M31飯盒 (Kochgeschirr 31)
ドイツ軍Kochgeschirr 日本語で言うところの飯盒です。

用途ついては特に説明は必要ないですね。
ドイツ軍ですから、米を炊くのではなく、シチューやスープを暖めたり、お湯を沸かすのに使っていました。“シチュー砲”ことフィールドキッチンのリンバーの上に座って、飯盒で食事をする兵士
正式には1931年3月に導入されたので“M31”という呼ばれており、初期はアルミ製、後に鉄製で作られるようになりました。
(アルミは航空機の材料として貴重になったため)

初期型M31 ベース、蓋には“RFI37”の刻印
ドイツ軍の飯盒は、鍋の役目をするベース部分と、フライパン兼皿になる底の浅いフタの二つで構成されており、持ち運び用にワイヤーの取っ手が付いております。

容量は1.7リットルで500ccの目盛りが付いていて計量もできる優れモノです。
運搬する方法としては 1.雑のうにストラップで取り付ける 2.Aフレームにストラップで取り付ける 3. リュック(Tornister)入れる、の3通りだったと思います。もし上記の他にも方法があればぜひとも教えて下さい。
さてこの飯盒、映画の食事シーンには頻繁に登場します。たとえば『スターリングラード』(独・米'93年)では前線の兵士が運ばれてきたフードコンテナーからシチューを取り分けてもらうというマニア好みのシーンでも使われてましたね。
有名な写真。彼は何かの罰ゲームをやらされているのでしょうか・・・

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M31飯盒(Kochgeschirr 31) Part2

容量は1.7リットルでシチューやスープなどを温めたり、お湯を沸かすことに使われました。


蓋は取手が付いていてフライパンや皿にもなります。

DMNはベルリンのTornado, Fabrik elektrischer Maschinen und Apparate社のコードです。
戦争が進むにつれてアルミニウムは航空機に使われるアルミニウ合金いわゆるジュラルミンの材料として貴重となってきた為、 1942年頃から飯盒にはスチールが使用されるようになりました。なお前回紹介したM31水筒の本体やカップも飯盒とほぼ同じ時期にスチール製のものが出てきます。
ちなみに自分の中ではジュラルミン=B29のボディというイメージが強く、てっきりアメリカで発見されたものと思っていましたが実はドイツで発見されたんですね。

ジュラルミンは、1906年ドイツ中西部のデュレン (Düren) で、ウィルム (Alfred Wilm) によって偶然に発見された。このデュレンとアルミニウムの合成語が、ジュラルミン (duralumin) である。また、ウィルムによって、ジュラルミンの時効硬化現象が見出された。もともとは薬莢の材料として、銅と亜鉛の合金の黄銅を用いていたが、「もっと軽いアルミニウムを銅と混ぜたらよいのではないか」という発想から得られたものである。結果としてその試みは失敗したが、思わぬ大きな成果を得た。
1910年代、ツェッペリン飛行船やユンカースの輸送機への導入を機に、航空機用資材として広く用いられるようになった。日本の零式艦上戦闘機をはじめとする軍用航空機にも、住友金属工業が開発した超々ジュラルミン (ESD) 等のジュラルミン材が多用された。
-Wikipediaより抜粋-

B29・零式艦上戦闘機の写真共にWikipediaより
航空機素材としてアルミニウムが貴重と書きましたが、当時のドイツで果たして本当にアルミニウムは不足していたのでしょうか?ネットで調べるとアルミニウムの原料ボーキサイトはドイツ国内では入手困難だったようですが、同盟国や占領国(ハンガリーやバルカン半島諸国)では採掘できたようです。国内備蓄もそれなりにあったと考えれば水筒や飯盒程度の消費のために材料を変えなればいけないほど窮していたとは思えません。確かに連合軍の戦略爆撃やパルチザンの妨害工作によって原料を国内もしくは同盟国の工場へ運ぶ輸送経路の混乱はあったとはいえ、むしろ戦後ジュラルミン部材の余剰が見られた日本同様、航空機を作る工場や人手の方が深刻な不足状態だったと考えるべきです。(だったら材料をスチールに変えても同じことですね)アルミニウムの製法に何かヒントがあるのではないかと思いまたまたWikipediaで調べてみました。
アルミニウムは、鉱物のボーキサイトを原料としてホール・エルー法で生産されるのが一般的である。ボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理し、アルミナ(酸化アルミニウム)を取り出した後、氷晶石(ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム、Na3AlF6)と共に溶融し電気分解を行う。したがって、アルミニウムを作るには大量の電力が消費されることから「電気の缶詰」と呼ばれることもある。
-Wikipediaより抜粋-
アルミニウムを作るには大量の電気が必要、恐らくこれが答えではないでしょうか。当時も電気を作るのはほとんどが火力発電、つまり石油や石炭などが必要でこれら化石燃料がドイツで不足していたのは明らかです。アルミニウムからスチールに変えたのは材料の節約というよりも、電気の節約そして生産性の向上だったと考えられます。(何をいまさらな内容ですみません)

蓋の内側部分には赤い錆防止の塗装がされていますが、本体は外側と同じ塗料で塗られています。通常本体と蓋は同じ処理がされているので製造工場や時期が違う可能性があります。(ただし本体、蓋ともに外側には錆防止の塗装があり)
アルミ製飯盒にはあった500ccずつの目盛りがスチール製飯盒では省略されています。

取手の取り付け部は折り曲げた鋼板を溶接しただけです。

取っ手基部の比較。初期型は一体鋳造ですが、末期型は鋼板を折り曲げただけです。末期型は何故か取手の方向が反対に付けられてしまっています。
初期型と末期型の前方から見たところ。

塗装がフィールドグレーからオリーブグリーンに変更されています。なお初期型の方が、若干大きいようです。
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M31飯盒(Kochgeschirr 31) Part3
さて今週のネタはM31飯盒(最末期型)です。

左から37年製(アルミ製)、43年製(鉄製)、そして44年製(琺瑯製)の飯盒です。

飯盒の詳細に移る前に、飯盒のアクセサリーを簡単に紹介したいと思います。
まずは飯盒用ストラップです。

飯盒を雑嚢やAフレームに取り付ける為の専用ストラップで3つのループが特徴です。革製の他にコットン製もあります。

ドイツ軍が標準使用したストラップを並べてみました。上から装備用ストラップ、コート用ストラップ、飯盒用ストラップです。装備用ストラップとコート用ストラップはほぼ同じ長さで54cm、飯盒用ストラップは68cmです。

続いて飯盒カバー

飯盒カバーはコットン製の袋で、上部に開口部を締める為の革製ベルトが付いています。

このように飯盒はスッポリと収まるようになっています。(写真では飯盒が少しハミ出てしまっていますが・・・)

飯盒の中身で も書きましたが、この飯盒カバーは元々M34背嚢のメインルームに縫い付けられていた飯盒カバーを独立させたものです。背嚢の中に入れて使用することが前提となっている為、汚れ防止というよりは飯盒の塗装を保護することが目的だったと思われます。(初期のアルミニウム製飯盒は塗装が剥げ易かった)
さて、それでは本題に移りたいと思います。

上記は1944年に作られた鉄製の飯盒で、錆び防止対策として琺瑯(エナメル)でコーディングされています。
このような琺瑯の飯盒や水筒は戦争末期によく見られます。
<以下Wikipediaより>
琺 瑯(ほうろう、英: vitreous enamel、米: porcelain enamel)は、鉄、アルミニウムなどの金属材料表面にシリカ(二酸化ケイ素)を主成分とするガラス質の釉薬を高温で焼き付けたもの。(金属材料由来 の)機械的耐久性と(ガラス質由来の)化学的耐久性をあわせ持ち、食器、調理器具、浴槽などの家庭用品や、屋外広告看板、道路標識、鉄道設備用品、ホワイ トボード、化学反応容器などに用いられる。工芸品の琺瑯は七宝あるいは七宝焼きとも呼ばれる。
その歴史は古く、紀元前1425年頃に製作されたと推測される世界最古の琺瑯製品とおぼしき加工品がミコノス島で発見されている。また、ツタンカーメンの黄金のマスクの表面には琺瑯加工が施されている。
琺瑯は以外に古くからある技術だったんですね。(七宝焼きが琺瑯と同じ意味とは知りませんでした)

飯盒や上蓋の内側も琺瑯です。M31水筒(後期型)で錆び防止用の下地処理に使われていた鉛丹(赤鉛)で鉛中毒になる恐れがあると書きましたが、食べ物を入れる飯盒に使われる場合はもっと危険です。それが人体に害が無く耐食性・耐熱性に優れた琺瑯に取って代わるのはしごく当然のことと言えます。
では何故このような新しくは無いが便利な技術が、戦争末期になってやようやく使われ出したのでしょうか?

上記琺瑯製の飯盒は1910年に採用され第一次大戦で使用されたタイプです。琺瑯製飯盒がどこまで一般的だったかは判りませんが少なくとも琺瑯を軍用に使うのは第二次大戦に始まったことでは無いということです。
私見ですが大量生産・低コスト化が可能となるなんらかの技術革新が第二次大戦中にあったのではないでしょうか。

上蓋のハンドル部分は琺瑯では無く通常塗装です。「WJ44」の刻印はOberweißbachにあったHasag, Hugo Schneider AGで1944年に製造されたという意味です。

刻印の位置の違いです。1937、1943年製は上蓋の金具、1944年製はハンドル部分にあります。

上蓋を外した状態です。初期型アルミ製飯盒にあった500ccの目盛りは省略されています。

初期型(左)のハンドル基部と比べると最末期(右)は鉄製飯盒と同様、鋼板を折り曲げただけの簡素な作りになっています。
最後にドイツ軍、琺瑯と聞いて映画「シンドラーのリスト」で有名なOscar Schindlerを連想する人は多いと思います。実際映画の中でもシンドラーがユダヤ人に対して琺瑯のコーティングの仕方を教えるシーンがありました。
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映像の中でシンドラーの工場は軍需用品(洗面器?)を作っており、Wikipediaにもドイツ軍の厨房用品を製造していたとありますが。飯盒や水筒は作っていたのでしょうか?

ポーランドのクラクフに現在も残るシンドラーの琺瑯工場。

上記はコレクターの間で「シンドラーの水筒」とよばれる琺瑯の水筒です。実際シンドラーの工場で作られたものかどうか判りませんが芸術品のような青い美しい琺瑯模様と実際の稀少性も手伝って非常に人気の高いアイテムになっています。
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