留め金具が底部についています。
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ウエストベルトの左側にマガジンポーチ、右側に30発小銃弾入りポーチを装着します。

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私の記憶の限りにおいては、Gew.43が登場する映画や漫画は無かったように思いますが、ショウエイのモデルガン効果もあり非常に人気のある銃です。


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Robert Weger兵長(第7山岳師団第206山岳猟兵連隊)

こんにちは、エーデルマンです。梅雨が明けていよいよ夏本番ですね。
最近駆け込みで『アンノウン・ソルジャー・英雄なき戦場』を観ました。本作品は第二次大戦中の1941年6月25日から1944年9月19日にかけて、ソ連とフィンランドの間で戦われた戦争、いわゆる“継続戦争”(別名:第二次ソ・芬戦争)を兵士の視点で描いたもので、銃弾の飛び交う戦場描写は臨場感があり迫力満点でした。

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映画を観終わった後、なぜ"継続戦争"と呼ぶのか?ふと疑問に思い、さっそくWikipediaで調べてみました。
それは1939年11月30日にソビエト連邦のフィンランド侵攻による国土防衛戦争、通称"冬戦争"(別名:第一次ソ・芬戦争)に"継続”している”戦争”だからのようです。(確かに映画の中でも冬戦争で戦った兵士が再招集されていました)

冬戦争ではフィンランド軍は貧弱な武装にも関わらず地の利と気候を活かした戦術によりソ連軍に多大な被害を与え講和に持ち込みますが、カレリア地方などを割譲、ハンコ半島を租借地とすることを余儀なくされます。
Finnish_areas_ceded_in_1940.png 
フィンランドが冬戦争で失った領土(Wikipediaより)

間違いなくソ連が再び侵攻してくると考えたフィンランド政府はドイツと秘密協定を結び、軍事経済援助を受ける代わりに領土内へのドイツ軍の駐留および領内通過を認めました。ところがこの密約はすぐにソ連にもバレてしまいます。
当初は中立を通そうとしましたが、1941年6月22日にドイツがソ連へ侵攻すると、ドイツ空軍がフィンランド領内からソ連を攻撃した報復攻撃としてソ連空軍がフィンランドを空爆、フィンランドが6月26日にソ連へ宣戦布告したことで戦争が始まります。

前回の孤軍奮闘とは違い、今回はオウル=ベロモルスクを結ぶ線より北側はドイツ軍が、南側は、カール・マンネルハイム元帥のフィンランド軍の作戦地域とし、失地回復を目指します。

8月末にはカレリア地方を奪還。冬戦争以前の国境線を取り戻す事に成功します。
Map_of_Finnish_operations_in_Karelia_in_1941.png 

このブログではフィンランド駐留部隊の一つである第7山岳師団(7.Gebirgs-Division)に時折スポットライトを当て、ドイツ軍側からの視点で継続戦争とドイツ‐フィンランド間で行われた戦争"ラップラント戦争"を見ていきたいと思います。

まずは第7山岳師団の戦役について説明から。

第7山岳師団は第99軽歩兵師団(1940年11月に編成、1941年6月バルバロッサ作戦に参加 、ウクライナでの戦闘で消耗し10月にドイツ本国へ撤退)を母体とし1941年10月22日に再編成されました。

師団マークの"Der Bergschuh"

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<第7山岳師団部隊編成>
■第206山岳猟兵連隊
・第1大隊
・第2大隊
・第3大隊
・山岳装甲猟兵中隊(機械化)
■第218山岳猟兵連隊
・第1大隊
・第2大隊
・第3大隊
・山岳装甲猟兵中隊 (機械化)
■第99装甲猟兵大隊
■第99偵察大隊
■第79山岳砲兵連隊
・第1大隊
・第2大隊
・第3大隊
・第4大隊
■第99山岳工兵大隊
■第99山岳通信大隊
■第54山岳補充大隊
■第54スキー大隊
■第99補給部隊

第7山岳師団は継続戦争でフィンランド軍を支援するため、1942年にフィンランドのラップラント(フィンランドの北端部)に派遣され、Uhtua(現カレリア共和国カレヴァラ)で、ソ連軍の進撃をフィンランド軍と共に迎え撃ちます。
Continuation_War_1942_and_Soviet_assaults_English.jpg  
1942年の戦線(Wikipediaより)

なお、師団の一部 (Geb.Jg.Rgt. 206, III./Geb.Jg.Rgt. 218,  I./Geb.Art.Rgt.82) はカンプグルッペ"Hoffmeister"として1942年3月にデミャンスク盆地のIlmensee(イリメニ湖)での戦闘に加わります。

Bundesarchiv_Bild_146-1972-042-42,_Russland,_Kesselschlacht_von_Demjansk
デミャンスク包囲戦(1942年2月8日 - 4月21日)のドイツ軍。

Hoffmeisterの戦役
1942年3月28日 -1942年3月30日: KoslowoとKudrovoへの攻撃
1942年4月03日 -1942年6月02日: Redzywegで防衛 
1942年6月03日 -1942年6月09日: Gridinowegへ攻撃 
1942年6月10日 -1942年7月12日: Gridinowegで防衛
1942年7月13日 -1942年8月12日: フィンランドへ転戦 

1942年8月中に第7山岳師団の全連隊はフィンランドに集結、Kiestinkiでソ連軍の反撃に備えます。

同師団は1943年8月に行われたSenossero地域での「Bunkerrücken」(トーチカ尾根)攻略にも参加。このBunkerrückenへの攻撃は、1943年のカレリア地峡において最も傑出した闘いとされています。 BunkerrückenはKangaschwara南部のソ連海軍歩兵旅団部隊によって約1年半かけて要塞化された尾根で、1941年のフィンランドの攻撃の後もソ連軍が確保していました。
尾根の地形は、防御側に極めて有利で攻撃側の背後まで見通しが利き、攻略には多大な犠牲が必要とされました。
この攻略については第99山岳工兵大隊兵士の手記が残されているので紹介したいと思います。

攻撃準備は1943年6月から既に始まっていた。突撃部隊は第7山岳師団の第218山岳猟兵連隊第2と第12中隊、第16山岳装甲猟兵中隊の駆逐戦車2両、迫撃砲部隊 、重戦車砲兵部隊から構成されていた。これらの部隊は前線から引き抜かれ、徹底的に訓練された。 さらに他の突撃部隊として火炎放射器 、対戦車砲と重火器を装備した第99山岳工兵大隊第2中隊が加わり、2大隊分の兵力がトーチカ尾根を攻略することとなった。最初の中隊が尾根の北側斜面のトーチカを潰し次第、次の中隊が続き、左右のトーチカを潰す。

攻撃開始時間は1943年8月9日に12時35分に設定。 各中隊は敵に気づかれずに突撃開始位置に着き、それから目標に向かって突撃した。 トーチカからトーチカへ(その数は元々想定していた以上に多かった)攻撃と占拠を繰り返した。 トーチカは視界の悪い森の中に巧妙にレイアウトされていた為、山岳部隊が接近して見つけるしかなかった。この勇敢な攻撃で、第6中隊はSukkulaに接近して基地に突入した。第99山岳工兵大隊第2中隊のDennerlein中尉の優れた指揮に援護され第7中隊は地峡に攻め込んだ。(中尉は、攻撃の翌日1943年8月10日に戦死)

-「Einzelschicksale Riedlingsdorfer Soldaten im Zweiten Weltkrieg」より-


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1943年夏に第206山岳猟兵連隊第1大隊の大尉と軍曹がキューベルワーゲンで走行中に2本の木に結びつけられたワイヤーで斬首されるという事件が発生しました。ドイツ軍はソビエトパルチザンの仕業と断定。(東カレリア地方ではソビエトパルチザンが度々破壊活動を行っていたが、攻撃対象のほとんどはフィンランド市民でしかも女性や子供であった。ソビエトパルチザンについて説明したWikipediaのページ(英語)はこちら
ドイツ軍は報復として赤軍パルチザンに協力する村を襲撃し、村民(含むパルチザン)70人を殺害します。

ここで少し時間を遡り、全体的な話に戻します。

1943年2月にドイツ軍がスターリングラード攻防戦で決定的な敗北を喫すると、枢軸国不利と見て戦争からできるだけ早く離脱し、ソ連との講和を結ぶことを考え始めました。
しかしソ連側の要求は厳しく、その中でも独力でフィンランド在留のドイツ軍を駆逐するという条件は簡単に呑めるものではありませんでした。

フィンランドはソ連との講和交渉を打ち切り、カレリア地峡に前もって備えていた防衛線以外にも防塞の建築を始め、動員を拡大するなどソ連との本格的な戦闘に備えます。

1944年6月9日に連合軍がノルマンディーに上陸すると、ソ連軍はフィンランドへの攻撃を再開します。冬戦争とは比較にならないほど戦闘スキルが向上したソ連軍の攻撃に、フィンランド軍は苦戦。カレリア地峡の主防衛線は破られ、6月21日には第三のVKT防衛線まで後退します。

しかしながら、ここからがフィンランドの粘り強い所で、再びドイツに接近しリュティ大統領が「フィンランドはドイツと共に断固最期まで交戦する」と(個人名義で)宣言することで航空機や対戦車兵器など軍需物資と兵力の支援を確保します。

交渉の裏方で尽力したのが、第20山岳軍団司令官のエデュアルト・ディートル上級大将であると言われています。

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1944年6月23日、会議においてソ連軍に降伏したフィンランド軍を軽蔑する言葉を発したヒトラーにディートルは、「総統閣下、私は一人のバイエルン人としてあなたに話しかけなければなりません!」とテーブルを叩いて、フィンランドに対するヒトラーの不当な評価を激しく非難した。意外にもヒトラーはディートルに対して「君の言うことは全面的に正しい」と答え、ディートルに心のこもった別れを告げた後、他の軍人の方を向いて「諸君、私の将軍たちはみなあの男のようであって欲しいものだ」と語ったとされる。

-「Wikipedia」より-

ドイツ軍の援軍があってもソ連軍との兵力差は圧倒的であり、フィンランド軍は善戦しますが徐々に追い詰められていきます。しかしながら再び幸運の女神はフィンランド軍に微笑ます。ソ連軍の暗号無線を傍受し解読、7月3日にソ連軍がイハンタラへ総攻撃を加えようと集結しているところへ、航空機による爆弾投下と火砲による集中砲火により壊滅状態に追い込みます。

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このようにフィンランドの激しい抵抗にソ連は3倍近い損害を出すことになりやむを得ず侵攻を停止します。

ここでソ連首脳陣は考えます。これ以上フィンランドへ戦力を割くのは、戦略的に意味はあるのか?また連合国が欧州を東進する構えを見せており、ソ連としては対枢軸国戦争後のヨーロッパでの勢力圏拡大の為に、東欧諸国へ攻撃を行った方が理に適っているのでは無いか?

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フィンランド側もドイツの敗戦は火を見るよりも明らかで援助物資もいつまでも期待できない中、長期戦は避けたい。
戦線が膠着すると同時にフィンランドはソ連との講和交渉を再開します。ソ連から提示された講和条件は賠償金3億ドル(現在の米ドルで約40億ドル)相当の支払い、国境線を冬戦争後のものに戻すこと、ペツァモの割譲、フィンランド湾の要衝ポルッカラをソ連の租借地とすること(その代わりハンコ半島の租借権は返上)、そしてドイツ軍を武装解除し、フィンランドから追放することでした。 

フィンランドはこの条件に合意すると、まずは1944年9月2日にフィンランドがドイツとの外交関係を解除、9月19日にソ連との間で停戦協定を締結します。(「モスクワ休戦協定」)

ドイツ軍をフィンランドから撤退する期限は9月15日と定められており、残るドイツ兵は武装解除しソ連へ引き渡すことになりました。当時フィンランドには21万4千のドイツ軍将兵が駐留しており、短期間での撤退は絶対に不可能です。

実はドイツ軍側も本国には内緒でノルウェーへの撤退準備「ビルケ作戦」を進めており外交関係の解除の翌日、9月3日から退路の建設を開始していましたが、まだまだ不十分な状態でした。

期限が過ぎてしばらくした9月28日にドイツ軍第20山岳軍とフィンランド軍の間で戦争が勃発します。(「ラップランド戦争」)
戦争は始まったものの、両国はこれまで共に戦った盟友であり、ドイツ兵とフィンランド兵の間には友情が芽生えていた為、死傷者は出ないよう手加減して戦っていました。

しかしながらソ連はドイツとフィンランドが本気で戦っていないことを見抜き、フィンランドを強く批判します。またドイツ軍もソ連が割譲することになったペツァモ(ニッケルの産地)を保持しようとし、退却は中々進みませんでした。

ドイツ軍を1日も早く退却させなければ休戦協定を破棄するとソ連に迫られたフィンランド軍は、Tornioに上陸し、同時に陸路Kemiを攻撃する進攻作戦を計画、1944年10月1日に実行します。(Tornioの戦い)ドイツ軍も激しく応酬した為、両軍に多数の死傷者がでます。この戦いを境に戦闘は本格化します。

ドイツ軍はヒトラーから命令された焦土作戦により撤退途中の町々を廃墟にしながら次々とノルウェーへ撤退します。(ただしロタール・レンデュリック将軍は病院と教会だけは残すよう命令)最後に残ったドイツ軍第7山岳師団が陣地を放棄して、ノルウェー領に撤退したのが1945年1月10日、負傷などで取り残されたドイツ兵がフィンランドを離れたのは1945年4月27日でした。

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前置きがいつにもなく長くなりました。
本日のネタはこちらの第7山岳師団所属兵士のヴェアパス(Wehrpaß)ゾルドブーフ(Soldbuch)です。

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アンノウン・ソルジャーから始まり簡単に継続戦争について前置き程度に記述するつもりが、ついつい熱が入って長文になってしまいました。
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まずはヴェアパスから見ていきたいと思います。この手帳の持ち主であるRobert Weger氏は1923年4月5日生まれ。バイエルン州のSchweinfurt出身で、徴兵前の職業は靴職人(Schuhmacher)です。

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所属部隊のページ。19歳で軍歴がスタートします。
1942年2月25日-1942年5月11日:第481歩兵補充大隊訓練第2中隊(2./Inf.Ers.Abt.481)
1942年5月12日-1942年6月23日:第3野戦補充大隊第7中隊(Feld Ers.Btl. 7/3)
1942年6月24日-1945年5月08日:第206山岳猟兵連隊第2大隊第7中隊(7./Geb.Jg.Rgt. 206)
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軍務記録のページ。
1942年6月24日 -1942年7月15日: Ilmensee(イリメニ湖)で攻防戦に参加
1942年7月16日 -1942年8月15日: 戦線から離脱、ラップラント方面軍(第20山岳軍)の作戦区域に移動
1942年9月03日 -1944年9月02日: 北部フィンランドで戦闘配置
1944年6月10日 -1945年1月20日: 北部フィンランドで防衛戦 / 北部フィンランドから撤退、Lyngen-Narvik域へ移動
1944年9月15日 -1944年9月26日: a)Kuusamo東部で防衛戦 
1944年10月1日 -1944年10月8日: b)KemiとTornioで防衛戦
1945年1月21日 -1945年5月08日: ノルウェーに駐留

なかなかの経歴です。"Hoffmeister"の一員としてデミャンスクで戦い、その後フィンランド防衛に従事し、ラップラント戦争ではTornioの戦いにも参加しています。

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1944年6月-9月の第206山岳連隊の配置地図 (Courtesy of Simon.O)

続いてゾルドブーフです。
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ヴェアパスの写真は入営前の撮影なので私服姿ですが、ゾルドブーフの写真は軍服姿です。このページから1942年10月に一等兵、1942年12月に上等兵、1944年6月に兵長に昇進したことが分かります。
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こちらは武器と装備のページ。この兵士には狙撃銃(Zielfernrohr=Gewehr)が支給されていました。ちなみにKar.98Kと共に支給された狙撃スコープですが、ZF.39のような高倍率スコープでは無く、1.5倍率のZF.41と思われます。
高倍率のスコープは狙撃訓練を受けた狙撃手のみに支給されますが、この兵士のヴェアパスにはKar.98KとMG34以外に特別な訓練の記録がありません。一方でZF.41は狙撃手以外にも射撃の上手い兵士(日:選抜射手 英:Marksman/Sharpshooter 独:Scharfschütze)へ支給され、その場合は特別な訓練は行われませんでした。
※ZF.41の開発コンセプトについては相互リンクをさせていただいているKentomoさんのHPに詳しい説明があります。

しかしながら上等兵の身分でMP40が正式に支給されていることから、やはり狙撃手の可能性もあります。(狙撃兵には即応力向上の為、短機関銃が支給されることがあったようです)
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また一般装備のページには狙撃手に支給された「Tarnjacke」は無く、代わりに「Tarnnetz(迷彩ネット)」の文字が。
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ちなみにネットで見つけた情報ですが、第7山岳師団に支給された小火器は以下の通り。
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Zielfernrohrgewehre 182挺は、4倍率とZF.41合わせた数と思われますが、割合としては中隊当たり1挺と非常に少ない支給率です。

最後に受章履歴のページです。
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1943年8月21日に戦傷章(黒)、1944年8月5日に二級鉄十字章(E.K.II)、そして1945年7月31日にラップラント盾章(Lapplandschild)を受章しています。

1944年11月から勃発したラップランド戦争を対象戦役として、第20山岳軍のフランツ・ベーメにより提案された。ラップランド盾章はこの戦争で6か月以上「立派で役立った」人物に贈られる予定であった。
1945年2月に制定されたこの盾章は、正式に設けられた盾章としては最後のものである。制定された時期が終戦間近ということもあり、1945年5月以降も部隊の司令官によって授与されたが詳しい数は不明である。
ラップランド盾章は他の盾章と異なり、国家鷲章にハーケンクロイツが使用されていなかった。また、兵科を表す裏布も存在していなかった。

-「Wikipedia」より-
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ラップラント盾章のバリエーション。 (Courtesy of http://www.cimilitaria.com/branchindex.htm)

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ヴェアパスにもラップラント盾章の授章記録があります。(署名はHptm.Herbert Schmidt)こちらはブロック体で書かれていて分かりやすいですね。

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師団記録によれば第7山岳師団は撤退時には殿(しんがり)を務め、ノルウェーへ撤退したのは1945年1月でした。第206山岳猟兵連隊はノルウェーのトロンハイムで終戦を迎えイギリス軍に投降しました。

なお戦後ノルウェーで捕虜になったドイツ兵(主に工兵部隊)は、地雷の除去作業に従事し1945年8月までに350人が死亡したという記録があります。(デンマークで地雷除去作業を行ったドイツ兵の苦難ついてはこちら
ただしノルウェーにおいては連合国による強制ではなく、第20山岳軍のフランツ・ベーメが自ら指揮したという記録が残っています。(地雷を250個除去した兵士には二級鉄十字章が支給されたそうです)
10149206_725847184133924_1218162946_n.jpg 

ノルウェーで地雷除去作業をするドイツ兵


ノルウェーから引き揚げるドイツ兵


Weger兵長が生きて故郷で家族と再会できたことを祈ります。
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陸軍M34略帽 (Feldmutze 34) Part4

こんにちは、エーデルマンです。間違いなく定年時に2,000万円は溜まっていないと思いますが、死ぬまで働くのでOKです。(馬車馬)さて、本日はmixiで日記にしたM34略帽 (Feldmutze 34)をアップしたいと思います。

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こちらの略帽はライヒスヴェーア時代製となります。 このタイプ(以前の日記では1stパターンと名付けました)はM34略帽は1934年11月に導入されますが、ヴェアマハトに組織が改編した1935年には改装される為、きわめて短い期間のみ使用されました。
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赤い線で囲ったところが、1stパターンの製造期間。

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国家色のコカルデ(円形章)と兵科色のソータッシュ(山形ヒモ)が頭頂部に付いています。(当時はヴァイマール共和制なのでもちろんハーケンクロイツ付きの国家鷲章はなし)
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ソータッシュ(山型ヒモ)は、頭頂部から基部まで10cm近くあります。

M34_Reichswehr18.jpg
コカルデの裏側でソータッシュは折り返しになっています。

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フラップ前面にはM42略帽のようにボタンが2つ付けられていました。ちなみにボタンは機能しない飾りボタンとなります。 フラップはフィールドグレイ色の糸で本体に固定されています。
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記章以外、横から見たスタイルはヴェアマハト時代の陸軍略帽とあまり変わりません。

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内装はコットン製です。

M34_Reichswehr6.jpg
刻印 Uniform-Fabrik (制服工場)
KASPAR GREB(会社名)
WÜRZBURG(ヴュルツブルク)
55(サイズ)
M34(ミュンヘン補給廠 1934年)

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コカルデは金具を通してリングで裏側で留められています。

M34_Reichswehr19.jpg
こちらはこちらで紹介した初期の略帽ですが、鷲章の裏側に小さい穴が開いています。 この穴はコカルデを固定する穴の痕跡だったんですね。

M34_Reichswehr9.jpgM34_Reichswehr8.jpg
穴がかり金具。この穴は通気の為だけでは無く、帽子をかぶる際に穴から空気を抜いて頭にフィットさせる為と恥ずかしながら最近知りました。


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迷彩スモック(Tarnjacke)

こんにちは、エーデルマンです。5月は経済面や社会面で気分が滅入るようなニュースが多かったですが、6月に入って芸能界でおめでたいニュースがあって、個人的に少し気分が晴れました。

さて本日は国防軍・陸軍に支給されたフード付き迷彩スモック(Tarnjacke)を紹介します。なお武装親衛隊(W-SS)に支給されたフードの無いスモックと区別する為、アノラックと表現する資料もありますが、このブログでは防寒用のアノラック(パーカとも言う)と区別する為、敢えて"スモック"と呼ぶことにします。

Snipersmock1.jpg
薄いコットン製で野戦服の上に被るプルオーバータイプです。1943年に導入されたウォーターパターン(Sumpftarn 43)の迷彩柄がプリントされています。

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このスモックはリバーシブル仕様となっており、裏返して着れば白の迷彩パターンとなります。

Snipersmock16_201906081805255ba.jpg

このような被服が支給されるまで、前線ではスプリンターパターンのM31ツェルトバーンを着用したり、布地を利用し非公式に迷彩ジャケットを作って使用していました。

Snipersmock2-1.jpg
個々の兵士の体格に合わせて製造された前線仕立ての服とは違って、支給品は幅広いサイズに適合させる為、調整機能が付いています。このスモックにはウエスト(腰)とリスト(手首)で絞ることが出来ます。

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袖にはボタンが二つあり、袖口を絞ることができます。

Snipersmock9.jpg
ウエストとリストを絞った状態。 

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脇の部分には通気用のスリットが設けられています。

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ポケットでは無く、下に着た野戦服にアクセスする為のスリットのフラップ。RBNrとサイズ(II?)のスタンプがあります。

こちらのスモックは、コレクターの間ではスナイパー(狙撃手)用とされています。
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その根拠がこちらのカモフラージュネット。向こうが透けて見えるほど薄いレーヨン生地の布にウォーターパターンが印刷されています。なお、カモフラージュネットが無いスモックも存在していますが、取り外されたか最初から付いていなかったかは不明です。

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照準スコープ付きKar.98Kを構える狙撃手。カモフラージュネットで顔面を隠しています。
狙撃手に支給されたという正式な記録は残ってはいませんが、あるコレクターによれば狙撃手だった兵士のSoldbuchの支給品のページには「Tarnjacke」の項目があったそうです。

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狙撃兵学校で訓練を受ける兵士。全員ウォータパターンのスモックを着て、カモフラージュネットを付けています。

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最後に『最強の狙撃手』の中で主人公のゼップ・アラーベルガーが訓練を受けた狙撃養成員機関「ゼーターラー・アルベ」の壁に掛けられていた額縁の言葉で締めたいと思います。

狙撃兵は兵士のなかの狩人である!
その任務は厳しく、心身ともに完全無欠さが求められる。
揺るぎない自信と忍耐のある兵士だけが狙撃兵になれる。
全身全霊にて敵を憎み、敵を追いつめることでのみ勝利は可能となる。
狙撃兵たることは兵士にとって勲章である!
狙撃兵は姿を隠して闘う。
完璧なる偽装工作、猫のことき修敏さ、秀でた武器操作を発揮して、地形をインディアンのごとく利用するところに狙撃兵の強みがある。
自己の能力を信じることで確信と優越感が生まれ、成功が約束される。
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工兵用戦闘パック(Pioniersturmgepäck)

今日は去年の夏を思い出すような暑さですね。いつもブログにアップする写真は自宅のベランダで撮っているのですが、すっかり日焼けしてしまいました。
 
さて本日は前回の日記で予告した工兵用戦闘パック(Pioniersturmgepäck)の紹介です。戦闘梱包は戦闘パックは背嚢とサイドポーチで構成されたセットで1941年3月に導入されました。
  
Cutter18.jpg

まずは背嚢から紹介します。背嚢にはM31飯盒(Kochgeschirr 31)、M31ツェルトバーン(Zeltbahn 31)のほか、M39発煙(Nebelkerze 39)と工兵用爆薬(Pionier Sprengmittel)の一つ、3kg爆薬(Geballte Ladung 3kg)を収納することになっていました。
Pi-pack2.jpg
コットン製で寸法は縦40cm x 横20cm x 奥行20cmです。Aフレーム(Gefechtsgepäck für Infanterie Schützenkompanien)のようにDリングでYサスペンダー(Koppeltraggestell fuer Infanterie)に取り付けます。
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背景のサイドビュー。左側には3kg爆薬と弾幕を入れるポケット、右側にはスコップを取り付ける為のストラップがあります。
Pi-pack7-1.jpg
Pi-pack8-1.jpg
サイドのポケットの蓋はU字金具にウェブストラップを通して固定します。
上部のポケットの内寸は17cm、下部は15cmです。なお規定ではM39発煙は上側、3kg爆薬は下側のポケットに収納することになっていましたが、上下共にに3kg爆薬を入れることもできます。

Pi-pack27.jpg  
こちらが3kg爆薬(Geballte Ladung 3kg)。縦19.5cm x 横16.4cm x奥行7.6cmの亜鉛製のケースに3kgの爆薬が詰められています。

Pi-pack28.jpg

「H.Dv.316 Pionierdienst aller Waffen (All.Pi.D.) vom 11.2.1935」内のイラスト。右側に信管を取り付けるソケットに封止が貼られているのが分かります。

s-l1600.jpg
下側のポケットの蓋が開いており、中に3kg爆薬が入っているのが分かります。
Pi-pack4.jpg
背嚢の背中に当たる部分には折り畳んだツェルトバーンが収納できます。
Pi-pack5.jpg
背嚢の上部には飯盒専用のポケットがあります。爆薬と飯盒という組み合わせにはかなり違和感・・・。

Pi-pack25.jpg 
ウェブ製のストラップにはハトメが5つあり、バックルで固定します。
 
続けてサイドポーチの紹介です。

Pi-pack11-1.jpg  
サイドポーチはウエストベルトの弾盒(Patronentaschen)の位置に取り付けます。

本来、サイドポーチは左右同じメーカーでストラップで連結されていますが、残念ながら連結ストラップは切り取られています。これは片方のみ使いたい場合に兵士がナイフなどで切ったと思われます。ちなみに上記はそれぞれメーカーが違います。
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(Courtesy of http://www.mp44.nl/)
こちらはTom氏からお借りした画像で、左右連結されているオリジナルな状態です。

Pi-pack10.jpg
左側のポーチには1kg爆薬(Sprengbüchse 24)とクリップに装填した7.92x57mm小銃弾を20発収納します。

Pi-pack29.jpg 

こちらは1kg爆薬(Sprengbüchse 24)。縦20cm x 横7.5cm x奥行5.5cmの亜鉛製のケースに1kgの爆薬が入っています。

Pi-pack30.jpg 
信管ソケットは3か所あります。(爆薬は他にもいくつか種類があり、別途記事にしたいと思います)
Pi-pack12.jpg
中は仕切られており、1kg爆薬が2つ収納できます。

Pi-pack13-1.jpg 
小銃弾用ポケットには合計20発入ります。

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右側のポーチには3kg爆薬、ガスマスク、左側と同じく小銃弾が20発を収納します。

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メインのポケットには3kg爆薬が1個収納できます。 
Pi-pack14.jpg
手前のポケットにはガスマスクを収納します。
Pi-pack15-1.jpg 
内側はゴム引きで防水加工されています。

Pi-pack33.jpg  
こちらのポーチのストラップは大変珍しいタイプで工兵用ポーチ以外に末期の水筒にも使われています。
協力:牛島えっさい氏

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サイドポーチには爆薬の代わりに手榴弾を入れることもありました。

スタンプ
Pi-pack18-1.jpg 
Pi-pack19-1.jpg 
Pi-pack20.jpg 
上から背嚢、左側、右側のサイドポーチに押されたスタンプ。当然メーカーが違うのでバラバラです。
Pi-pack1-1.jpg
工兵用戦闘パックと他の装備をYサスペンダーとウエストベルトに取り付け工兵装備を再現しました。

Pi-pack34-1.jpg
こうやって実際に着装してみると、連結されたサイドポーチは非常に取り付けにくく、ついストラップを切りたくなる気持ちが分かります。(肩章が歩兵科ですが、気にしないで下さい)


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Pi-pack36-2.jpg


改めて連結されたサイドポーチと工兵用スコップが欲しい・・・。


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小火器工具セット(Waffenwerkzeugsatz)

だいぶ暖かくなりましたね。苦しかった花粉症もおさまり、気軽に外出できるようになったエーデルマンです。気が付けば平成もあと10日ほどですね。振り返れば平成元年は二十歳になったばかりでした。当時は携帯もインターネットも無く、個人がブログで情報を発信できるなど夢にも思いませんでした。令和になって、どんな技術が発達するか分かりませんが、変わらずドイツ軍装趣味は続けていきたいと思います。

さて平成最後(ついに言えた!)のアップは小火器用工具セット(Waffenwerkzeugsatz)を紹介します。

1_KWZK.jpg

こちらは小火器=地上部隊が使う火器のうち、歩兵部隊が使用するもの、特に兵士1人で携帯操作できるものを言う (by Wikipedia)の整備や修理に必要な工具をコンパクトにまとめたセットです。

2_KWZK.jpg
外観は、普通の弾薬箱です。

3_KWZK.jpg
弾薬箱の蓋を開けると工具収納ケースが入っています。なお、外から工具セットと分かるように、側面に"Werkzeugkasten"や"Werkzeuge"とステンシル或いは手書きされている弾薬箱もあります。

30_KWZK.jpg
取手を使って、工具収納ケースを引き出します。

4_KWZK.jpg
本体は薄い板金製でコンパクトに折り畳めるようになっています。
5_KWZK.jpg
収納ケースを広げると、様々な工具が収められていることが分かります。


39_KWZK1.jpg
裏面。上下に補強用のリブがあります。蝶番で開閉するようになっています。

それでは、工具を一つずつ見ていきたいと思います。
・・とその前に、
22_KWZK1.jpg 
工具を外した状態がこちら。白いペイントで工具のシルエットが描かれており、使った後に戻す場所が一目瞭然です。
46-2_KWZK.jpg
こちらは44年製の収納ケース。ダークイエローで塗装されており、シルエットは黒いペイントです。


32_KWZK.jpg
まずは向かって右側の工具類から紹介していきます。

■手万力(Handschraubstock)
6_KWZK.jpg 
ねじを締めたりする時に手だけでは対象物を押さえきれない時に使用します。
7_KWZK.jpg 
ハンドルと固定部分には滑り止めのチェッカリングが入っています。対象物を挟んでネジで締め付けます。

■両口スパナ(Doppelschlüssel)
8_KWZK.jpg 
サイズ30/36でMG34やMP40のナットの取り外しに使います。同じものがMG34ガンナーズポーチにも入っています。

■モンキーレンチ(Einstellbare Schlüssel)

10_KWZK2.jpg
現代のモンキーレンチとは形状が違いますね。

11_KWZK2.jpg  
親指のところを押し込むとアゴの間隔を自由に調整できます。銃器メーカーの"MAUSER"の刻印があります。

■ポンチ(Schlag)とねじ回し(Schraubendreher)


12_KWZK3.jpg   
ポンチはねじがバカになった場合、溝を再構築する際に使用します。ねじ回しはKar.98やMG34のネジに合致するサイズとなっています。

■小型プライヤー(Kleine Zange)

14_KWZK3.jpg   
全長11cmで先端が尖っています。ネジなど小さな部品を摘まむ場合に使用します。



33_KWZK.jpg

次に向かって左側の工具類です。

■ノギス(Messschieber)
18_KWZK9.jpg
現代のフォルムとはほとんど一緒です。センチとインチの両方で計測できるようになっています。残念ながら、このノギスは深さを測るデプスバーが欠落しています。

■鉄工やすり(Raspel)

16_KWZK.jpg

各種やすりの刃は平形、半丸形、三角形の形状に単目、複目となっています。

15_KWZK.jpg
ハンドルのサイズは大中小。

17_KWZK.jpg 
やすりの刃とハンドルと結合した状態。ドイツと言えども削り合わせが必要な場合もあったのでしょう。

■金槌(Hammer)
19_KWZK2.jpg

金槌はポンチを叩く場合に使用します(あるいは昭和のテレビのように叩いて機関銃を直すこともあったのかも?)

■プライヤー(Zange)
21_KWZK.jpg 
全長16cmでこちらは先端部分に滑り止めのチェッカリングが入っています。

工具収納ケースの中央には、引き出し付きの収納ボックスがあります。
26_KWZK2.jpg
この収納ボックスはスライドすることで本体と切り離せるようになっています。

43_KWZK.jpg
左側の状態ではロックがかかり、右側のように水平に倒さないと引き出しは開閉できないようになっています。
24_KWZK1.jpg
清掃用のワイヤーブラシやピンポンチ、MG34リアサイト取り外し専用工具などが入っています。
23_KWZK1.jpg
こちらの引き出しに入っているのはVerschlußschraube(ねじ回し)や、MG34 エクストラクター取り外し工具などです。

40_KWZK.jpg
収納ケースの裏側にも収納スペースがあります。(何を収納するか情報が無く、写真の状態が正しいかどうかは不明です)

ところでこちらの工具セットはKleinen(小型)Waffenwerkzeugsatzとも呼ばれていますが、Große(大きな)工具セットも存在しています。

下記は資料本『PROPAGANDA SERIES』の「Vol.1 THE K98k RIFLE」に掲載されている写真ですが、注釈では壁際に置かれている木製の箱が"Grosse(Große) Waffenmeisterkiste fur MG und Handwaffen"となっています。
31_KWZK.jpg
確かにGroße(大型)ですね。ちなみにGroßeがWaffen(武器)を形容すると、重火器となりますが、その後にfur MG und Handwaffenとなっているので、こちらも小火器用になります。

こちらはネットで拾った画像です。
37_KWZK.jpg
箱には"gr.=Große Waffenmeisterwerkzeug für M.G. und Hdw"とスタンプされています。

34_KWZK.jpg
資料本の工具箱と形状は違いますが、大型です。

こちらは中身。
35_KWZK.jpg
パネルには工具の形に合わせて収納スペースがあり、それぞれ番号がふられています。ノギスやプライヤー、ねじ回しはkleinen Waffenwerkzeugsatzと共通しています。

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左側には拳銃用工具弾、右側にはMG08と刻印された工具が収納されています。

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大型の万力のほか、小型工具セットに含まれている手万力や金槌があります。

以上、大・小の武器工具セットの紹介を終わります。次回令和第一弾の記事は、戦闘工兵のアイテムをアップする予定です。


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脳内の99%をドイツ軍が占めている、そんなアラフィフ親父です。
注)当時のドイツ軍の装備・生活用品に興味がありますが、特定の団体・思想を支持するものではありません。

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