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M43 野戦キャリングフレーム (Tragegestell 43)


こんにちは、エーデルマンです。暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
しかし、まだ8月の初旬なんですね。(^_^;) 私は極端に暑さには弱い体質なので、一日も早く秋になって欲しいです。

さて本日はドイツ軍歩兵部隊が使用したM43野戦キャリングフレーム(Tragegestell 43)をアップします。
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名前については無理にドイツ語から翻訳せず、“トラーゲゲステル 43”とドイツ語のままでも良かったんですが、この形を見た瞬間、古き良き時代の「フレームザック」が脳裏に浮かんだ為、"フレーム"は外せないと判断、最終的に弊ブログでは「M43野戦キャリングフレーム」としました。

ちなみに同時に浮かんだ「背負子」も命名候補に挙がりましたが、"野戦"という言葉も使いたかったので、二つ繋げて"野戦背負子"というのもしっくりこなかったので却下しました。

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M43野戦キャリングフレームは、1939年に採用された上記のTragegestell 39が原型になっていると言われていますが、M39の方は用途が迫撃砲弾の運搬に限定されており、フレームの形もかなり違います。

それではM43野戦キャリングフレームを詳しくみていきましょう。

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M43野戦キャリングフレームは文字通り金属製フレームにウェブストラップの組み合わせの背負子で、個人装備では無く分隊装備を運搬する為に導入されました。

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本体の寸法は上記の通り。背中全体で背負う感じですね。装備を固定するストラップは縦に一本、横に着脱式が一本付属しています。(横方向のストラップは複数装着可能)ウエストベルトは腰に結び、荷物が上下左右に振られるのを防ぎます。

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フレームの底部には荷物を支える為のバーがあります。

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この写真のキャリングフレームには弾薬箱M42柄付き手榴弾、コミスブロートが括りつけられています。

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こちらは上と同じ兵士を背後から撮影したものですが、縦横4本のストラップで固定していることが判ります。

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ストラップは着脱可能で搭載する装備の数に合わせて追加することが出来ます。
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フレームの反対側には、背中に当たらないよう幅広なウェブ製ストラップが使用されています。しかし物資不足が深刻になる43年に採用された割には貴重なコットンが大量に使われているなぁという印象です。
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思い装備を搭載しても肩に食い込まないよう、ショルダーベルトは幅広になっています。シルエットは内蔵サスペンダーと似ていますね。

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腰に当たるベルトは長さの調整が可能。

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ショルダーベルトは即座に着脱出来きるよう片方の金具はロブスター爪留め金になっています。

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上下に渡るストラップの基部に付いているバックルですが、これに対応するストラップは無く用途は不明です。



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「bvk 1944」とアムトマークのスタンプがあります。
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ストラップの保護金具にはLUXの刻印。

最後に実演ということで、弾薬箱を括り付けてみました。

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工兵用鋸(Stichsäge)

こんにちは。3連休の中日、どうお過ごしでしょうか?ついに気温は35℃を突破、外出する気力も無く、家でのんびりと録り溜めたビデオでも見ようと思っています。

さて、本日は工兵部隊に支給された鋸(Stichsäge)を紹介します。

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陣地構築の際の部材の切り出しや、ワイヤカッターでは対応できない太さの線や鉄条網の支柱を除去するのに使用されました。サイズは全長55cmでブレード部は42cmです。

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刃は47山で両目に付いており、引いても押しても切れるようになっています。粗目の為、どちらかと言うと木材向きのようです。

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ブレードにはメーカー“WINTERHOFF & CO”と陸軍(Heer)に1941年に納品された“H 1941”、アムト“WaA”の刻印があります。
 

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ハンドルは力の入れやすい洋ノコ型です。リブ入りプレス加工のスチール製、握り部分は木製です。

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こちらはウエストベルトに鋸を吊り下げて携行する為のカバーです。中央には銃剣の鞘を通す為のループもあります。ベルトと銃剣ループは牛革、本体は人造皮革(圧縮されたボール紙製)で作られています。

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本体ブレードの収納部は木製でそれを人工皮革で覆っています。

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ブレードを収納した状態。

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口金部分はプレス加工のスチールで補強されています。


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ベルトループの部分には、“kkd 1942?”の刻印があります。"kkd"は「Wilhelm Stern, Lederwarenfabrik, Posen」のメーカーコードと思われます。小さな穴が開けられていますが、こちらについて後述します。

一般的な携帯方法。銃剣と一緒にウエストベルトに取り付けてみました。
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うーん、カッコいい。しかし、この装着方法だと先端が膝まで達してしまう為、屈伸運動がしづらそうです。

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まるでサーベルのようです。戦闘工兵の場合、「“Hinlegen!”、“Auf!”、“Masch!”」が多そうなので大変だったと思います。(というのは現代の感覚でしょうけど・・・)

で、この収納カバー、よく見ると穴が二つ開けられています。

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大戦中に開けられたもの(と信じたい)だとしたら、背負い紐を付ける為の穴ではないでしょうか?

<合成イメージ>
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これだと邪魔にならないし、忍者みたいでカッコいいです。


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FF33野戦電話(Feld Fernsprecher 33)

こんにちは、エーデルマンです。今回はFF33野戦電話(Feldfernsprecher 33)を取り上げたいと思います。野戦電話は工兵限定のアイテムではありませんが、電話線の敷設作業は工兵部隊が行っていたということで、工兵のカテゴリーに入れたいと思います。
歩兵連隊所属の通信小隊(Nachrichtenzug)が行っていたようです。
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FF33野戦電話は1933年に採用、1934年に部隊配備されます。24社で製造され終戦後もドイツ連邦軍の他スイス、ノルウェーなどで1970年代まで使用され続けます。

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【ケース外部】

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電話は横28cm x 高さ21cm x 奥行10cmのベークライトのケースに収納されており、重さは約5kgです。
正面には開閉ラッチ、その下には通信機や副電話機に接続するためのソケットとカバー、呼び出しベルのスリットがあります。

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防塵カバーを開くとソケットが露出します。

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無線機に接続することができます。


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裏にもベルのスリットがあり、蓋と本体を接続するヒンジが全体に取り付けられています。
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蓋の上部には、電話機固有の番号やコールサインが書き込める空白のパネル、フォネティックコード(おなじみ"アルファ"、"ブラボー"、"チャーリー"のドイツ軍版)の表があります。

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空白のパネルには簡単に消せるよう鉛筆で記入します。ドイツ軍のフォネティックコードはドイツ語圏の典型的な名前。ちなみに独ドラマ『ジェネレーション・ウォー』の登場人物の名前、Whilhelm、Fiedrich、Victor、Charlotteはフォネティックコードから取ったものと思われます。

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キャリングストラップ用のノッチが両サイドに、右側にはクランクポートがあります。

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最初クランクポートがねじ式になっているのを知らず、いくらハンドルを引っ張っても抜けないので焦りました。
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映画でもおなじみの「グルグルグル」ですね。発電機(ダイナモ)で電気を発生、接続先の野戦電話のベルを鳴らします。ちなみに1秒間に3回まわすと70-100V発生させることができるようです。

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発電機のイラスト。野戦電話が非常に重いのはこの発電機が原因です。

【ケース内部】

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開閉ラッチを解除して蓋を開けるとハンドセットが鎮座しています。
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上蓋の裏側には回路パネルとハンドセットを固定する板バネがあります。

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上蓋の裏側には回路図のプレートがあります。左側は1.5Vバッテリーからハンドセットまでの回路図、右側は発電機から呼び出しベルの回路図になっています。

【ハンドセット】
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ハンドセットはケースと同じくベークライト製。コードの長さは118cmです。

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握りの部分がスイッチ(PTTボタン)になっていて、バッテリー温存の為、押している間だけ通電しこちらの声が相手に届くようになっています。
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本体に接続するプラグでこちら側には回路図の刻印されています。
1番と5番ピンはハンドセットへ、2番と4番ピンは電話へ接続。

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反対側には製造年号の刻印。コネクター上部にあるのは引っ張る為のリングです。

【内部詳細】 
 
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トップパネル左がバッテリーボックス、中央が接続コネクタープレート、クランクハンドル、右がハンドセット受けです。左の淵はゴム張りされたスリットがあり、配線接続したままでもケーブルを圧迫せずに蓋を閉められるようになっています。

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屋外では、雨や砂などが入らないよう蓋を閉めて使用することとされていました。

【バッテリーボックス】

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バッテリーボックスはスチール製の蓋を開け、1.5Vの角型バッテリーが収納できるようになっています。蓋の裏側にはバッテリーの+-の電極を接続する端子があります。

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標準的な野戦電話用バッテリー。(写真はお借りしています)

【コネクター部】

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上からハンドセットのソケット、その下には電話/アース線を接続するスクリュー式の端子があります。"La"(Leitung a)通信線用、"Lb/E"(Leitung b/  Erde)はアース用です。右には呼び出しベルのテストボタン "Prüftaste"、ヘッドセットのソケットが配置されています。発電機用のクランクハンドルは取り外すことができます。

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ハンドセットの送話部の部分が窪みになっています。その下にはシリアルナンバーと製造年の刻印があります。

razrez.png   
野戦電話の外ケースを取り除くと内部はこのような構造になっているようです。(写真はお借りしています)

 
【使用手順】

1. 電話を安定した場所に設置
2. 開閉ラッチを解除して蓋を開ける
3. ハンドセットを外す。その時コードはケースの淵のゴム張りのスリットにかかるようにする
4. クランクハンドルを外して右面のクランクポートに接続する
5. 上部のスクリュー式端子(La、Lb/E)を緩める
6. アース線をLb/E端子に接続
7. 電話線をLa端子に接続
8. ハンドセットコードと電話/アース線がゴム張りのスリット上に乗っていることを確認
9. 蓋を閉める
10. ハンドセットを耳にあて、スイッチ(PTTボタン)を押しノイズが増幅されるのを確認
11. クランクハンドルを回し相手側のベルを鳴らし、返答を待つ

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当時、野戦電話は精密な電子機器という扱いで直接地面には置かず、ツェルトバーンや毛布の上に置くことが望ましかったようでです。

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こちらの写真には、地中にアース棒を刺してアースを取る様子が写っています。

【ケーブルスプール】

最後にケーブルスプール(Abspuler)をアップします。
  

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こちらは電話線を敷設したり巻き取る場合に使用するスプールです。

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ビーレフェルトのNIRONA製造所1937年製です。 他にもアムト"WaA433"が刻印されています。

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通話距離は電線の種類によって違いますが、最短で3km、架空かつ特殊なケーブルを使えば120kmまで延長することが可能でした。
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現在市販されている電池やケーブルを使って機能を再現することが可能なようです。いつか実現してみたいですね。


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大型ワイヤーカッター(Große Drahtschere)

ご無沙汰しております。世の中は悪質タックル問題が取り沙汰されていますね。実は私も大学時代にアメフトに近い接触の激しいスポーツをやっていまして、「潰してこい」という指示は、やはり「ケガさせるくらいハードにいけ」という意味でした。ただし「潰しにいく」のはあくまでプレイ中のことであって、プレイ後にあんな行為をしたら即刻退場でしたし、チームの名誉を汚したということで試合後にコーチや上級生からボコられるのは必然でした。(それはそれで問題ですが・・・)
監督やコーチが会見でそんなつもりで言っていないとか、反則の瞬間を見てなかったなど説明していましたが、一回目の反則の後も出場させ続けたのは、故意にケガさせるつもりであったことを認めたも同然だと思います。

旬のネタで前置きが長くなってしまいましたが、本日は以前から「やるやる」と言っていた工兵のアイテムをアップしたいと思います。

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こちらは本日のネタ、工兵が鉄条網の切断に使用した大型のワイヤカッター(Große Drahtschere)です。

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陣地の前面に構築され敵歩兵の侵入を防ぐ鉄条網は、日露戦争や第一次大戦で大々的に使用され「戦車・機関銃」と共に世界三大発明と言われています。陣地攻撃をする際、まずは工兵が先頭に立ちワイヤーカッターや爆薬を使って鉄条網の破壊作業を行います。

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トーチカを攻撃する戦闘工兵部隊。

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ワイヤーカッターと工兵。

ワイヤーカッターについての記述は少ないですが、こちらが参考となります。

“グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944

グロースドイッチュランドの各歩兵中隊には火焔放射器が2個ずつ装備されていた。これは同師団の特権であった。ソ連軍は市外戦の名人で、特に戦争前半の後退戦では、本隊が撤退してからかなり経っても狙撃兵や工兵のチームが残っているなど、非常に巧みなところを見せている。村落や市街地を区画ごとに手早く効率的に掃討するには、歩兵工兵中隊から送り込まれる特殊技術兵の分遣隊(火焔放射器や爆薬、ワイヤーカッター、自動火器などを豊富に備えていた)が最も適任だった。

-グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944より-



それでは、ワイヤーカッターの詳細を見ていきましょう。

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ワイヤーカッターの寸法は横63cm、縦14.5cmでマニュアルと同じでした。

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ハンドルを開き、梃子の原理でワイヤー(有刺鉄線)を押し切ります。
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カッターの先端にはガイド部があり、ワイヤーを確実に刃に到達させるような構造になっています。なお本来はカッターの刃はピッタリと閉じているはずですが、何故かこのカッターは隙間があります。

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刻印があり、WaAマーク、メーカー名は不明ですが"Solingen"と"1937"、陸軍の所有物を意味する”H"の文字が読み取れます。

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ハンドル部分はベークライト製で、上部にはリング状のストッパー当てが別パーツで付いています。

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ハンドルの端は小豆色のベークライト製で、色はワルサーP38のグリップに似ています。

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このワイヤーカッターは、車載用として有名ですが、携帯する為の収納ケースも用意されています。
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収納ケースの本体はウェブ製。全長は68cmでワイヤーカッターがすっぽりと収まるサイズです。背面にはベルトループがあり、ウエストベルトに装着できます。

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蓋側の穴にスナップで留める簡単な仕様です。

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ワイヤーカッターの先端が当たる部分は本革で補強されており刻印があります。

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WILH. BRAND
HEIDERBERG
  1937
 WaA 204
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工兵関連のアイテムは工具系はノコギリや斧、スコップ、装備系は背嚢やサイドポーチがありますが、いずれも人気があってあまり市場には出てきません。また収納ケースは特にレアで見つけても本体よりも高い(場合によっては数倍)とコレクター泣かせのアイテムです。

ケースが揃うのを待っていたらいつまでたっても更新できないので、本体を見つけたらとにかくゲット、収納ケースは後付けという形で紹介していきたいと思います。

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クールラント従軍カフタイトル (KURLAND Ärmelband)

 GWも後半戦、皆様いかがお過ごしでしょうか? GW中ゲームばかりしているのも不健康なので、どこか近隣の低山にでも登ろうと画策していましたが、天気も不安定ですし、どこに行っても人ごみなので断念しました。
山登りほどでは無いですが、このような趣味のブログの更新も写真撮影やら調べものやらで意外とパワーを消費します。特に戦史が絡むと自分の知識不足を補う必要がある為、通常の3倍くらい時間がかかってしまいます。

ということでGWの時間を利用して以前から記事にしたかったクールラント従軍カフタイトル(KURLAND Ärmelband)について書きたいと思います。

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まずはカフタイトルのロゴになっているクールラントという場所やそこで行われた戦闘について、Wikipediaを引用しながら確認していきます。

クールラントというのはラトビア西部地方の名前で、現在はラトビア語でクルゼメ(Kurzeme)と呼ばれています。

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この地域にはもともとバルト語系のラトビア人支族のクール人が住んでいましたが、13世紀に起こった神聖ローマ帝国の東方植民によりドイツ騎士団領の一部となった後は20世紀までドイツ人による実効支配が続いていました。

クールラントは13世紀始めにドイツから攻め込んだリヴォニア帯剣騎士団に征服され、1237年にドイツ騎士団領に吸収された。また沿海地域の一部にはクールラント司教区が設置された。クールラントはリヴォニアの他地域と同じくドイツ人の入植地となり、入植者とその子孫はバルト・ドイツ人と称された。その社会構造は、バルト・ドイツ人の支配階層がラトヴィア人農民を支配する、典型的な植民地型である。この構造は20世紀に至るまで長く続いた。

-Wikipediaより-
 
1941年にソ連侵攻(バルバロッサ作戦)が始まると北方軍集団がバルト三国を占領しますが、1943年2月にドイツ軍がスターリングラード攻防戦で降伏した後は、ソ連赤軍による反攻が始まりドイツ軍は徐々に西へ押し戻されます。そして1944年6月22日には大攻勢“バグラチオン作戦"が発動、その後1944年秋にバルト海沿岸部での"バルト海攻勢"が始まり、北方軍集団は中央軍集団と分断されクールラント半島に閉じ込められてしまいます。(クールラント・ポケット)

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ドイツ国防軍陸軍参謀総長ハインツ・グデーリアンは即刻、軍を撤収させ、ソ連軍が迫る中央ヨーロッパに配備しなおすべきだと主張した。しかし、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはこれを拒絶、(中略)ヒトラーが軍の撤退を拒否したことにより、クールラントで包囲された軍は再編成され、およそ200,000の将兵が25個師団に再編成、第16軍、第18軍が創設された。(ただし、一部の情報では、31個師団と1個旅団という説もある。)包囲されたとはいえ、彼らはいまだソビエト赤軍の北方側面における脅威であった。

-Wikipediaより-
 
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1944年の戦線(赤)と1945年の戦線(黒)。

1944年10月10日から1945年4月4日までの間に、クールラントをめぐってドイツ軍とソ連軍は激しい攻防戦を展開、大規模な戦闘は全部で6回あったと言われています。

1回目:1944年10月27日-1944年11月7日
2回目:1944年11月20日-1944年11月30日
3回目:1944年12月23日-1944年12月31日
4回目:1945年1月23日-1945年2月3日
5回目:1945年2月12日-1945年2月19日
6回目:1945年3月17日-1945年4月4日

なお、3回目の戦闘の後、1945年1月15日に北方軍集団はクールラント軍集団と改名されます。
クールラント軍集団をせん滅しようとソ連赤軍は猛攻撃を加えますが、文字通り背水の陣となったドイツ軍将兵は、死に物狂いで戦います。その結果、ソ連軍は多大な損失を出しただけで作戦はすべて失敗に終わりました。

ラトビアの記録では、ソ連の指導者で軍最高指揮官のスターリンがクールランド半島へ度重なる攻撃を命じ、その損失は無視されたともされている。3月16日におけるドイツの公式記録によると、ソビエト赤軍はクールラント半島における5回の戦闘で死傷者、捕虜、約320,000人、2,388両の戦車、659機の航空機、900門の砲、1,440丁の機関銃を失ったとされる。ソビエト赤軍は6回目と最後の戦いで捕虜となった将兵、553名と74,000人を失ったと推定しており、合計で捕虜、死傷者約390,000名となる。

-Wikipediaより-
 
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クールラント軍集団の兵士(1945年2月17日撮影)

包囲下の劣悪な状況で獅子奮迅の戦いを続ける兵士の戦意高揚を目的として、当時のクールラント軍集団司令官ハインリヒ・フォン・フィーティングホフ上級大将の要請により、総統ヒトラーは1945年3月12日にクールラント従軍カフタイトルの制定を許可します。

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クールラント従軍カフタイトルの授章資格は以下の3つ。

・戦闘のうち少なくとも3つに参加
・戦闘で負傷
・直接の戦闘に関わらなくても、作戦に3か月間従事

包囲下の兵士に授与する為、多くのカフタイトルはかつてのクールラント公国の首都であり、クールラント軍集団司令部のあったクルディーガ(Kuldiga)の 織布工場で生産されました。

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現地製造のカフタイトルは縦3.5cmx横22cmでカフタイトルとしては短いことが特徴です。(通常のカフタイトルの長さは35-40cm)短い理由は物質不足の為と言われていますが、真偽のほどは不明です。
なお、ドイツ本国で生産されたカフタイトルも存在しています。デザインは同じですが文字がエンボス加工がされており普通の長さとなっています。

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KURLANDを挟んで左側にはドイツ騎士団の紋章、右側にはクールラント公国の首都であったミタウ(Mitau)の市章であるヘラジカがデザインされています。

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現在のイェルガヴァ(旧ミタウ)の市章

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カフタイトルの裏側。黒い刺繍糸で横方向に縫い込まれており、模様が白黒反転しています。

クールラント軍集団は最後の一兵まで戦い続けようとする中、ソ連軍は首都ベルリンを攻撃、1945年4月30日に総統ヒトラーは総統地下壕で自殺し、5月8日にはついにナチスドイツは連合軍に対して無条件降伏します。

カール・デーニッツは、クールラント軍集団最後の司令官カール・ヒルペルト上級大将に対して、ソビエト赤軍に降伏するよう命令、ヒルペルトと指揮下の軍司令部要員はレニングラード方面軍司令官レオニード・ゴヴォロフ元帥に降伏した。この時点における軍集団の残存兵力は、27個師団と1個旅団であった。

同日、ラウザー将軍はより有利な降伏条件を得ることに成功した。翌9日から、ソ連軍はクールラント軍集団の司令部要員の尋問と、一般将兵の捕虜収容を開始した。

5月12日までに約135,000名が降伏し、捕虜収容は5月23日に完了した。バルト海戦区全体で約180,000名のドイツ軍将兵が捕虜となり、その大半は、まずヴァルダイ丘陵の捕虜収容所へ送られた。
-Wikipediaより-
1944年10月の包囲開始時に20万人いた兵士が13.5万人になったということは、単純計算で6.5万人が戦死・行方不明あるいは負傷により本土へ移送されたということになります。(あくまで本国からの増援無しという前提ですが)一方でソ連側の捕虜・死傷者はドイツ軍の6倍の39万人となっています。精鋭部隊がベルリン侵攻に回されていたとしても、このキルレシオはあまりに大きく如何にドイツ軍の防衛線が強固だったかということが分かります。

9日~12日の間に将軍28名、将校5,083名を含む総勢140,408人が降伏した。同期間に引き渡された物資は、航空機75機、戦車・自走砲307両、砲門1,427門、迫撃砲557門、重機関銃3,879丁、小銃・軽機関銃52,887丁、装甲兵員輸送車219台、無線機310台、車両4,281台、牽引車両240台、輸送用台車3,442台、馬14,056匹であった。

-Wikipediaより-

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降伏後一か所に集められた戦車。鹵獲されたT-34やSU-85、シャーマン中戦車が映っています。

クールラント従軍カフタイトルが個々の兵士に渡される頃は、ドイツの敗北は決定的になっており、ほとんどの兵士は名誉よりも故国への生還を強く願っていたと思います。降伏する前に司令部は記録をすべて焼却、また将兵もロシア兵の報復を恐れ、カフタイトルなどの戦功章やその勲記、授章履歴が書き込まれたSoldbuchなどは破棄したと思われます。よって、どれくらいの本数が生産・授与されたのか、今となっては知る術はありません。

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現存しているわずかな写真のほとんどは、戦闘支援を行った海軍・空軍の将兵もしくはクールラント・ポケットから海路で搬送された第16、第18軍の兵士を撮影したもので、いずれもドイツ国内で撮影されたものとなっています。ちなみに上記写真の兵士はドイツ国内で製造されたカフタイトルを着用しています。


泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート
宮崎 駿
大日本絵画
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なお敗戦の日に行われたクールラントからの脱出劇については、「泥まみれの虎ー宮崎駿の妄想ノート」に"実録・脱出行"として書かれております。

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空路ではユンカースJu 52輸送機35機がノルウェーから飛来、負傷兵を乗せドイツ本国へ向かいますが、うち32機がソ連機に撃墜されドイツへたどり着けたのは3機のみという悲惨な結果に。

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海路においてはドイツ海軍による護送船団が編成され、難民・将兵を甲板までぎっしりと詰め込んで5月8日の夜半にリーバウ・ヴィンダウから出港。途中、ソ連の爆撃機や魚雷艇が幾度となく襲い掛かりますが、船団の多くは4連装20mm高射機関砲、88mm高射砲を装備しており、これに応戦、撃退します。戦闘で多数の被害者を出しながらも、船団は5月10日から11日にかけてキール港への入港に成功しました。

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クールラント・ポケットに最後まで残り投降した兵士には捕虜収容所での過酷な生活が待っていました。彼らは森林伐採や石炭採掘などの労働を強いられ、多くの兵士が故郷に戻れたのは終戦から4年半も経ってからでした。


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チェス(Schach)

ご無沙汰しております。GWはいかがお過ごしでしょうか?
ドイツ軍とは何の関係も無い話で恐縮ですが、最近PS4の『モンスターハンター:ワールド(MHW)』が面白くてかなり嵌っています。モンスターハンター(通称モンハン)は、文字通りモンスター(恐竜とか龍、怪獣などの大型生物)を狩るゲームなのですが、2004年の発売以来、シリーズ化されており本作は最新作となります。

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無印といわれるPS2版の初代から、PSP版のMH2G(2008年)、オンライン版のMHF(2013年)と結構やり込みましたが、武器や防具を作る為の素材集めが作業になってしまっており、また狩りに持っていくアイテムの調合など事前準備が面倒でその後のシリーズには手を出していませんでした。
ところが最新作のMHWはシステムを一新、面倒臭さを排除し、より狩りの楽しさに集中できるよう改良されています。相変わらず素材集めも必要なのですが、作業にはならないよう工夫されていて、最終形態の武器・防具までサクサクと進むことができました。今は大剣使い(たまにランサー)なのですが、これまで手が出せなかった武器、ボウガンや弓などの飛び道具にも挑戦してみたいと思っています。

前フリが長くなってしまいましたが、このブログの趣旨であるドイツ軍に話を戻します。今回はドイツ兵が楽しんであろう当時も今もゲームの王様、チェス(Schach)を極々簡単にアップします。
28681798_2012052914_80large.jpg
携帯用の箱に入った"Dame und Mühle"(チェスとミル)です。紙製のチェス駒と折り畳みのチェスボードが入っています。箱の表にはチェスに興じている兵士のイラストが書かれています。"Ein Gruß aus der Heimat”(故郷からの挨拶)という文字通り、兵士への慰問用となっています。なお左側の兵士のセリフは「チェックメイト!!」。
なお、バリエーションとして色違いのバージョンや、野戦郵便(Feldpost)で送れるよう箱自体が野戦郵便小包になっているタイプもあります。

28681798_2012052912_49large.jpg 
チェス盤を広げ、駒を並べてみました。ちなみに私はチェスについては何も知らないので、並べ方は見様見真似です。(とりあえず全駒揃っていてホっとしました)チェスの駒は立体的な加工が施されており、暗い場所でも手で触って分かるようになっています。

28681798_2012052916_181large.jpg 
ボードの反対側はミル(Mühle)の盤となります。別名ナイン・メンズ・モリスとも言い 、ローマ帝国時代からヨーロッパで親しまれているボードゲームの一種です。

Chess1.jpg 
こちらはポケットに入るサイズのチェス盤で固紙のケースに入っています。屋外でプレイしても風でも吹き飛ばないよう、差し込み式となっています。

DSC09609_1.jpg 

写真を撮り忘れましたが、裏側には同じくミルの図柄があります。
今回は兵士が個人的に携帯できる簡易な既成品を紹介しましたが、もちろん下記写真のような本格的なチェスセットや手先の器用な兵士は木や動物の角や骨、石などから駒を削り出しで作ったものも使用したと思います。

Chess5.jpg
兵舎でチェスを楽しむ兵士たち。右端で観戦している兵士がストローでミルクを飲んでいる様子が面白いです。(直接口をつけて飲む、いわゆる『口飲み』は時間が経つにつれ菌が繁殖する為、禁止されていた)
戦争中といってもやはり娯楽は必要です。兵舎では訓練後の自由時間に、前線でも戦闘の合間にSkatのようなカードゲームと併せてチェスを楽しんだことでしょう。


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Yサスペンダー (Koppeltragegestell für Infanterie) Part4

こんにちは。今週末は桜が見頃ですが、花粉症がマックスにひどくて家から一歩も外に出られないエーデルマンです。(平日は仕事なので外には出ざるを得ませんから、休日は極力引き籠っていたい・・・)
さて今日の日記のネタは、Yサスペンダー(Koppeltragegestell für Infanterie)となります。

Y-belt1N.jpg 
Yサスペンダーは、過去に何度も記事にしましたが、今回紹介するのは極初期型タイプとなります。
Y-belt11N.jpg 
Yサスペンダーが導入されたのは1939年4月で最初に作られたタイプは金具が全てアルミ製となっています。アルミは貴重な為、1940年頃にはスチール製に変更されます。(1940年製のYサスペンダーについてはこちらを参照) 

Y-belt3.jpg
メーカー名は判読できませんが、かろうじて「39」が読み取れます。
Y-belt2N.jpg 
ドイツ軍のベルト装備に共通する特徴ですが、体に触れる部分は皮の表側をなめしてスムーズにし、表側は皮の床面(裏側)を起毛処理しています。

Y-belt13N.jpgY-belt6N.jpg   
補助ストラップのジョイント部分。ジョイント金具もアルミ製です。

Y-belt7N1.jpg   
中央のリング部分。初期の補強革は黒染めですが、中期・後期のタイプは茶色に染められています。(後期タイプはこちら

Y-belt17.jpg 
裏側は当て革があり、金具が体に直接当たらないようになっています。

Y-belt8N.jpg Y-belt9M1.jpg    
ベルトフック部分。こちらも金具はアルミ製。

Y-belt15.jpg
補助ストラップのフック金具。前後の可動が可能になっています。(後期タイプになるとバックルと一体型になります)

Y-belt10.jpg
フック金具の裏側にあるメーカーロゴ。

Y-belt16N.jpg 
Aフレームに接続するDリング。

20090115_001.jpg 

今回、最初にYサスペンダーについて書いた日記(2010年)を読み返してみましたが、当時は「実物の残存率は結構高く150~200ドルで取引されております」だったんですね~。最近では入手しづらくなっており、価格は当時の倍以上になっています。

Y-belt14.jpg

こちらはこの記事をアップした時点で開催中のオークションのスクショですが、後期タイプが既に4.5万円を超えてしまっています。もし3万円以下で見つけたら購入することをお勧めします。


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脳内の99%をドイツ軍が占めている、そんなアラフィフ親父です。
注)当時のドイツ軍の装備・生活用品に興味がありますが、特定の団体・思想を支持するものではありません。

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