軍隊手帳と兵隊手帳 (Wehrpass u. Soldbuch) Part1

今回はドイツ軍が兵隊へ配布していたWehrpassとSoldbuchを2回に分けて紹介します。

二種類の手帳についての説明はWikipediaに簡潔にまとめられていたので割愛します。(手抜きですみません)

<Wikipedia軍隊手帳より抜粋>
ナチス政権当時のドイツ軍では人事記録台帳として普段は所属中隊本部が保管し、退役の際本人に返される「軍隊手帳」(Wehrpass、ヴェアパス。直訳では「防衛パス」)と、本人が常時携帯し身分証明書と給与支払記録帳を兼用した「兵隊手帳」(Soldbuch、ゾルトブッフ。直訳では「賃金帳」)に分かれていた。なお、最前線地域などで「兵隊手帳」を携帯しない場合[1]には「簡易身分証明書」(Kennkarte、ケンカルテ)を携帯した。「簡易身分証明書」は氏名、階級、所属部隊等必要最小限のことが記載され、所持者の 顔写真の貼られた1枚のカード型の物である。これら3点は本人に与えられ、もしも所持者が戦死した場合は遺品として遺族のもとに送られた。

脚注1. 「兵隊手帳」には詳細な個人情報が記載されているため、捕虜になった場合や戦死して敵に鹵獲された場合には情報が漏洩してしまう。投降の場合には機密部分を破り捨てるべき事が指示されていた

Wehrpassは一般市民から軍隊に所属した時点で配布される54ページの手帳で、個人データから所属部隊歴、訓練歴、傷病歴、叙勲歴などが記されています。退役後は本人に返却され60歳まで保持することが義務付けられました。

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灰色の表紙に国家鷲章と“wehrpaß”が印刷されています。
四角いマスには、所有者が所属する国防軍の軍種(Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen SS)のスタンプが押されているのですが、このWehrpassにはありません。

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1ページ目(右側)には所有者の名前、認識票番号、Wehrpassの発行日(38年)・場所・認証者の名前が記入されています。

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2ページ目の所有者の顔写真が貼ってあり、3ページ目には個人データが記述されています。

(3ページ目の内容)名前: Erich Riedel   誕生日: 7/6/1901(1901年6月7日)

その他の項目としては出生地・国籍・宗教・結婚歴・職業・両親の名前、職業などが記載されていますが達筆(?)すぎて内容不明・・・
他のWehrpassを見てもこの写真は私服姿が多いですね。(入隊前だから当たり前ですが)

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入隊日は1939年8月27日(ポーランド侵攻1939年9月1日の4日前!)、所属部隊はBau-Batl.111(工兵部隊)。
入隊時38歳というのは兵士として比較的高齢ですね。推測ですが何らかの特殊技術を持っていたと思われます。

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受勲歴も記録されている。剣付二級戦功十字章及び東部戦線従軍記章を授与しています。

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転戦歴が記載されているページです。

1939年 ポーランド戦線
1940年(8月)-1941年(5月) フランス戦線 
1941年(6月)-1943年 ロシア戦線(ドニエプル→ドネツ→コーカサス→ハリコフ→ドニエプル)
1944年からはルーマニア~ハンガリーと撤退戦に参加し、最後はオーストリアで終戦を迎えています。

このWehrpassに記録されている遍歴を見る限り、この工兵は西方電撃作戦、バルバロッサ作戦、ブラウ作戦などに参加したことは間違いなく、常にドイツ軍の最前線にいたようです。


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軍隊手帳と兵隊手帳 (Wehrpass u. Soldbuch) Part2

前回はErich RiedelというBau-Btl.111(第111建設大隊)に所属していた工兵のWehrpassをご覧いただきましたが、今回は同一人物が所有していたSoldbuchをご紹介いたします。
なお、Wehrpass,Soldbuchともに記述内容の判読に自信がありません。間違っている点がありましたらご指摘願います。

 wehrpass.jpg
おっと、工兵なのに歩兵突撃章・・・しまった。

ちなみにBau-Btl.111についてSTEINER氏から貴重な情報をいただきましたので記述いたします。(ありがとうございます!)

・Bau-Btl.(Bataillon)は、通常、工兵Pionier-Bataillonとは異なり、歩兵師団に配属されたのでは無くて、軍管区から軍に配属されていた部隊である。
・このBau-Bataillon.111、元はRADの建設部隊から編制され、名称も1940年にはEisenbahn-Bau- Bataillon 111、更に1943年からはEisenbahn-Pionier-Bau-Bataillon 111に改称されている。
・東部戦線では、当初鉄道の軌道幅をドイツの規格に合わせる作業に、その後は鉄道の保守整備等に従事していたのかもしれない。

Bau(建設)という単語から、道路や掩蔽壕などを敷設する部隊とは思っていましたが、鉄道工兵部隊だったとは意外でした。軌道幅の規格がドイツとロシアでは違うことから、ロシア国内のすべてのレールの張替え作業を行ったこと。輸送を妨害するパルチザンやロシアの厳しい自然との戦いだったことなど前線で戦う兵士以上に活躍した部隊では無いでしょうか。やはりこの人物はReichsbahn(国鉄)の技術者だったのかも知れません。

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Wehrpassには入隊前の職業が書かれています。
フラクトゥールではないようですが判読不可です

さて、こちらがSoldbuchです。兵士自身が管理・保管するよう義務付けられていました。
個人情報満載なので、捕虜になった場合や戦死して敵に鹵獲された場合に情報が漏洩してしまわないよう、そのもの自体の破棄、機密部分を破り捨てるべき事が指示されていました。
よって中隊本部が保管し、戦死/行方不明時には遺族へ送られたWehrpassに比べ必然的に残存率は少なくなっております。

表紙

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Wehrpassとほぼ同じサイズで野戦服の胸ポケットに入られるようになっています。カバーは見た目は革製のようですが、しわ加工のある厚紙製です。
国家記章とSoldbuch zugleich Personalausweis (賃金帳及び個人ID)が印刷されています。

背表紙と1ページ目

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背表紙(左側)には所有者の写真(軍服姿)が針金で留められており、その下には本人のサインがあります。

2ページ目(右側)には個人認識情報が記載されており、個別には以下の通りです。
-Nr.(番号):84
-für den(入隊時の階級) :Reservist Soldat Pionier (予備役工兵でしょうか?)
-四角いマス(昇進経歴):3度昇進したことが判ります。1940年9月1日付け伍長(Gefreiter)、1942年7月1日付け上級伍長(Obergefreiter)、1943年11月1日付け軍曹(Unteroffizier)。
-Vor- und Zuname (ファースト&ラストネーム) : Erich Riedel
-Beschriftung und Nummer der  (~の刻印及び番号)
-Erkennungsmarke(認識票番号):84. 2/Bau. 111
-Blutgruppe(血液型):O (A, AB, B 又は O 当時Rh+や-は発見されていない)
-Gasmaskengröße (ガスマスクサイズ): 1 (1=large、2=medium、3=smallのいずれか)
-Wehrnummer (軍役番号):Bremen II 01/6/1/188

ここで一点、このSoldbuchの発行日について疑問がでてきました。
写真は顔の老け具合や、襟や肩の徽章から軍曹昇進以降であることは間違いなく、そうなると発行年は43年11月以降ということになります。しかしながら、それぞれのページの記録は39年から始まっているんですね。43年の発行時に古いものから転記していれば同じ字体になるはずなのでそれは無さそうです。もしかすると表紙だけ差し替えたのかも知れません。(3年も経てば顔も変わるし、表紙も相当古くなっているので中身だけ交換はあり得るかも知れませんね)

2ページ目と3ページ目

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2ページ目(左側)にはさらに詳細な個人情報が載っています。詳細な内容は以下の通り。

-geb. am (生年月日) :1901年6月7日
-in (Ort, Kreis, Bezirk) (町, 郡, 州):判読不可
-Religion (宗教):ルター派 
(例) ev. =ルター派, r. kath or kath.= ローマ・カソリック, ggl. =Gottglaubig(“信者” 宗教を特定しない場合 SS隊員に多い) 
-Stand, Beruf (職業) :判読不可
-Personalbeshreibung (個人データ)
-Größe (身長 cm):169cm
-Gestalt (体形):痩型
(例)groß-甲種 mittel-乙種 klein-丙種  kraftig-強 schlank-痩型
-Gesicht (顔形):判読不可 oval-楕円形
-Haar (頭髪):灰
(例)braun-茶 blond-金 schwarz-黒 grau-灰 rot-赤 (左記+ hell -明 dunkel-暗など)
-Bart (ひげ):多くの場合ブランクもしくは%で表記
-Augen (目の色): blau-青 grün-緑 braun-茶 grau-灰 hasel-くり色
-Besondere Kennzeichnen (z.B. Brillenträger)(際立った特徴  例 眼鏡):判読不可
(例)Brillenträger-眼鏡 Narbe-傷 Tätowierung-刺青など
-Schuhzeuglänge (靴の長さ):42cm
-Schuhzeugweite (靴の幅):記述なし 1-5, 1から大-小
-Vor– und Zuname eigenhändige Unterschrift des Inhabers (所有者によるサイン)
-Die Richtigkeit der nicht umrandeten Angaben auf Seiten 1 und 2 und der eigenhändigen Unterschrift des Inhaber bescheinigt den (本日1,2ページの内容について証明する。また本所有者がサインしたことも証言する):39年9月13日の日付
-Ausgefertigender Truppenteil, Dienstelle (上記部隊にて記入):Bau-Btl.111(第111建設大隊のスタンプ)
-Eigenhändige Unterschrift, Dienstgrad, u, Dienststellung des Vorgesetzen (指揮官によるサイン、階級、職位):判読不可

3ページ目(右側)は、1、2ページに修正が入った場合にその内容を記載する欄となっています。
4 項目とも、1 ページ目の内容が修正されたことを示していますが、どの点を修正したのかは不明です。

4ページ目と5ページ目

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4ページ目(左側)は野戦所属部隊や訓練を行った部隊の履歴が記載されています。
5ページ目(右側)には、妻帯者は妻の名前やその住所(上段)、両親の名前とその住所(中段)、そして下段には妻も両親もいない者が肉親や親戚の情報を書き込める欄があります。
妻も両親も住所が修正されています。疎開した為でしょうか?

6ページ目と7ページ目

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さて、いよいよお待ちかね支給品のリストです。Wehrpassには無く、Soldbuchのみ存在するページです。
お馴染みの言葉が並んでいます。

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工兵部隊ということで、特殊工具の分項目でしょうか?項目が追加されております。

8ページ目と8aページ目

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8a(右側)から8dまで4ページに渡り、支給された武器、双眼鏡、ガスマスクなどの情報が記載されております。
このページの記載から、この兵士には歩兵銃(kar.98K?)に銃剣、それと拳銃(P.08, belg)が支給されたことが判ります。

8bページ目と8cページ目

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ガスマスク(Gasmaske)と45年3月に支給された拳銃の種類(FN?)が興味深いです。

8dページ目と9ページ目

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9ページ目(右側)は予防接種の記録です。上から天然痘、腸チフス、パラチフス菌、赤痢菌、コレラ菌。
本来項目には無いマラリア菌の予防接種も受けています。
なおSoldbuchは全部で24ページあり、この後、視力、歯の検査結果、病院の入退院歴や受勲歴そしてSoldbuch(賃金帳)名の通り、俸給の状況が記録されております。
コンテンツの内容がやや長くなったので、このあたりで一度区切りたいと思います。


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野戦郵便 (Feldpost)

フランス, マルセイユ -1943年2月

ハインツ・クルレ兵長は高台にある兵舎の戸口に座って海を眺めていた。同じ国でも大西洋側と地中海側でこうも町の雰囲気が違うものだろうか。

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部隊がマルセイユに到着したのは1月下旬。この港から海路でイタリア半島に沿って地中海を横断し同盟国のアルバニア、ルーマニア経由で南ロシアに向かうと思われたが、まだ輸送船を手配できないでいる。
マルセイユの港は日々北アフリカからの負傷兵や代わりに送られる兵隊や物資でごったがえしており、ロンメルが輸送船を一隻でも多く必要としていることは間違いなく、それが足止めの原因になっていることは容易に想像できる。陸路で行くにしても輸送列車の割り当ては負傷者の移送が優先で、あの数だと自分たちはいつになるか判らない。列車に乗れる負傷兵の多くは瀕死の状態で祖国に着く以前に力尽きてしまう者も多いだろう。それでもドイツに帰れるだけ上等だ。ロシアでは負傷兵が拳銃と銃弾二発を渡されて戦場に置き去りにされているという噂である。一発は敵に、そして残りの一発は自分用だそうだ。

クルレは野戦服の胸ポケットからタバコを取り出し、小さなアルミ製の軍用ライターで火をつけると最初の煙をゆっくりと深く吸い込んだ。こうしている間にも多くの仲間が北アフリカやロシアで闘いそして死んでいる。時々焦燥感で押しつぶされそうになるが、心のどこかではこのままここで平穏な日が続くのを望んでいる。クルレは短くなったタバコを投げ捨てると隣で野戦郵便用の葉書で手紙を書いているブレーメン出身の上等兵に声をかけた。

「フランツ」
「なんですか?兵長」

フランツと呼ばれたまだ顔にあどけなさが残る兵士は手紙を書く手を止めて、クルレに顔を向けた。
20歳になるかならないかで恋人がいてもおかしくない歳だ。

「彼女への手紙か?」
「彼女ならいいんですが・・・残念ながら母親です」
「母親でどうして残念なんだ?手紙を出す相手がいるだけいいよ」
「兵長は手紙を出す相手はいないんですか?」
その問いを想定できなかった自分の迂闊さに舌打ちしたが、誤魔化しても仕方がないと思い正直に答えた。

「父も母もハンブルクの空襲で死んだよ。兄はモスクワの戦いで行方がわからない」
「すみません、知らずに聞いてしまって・・・」
「いや、いいんだよ。お袋さんは元気かい?」
「はい、それが元気すぎるぐらいでして。この間もシュナップスを飲みすぎて酒場でつぶれた親父を5キロ離れた家まで引きずって帰ったそうです」
「それはすごいなぁ」
クルレは笑いながら、この髭も生えていない若者の屈託の無さに好感を持った。

「兵長」
「ん?」
「自分たちはいつまで此処にいるんでしょう?」
それはこっちが聞きたいと言いかけたが、こういう時に部下を安心させるのも長く軍隊でメシを食っている人間の務めではないか、そう考え自分でも納得する答えを捜した。

「それはいつ戦争が終わるのか考えるようなもんだよ。後からあの時こうしておけば良かったなんて後悔したくなければ、先のことは深く考えずに今を楽しんだほうがいい。時間があれば、知り合いに片っ端から手紙を書くんだ」
その場しのぎの答えに納得したかどうかは判らないが、「判りました」と言って、フランツは目を手紙に戻した。

(今を楽しめか・・・)
クルレはついさきほど自分の口から出た言葉を心の中でつぶやいてみたが、どこか遠い国の言葉のように感じられた。


※上記は実在するKurrle兵長の従軍記録(スクラップブック)を元にしたフィクションです。

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マルセイユでのKurrle兵長(奥から2番目の眼鏡をかけた兵士)

Kurrle兵長のスクラップブックに貼られた写真の順番から南ロシアの前にマルセイユに滞在していたことは確かなのですが、文中のように地中海を横断してアルバニア経由で南ロシアへ行くという話は全くの創作ですのでどうか突っ込まないでやって下さい(笑)

さて、今回のネタはフランツ上等兵が母親に書いていた野戦郵便(Feldpost)に関してです。

まずは常套手段のWikipediaから(英文意訳)。
野戦郵便はドイツ軍の軍事郵便制度でその歴史は18世紀のプロイセン王国に遡り、7年戦争やバイエルン継承戦争では既に導入されていた。1937年から1939年まではドイツ国防軍が国内無料の郵便システムを運営しており、1939年9月3日からは250gまでの葉書や手紙(新聞含む)が無料となる。1939年後半には(250g以上でも)1000gまでならわずか20ライヒスペニヒでの郵送が可能となった。ドイツ軍各兵科が専用の郵便部隊を有していたが、通常は戦場に最も近いt野戦郵便局が全兵科の郵便を取り扱っていた。(中略)通常、野戦郵便は民間郵便局では取り扱わず、もし兵士が民間郵便局から発送した場合は有料となった。

当時、野戦郵便は戦地(もしくは捕虜収容所)の将兵と内地の家族・恋人・友人をつなぐ主な手段で、第二次大戦では300億から400億通の郵便がやり取りされたと言われています。

まずは雑嚢の中身 ~衛生用品・雑貨編~で紹介した野戦郵便専用BOX (Feldpost Kasten)です。

feldpost1.png


そしてこちらは野戦郵便で送付された手紙(封筒)です。

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右上には1943年5月7日消印のFELDPOSTのスタンプが押されています。このような非官製の便箋には「Feldpost」の文字が手書きで書かれています。宛先と住所が書かれていますが判読不能。

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便箋の裏側には、差出人の名前と野戦郵便番号(Feldpostnummer=FpNR)が書かれています。
野戦郵便番号は大隊ごとに割り当てられた5桁の数字とAからEまでのアルファベットで構成された識別番号です。番号であれば郵送途中で敵の手に渡っても所属部隊名と場所の暴露を防ぎ、また部隊が移動しても番号で容易に追随できます。
数字の前にLとMが付く場合もあり、それぞれ空軍(Luftwaffe)と海軍(Marine)用とされています。

なお野戦郵便番号の特定は下記のサイトで調べることができます。
http://www.stampsx.com/ratgeber/stempel-datenbank.php
ちなみに上記の野戦郵便番号23291は、陸軍第38猟兵大隊の番号と出ました。

下記は官製の葉書です。

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左側に差出人(Absender)、右側に宛先(An=英語のAt)と野戦郵便番号(Feldnummer)を記入します。


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こちらも官製葉書ですが、FeldpostではなくPostkarteと書かれており切手を貼る場所があります。


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こちらは官製の封筒です。太い下線の部分に野戦郵便番号を記入します。この封筒の特長は折り込めばコンパクトにすることができる点です。

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feldpost20.jpeg  
裏面に内容を書いた後、縦の線に沿って半分に折り、さらに横の線で4つに折った後に羽の部分に糊を付けて封をします。コンパクトになる上に葉書よりも多くの文字が書けるというアイデア封筒です。

ただし内容に関しては古今東西、どの国も検閲は免れません。
ドイツ軍では下記のような内容を手紙に書いたり送ったりすることは禁止されていました。

1.現在地や攻撃目標、保有兵器などの軍事情報
2.流言
3.写真や絵など
4.敵のプロパガンダ(宣伝)
5.第三帝国や軍隊の活動方針に対する批判的なコメント
6.スパイや破壊工作を促すような記述

郵便は検閲所にて開封され検閲を経た後、便箋の場合は“検閲済み”と印刷されたテープで再封、そして葉書の場合は検閲済みのスタンプが押されました。なお、政府高官及び将軍の郵便物は検閲されなかったようです。

検閲の為、ありのままを書けなかったとは云え、当時の兵士の生活や心情を知る資料として野戦郵便は貴重であり、コレクションの対象としても非常に奥の深い分野です。今回Kurrle兵長の話の成り行きで取り上げた為中途半端な内容になってしまいましたが、今後も引き続き注目していきたいと思います。

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Bundesarchiv_Bild_101I-721-0387-30A,_Frankreich,_Verteilung_von_Feldpost


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シュカート (Skat)

ポーランド, ソビエト国境付近 -1943年2月

バンシーの悲鳴のような列車のブレーキ音で、ハインツ・クルレ兵長はまどろみから現実の世界に引き戻された。腕時計の針は夜中の3時を指している。今が何時か知らないほうが良かった。また朝までの数時間を取り留めないことを考えながら時間を潰さなければならない。

ワルシャワを出てから今日で3日目である。ポーランドの国境を超え(国境というものが存在していればの話だが)ロシアに入っているはずだが景色は一向に代わり映えせず自分たちがどこにいるのか皆目分からない。大隊が乗車しているのは電気暖房機能が付いた貨車だが、窓に目張りした板のすき間から入り込んでくるロシアの凍てつく冷気のおかげで寝ている間に凍死してもおかしく無いほど寒い。
クルレはありったけの衣服を着込み、軍用毛布を頭から被ってはいたがワルシャワを出て以来、寒さと漠然とした不安で熟睡することができず、毎日夜中に目が覚めては考え事をしながら朝までの時間を無為に過ごしていた。


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マルセイユを想定していたよりも早く出発することが出来たのは東部戦線に一人でも多くの補充兵(軍隊用語では“新鮮な肉”と呼んでいる)が欲しいマンシュタインが鉄道局のお偉方に直々に要請した為らしい。
マルセイユからはドイツを迂回するようにボローニャ、ウィーン、プラハと貨物列車を乗り継ぎ、2月中旬にワルシャワにたどり着いたが、弾薬と食料を積み込むとすぐにキエフに向けて出発となった。
ワルシャワもマルセイユと同じく戦線から送られてくる負傷兵と物資でごったがえしていたが、ロシアの負傷兵はアフリカ戦線戻りの兵士とは比べ物にならないほどの深い悲壮感を漂わせており、誰もが表情に生気がなく何かに怯えていた。
彼らが前線で何を見てどんな体験をしたのか、そのうち分かる時が来るだろう。


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負傷者輸送列車

先の事を考えると憂鬱になるばかりなので、クルレは退屈な車内で唯一の楽しみであるシュカート(Skat)の勝ち方について整理することにした。
シュカートは2から6のカードを抜いた32枚のトランプで行われるゲームで、3人のプレイヤーが単独プレイヤーと2人の対抗プレイヤーに分かれ10枚の手札で一勝負ずつ行い、最も得点を稼いだプレイヤーが勝ちである。勝つための基本は以下の3つである。

①単独プレイヤー(Einzelspieler)と呼ばれる勝負の主導権を握るプレイヤーになること。
②単独プレイヤーの特権である切り札の指定を行い、それを上手く使って61点以上稼ぐこと。(シュピール)
③さらに得点が増加するシュナイダーやシュバルツ、ウヴェアといった宣言を確実に成功させること。

ただし宣言は失敗するとしっぺ返しも大きいので持てる全ての勝負勘、運を総動員しなければならない。それに加え、相手プレイヤーの持ち札を確率論で推測し、それにどう対応するか即座に計算する能力も求められる。シュカートはそれ故、実戦経験の乏しい兵士の間では単なるゲームという域を超え、戦場での生存能力を推し量るモノサシとして考えられ、勝負に強い兵士は階級に関係なく仲間から一目置かれることになる。もっともシュカートは兵隊たちの娯楽である以外に不足しがちな食料やタバコ、その他生活必需品を入手するための手段でもあり、シュカートの勝負に長けていればその分、生存率は多少なりとも上がるわけだが。
クルレはこのシュカートが得意で特に将校シュカート(Offiziersskat)と呼ばれる二人用シュカートがめっぽう強く、中隊の中では彼の右に出るものはいなかった。勝ち取った賞品は必要なタバコ以外はすべて仲間に配ったのでその穏やかな人柄もあってクルレは上下関係なく誰からも好かれていた。
戦場で、シュカートをプレイしている時のように冷静に考えて対応できれば良いが、ワルシャワにいた負傷兵の感情を失った顔を見て以来、他の兵士のように楽観的にはどうしても考えられなかった。

考え事をしている間に夜が明けたようである。貨車の小窓から外を覗くと列車は大きな町に入っていく。貨車はどんどん速度を落としていき、やがて大きな駅に到着した。駅名標にはロシア語で『Киев』、その横にはドイツ語で『Kiew』と書かれていた。

クレル兵長はフランスから長い道のりを経て、ようやくロシア(現ウクライナ・キエフ)に到着しました。スターリングラード攻防戦で勝利し反撃してくるソ連軍との交戦はもうすぐそこに迫っています。
クルレ兵長は、果たしてシュカートのように難局を乗り越えることができるでしょうか?

ということで今回は、ドイツ兵の娯楽だったシュカートについて掘り下げて書いてみたいと思います。

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こちらがシュカートに使用されるカードです。52枚のトランプから2-6のカードを抜いて使っても全く問題ありませんが、上記は初めからシュカート専用にパッケージされています。

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箱のデザインです。THEDOR WAGLERは会社名、Posamentenfabrikは仕上げ工場、Berlin SW61 Blücherstraße 12 は工場のあった住所でFernsprech-sammel-Nr.663283/84は電話番号のようです。

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こちらはカードの裏側のデザイン。GRÖSSTES LAGER(最大級のストック) SCHNELLSTE ANFERTIGUNG(最速の生産)と自画自賛です。

シュカートの歴史についてはWikipediaから引用します。

19世紀初頭ドイツのテューリンゲン地方の町アルテンブルクで、シャフコップフ(Schafkopf)、ロンブル(L'hombre)、ソロ(Solo)、タロック(Tarock)をもとにしてできたとされている。スカート(Skat)の語源はイタリア語のscartareやフランス語のécarterで、伏せて置くという意味。1830年頃からドイツ全土へと広まり、特にライプツィヒ、ハレ、イェーナの学生の間で流行。次第に賭博にも使われるようになり、それにより得失点を倍増させる多くの変則ルールが加わった。

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シュカートの町アルテンブルク

シュカートのカードにはドイツ式とフランス式の2種類があり、公式に使用されるのはフランス式の方です。フランス式の場合、キング、クイーン、ジャックはそれぞれドイツ語でケーニヒ(König)、ダーメ(Dame)、ブーベ(Bube)となり、スート(マークの種類)は一般的なトランプと同じでクロイツ (Kreuz)、ピーク (Pik)、ヘルツ (Herz)、カロ (Karo)と呼びます。
なおドイツ式ではキング、クイーン、ジャックをケーニヒ(König)、オーバー(Ober)、ウンター(Unter)、そしてエースの代わりにダウス(Daus)というカードが使われます。さらにドイツ式ではスートが独自のものとなり、クラブはアイヒェルン(Eicheln、どんぐり)、スペードはグリュン(Grün、木の葉)、ハートはロート(Rot、ハート)、ダイヤはシェレン(Schellen、鈴)となります。

KC.jpg KS.jpg KH.jpg KD.jpg
DC.jpg DS.jpg DH.jpg DD.jpg
BC.jpg BS.jpg BH.jpg BD.jpg
上からケーニヒ(König)、ダーメ(Dame)、ブーベ(Bube)です。
なお、http://www.froja.de/karten/berlin.htmlには年代別の絵札の図柄が載っており、左記サイトによるとこのカードは1931年以降に作られたバージョンのようです。

AC.jpg AS.jpg AH.jpg AD.jpg
こちらはエース札の各スートです。左からクロイツ (Kreuz)、ピーク (Pik)、ヘルツ (Herz)、カロ (Karo)

なおそれぞれのカードには強さがあり、強い順からA, 10, K, D, 9, 8, 7,となります。なおブーベ(Bube)は単独で切り札スートとして扱われ、強い順からとなります。
またカードにはそれぞれ以下の点数が付けられています。

A =11 点、10=10 点、K=4 点、D=3 点、B=2 点、9,8,7=0 点

全カード32枚のポイント合算は120点で、勝負をし過半数の61ポイントを取ることがゲームの目的となります。

skat18.jpg
ところでハートのエースには、Deutsches Reich Nr. 90と国家章のスタンプが押されていますね。これはトランプのようなギャンブル性の高いカードゲームに課された税金、いわゆるトランプ類税を収めたという証明スタンプです。
なおこのタイプのスタンプは1936年から1939年まで使用されました。Nr.90はアルテンブルク の税務署の番号とのこと。

次に実際のゲームがどのように進められるか、ほんのさわりの部分だけ書きたいと思います。(これまで知ったかぶりして書いてきましたが、実はゲーム未経験者なのです。細かい所はよく判っておらず、記述に間違いがあればご指摘下さい)
シュカートは3人でプレイするのですが、テーブルには4人、もしくは5人が座ることができます。(下記参照。5人の場合は1人が見学)まずは役割とプレイする順番を決めます。カードの山から一枚引いて、一番強いカードを引いたプレイヤーがディーラーになります。ディーラーが決まればその左側からフォアハンド、ミドルハンド、リアハンド(エンドハンド)となります。なお3人の場合はディーラーがフォアハンドとなります。(リアハンドという説明もあり)

Skat_family_card_game1.jpg

その後、ビッドで自分の手札のゲーム点を競り合い、単独プレイヤーを決めます。
単独プレイヤーは自分に有利になるように切り札のスート、ゲームの種類を選択でき、対抗プレイヤーに阻止されず61点以上稼ぐことで勝負に勝つことができます。
と、ここまでが私の理解力の限界です。これ以上詳細な説明はとても無理なのでご容赦下さい。

下記はYoutubeで拾った映像で、Skatのゲームの大まかな流れが判ります。(ディールの仕方、ビッドの流れなど)

どうやら真ん中に座った紳士がシュカートのルールを勘違いしたままゲームに加わってしまったようです。
しかし思ったよりもゲーム展開が速くて驚きました。

最後に、シュカートをしている当時の写真をSTEINER氏のご好意によりお借りできたのでご紹介したいと思います。
(写真のご提供誠にありがとうございます)

skat5.jpg
(STEINER氏所蔵)
これからゲームを始めようとしているところでしょうか。真ん中のプレイヤーの右側に座っている兵士がディーラーと思われます。(ディーラーから時計周りにフォアハンド、ミドルハンド、リアハンドになります)

skat4.jpg
(STEINER氏所蔵)
こちらの写真もディーラーを含めた4人でプレイしている所を撮影したものです。右端の兵士がディーラーでカードを配っているように見えます。兵卒に混じって士官がプレイしているところが興味深いですね。

skat23.jpg
『グロースドイッチュランド師団写真史』(大日本絵画)にもシュカートをしている写真が掲載されていました。こちらも士官と下士官が同じテーブルでプレイしています。

“グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944“グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944
(1999/05)
トーマス マックギール、レミー スペツァーノ 他

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クルレ兵長の件で書いたような、兵士の生存能力を占うということは無かったかも知れませんが、シュカートでの勝負には階級や学歴などは関係無く、親睦を深めるツールであったのは間違いなさそうです。

skat20.jpg


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シュカート (Skat) Part2

なんとミリタリーブログのランキングで初めて10位以内に入ってしまいました。しかもいきなりの4位!週末にしかアップされないオタク親父のブログとしては出来すぎの順位です。リンクバナーのデザインを変えたのが良かったのかも知れません。本当にありがとうございます。これからもまったりとですが泥沼日記を続けていきますのでどうぞ宜しくお願いします。

さて、今日は以前書いたシュカート(Skat)のドイツ式カードが手に入りましたので、サクっと紹介したいと思います。
skat1_20120210150654.jpg

精密複製品で有名なSchmidt & Sohnさんから購入しました。ASS社が1939年に製作したカードでドイツ・アルテンブルク式(ザクセン様式)とのことです。
http://www.froja.de/karten/vergleich/sachsen.html

前回紹介したフランス式はトランプとは全く同じデザインでしたが、ドイツ式は絵札とスート(マーク)が独特となっています。

 1. Bay eichel.svg 2 .Datei:Bay gras.svg 3.Bay herz.svg 4. Bay schellen.svg

まずはドイツ式スートのマークから見ていきましょう。左から1.アイヒェルン(Eicheln、どんぐり)、2.グリュン(Grün、木の葉)、3.ロート(Rot、ハート)、4.シェレン(Schellen、鈴)となっています。クラブ、スペード、ハート、ダイヤと同じ役割です。

IMG_0008.jpg IMG_0024.jpg IMG_0001_20120210162816.jpg IMG_0017.jpg
8のスートを並べたところです。デザインが中世的な趣があってgoodです。名前の響きもいかにもドイツ的でいいですね。

次は絵札です。

IMG_0012.jpg IMG_0022.jpg IMG_0002.jpg IMG_0013.jpg
IMG_0010.jpg IMG_0027.jpg IMG_0001_20120210160008.jpg IMG_0014.jpg
IMG_0006_20120210155340.jpg IMG_0026.jpg IMG_20120210155232.jpg IMG_0015.jpg
上からケーニヒ(König)、オーバー(Ober)、ウンター(Unter)です。ケーニヒは王、オーバー、ウンターは軍隊の階級にも使われる上級・下級という意味ですが、ウンターの人の方が上位の階級に見えるのは気のせいでしょうか?ウンターは別名“Baur=農夫”とも呼ばれています。羽かざりの帽子を被ってたりとなかなかダンディーな農夫です。KやOというアルファベットが書かれているタイプもありますが、こちらは絵柄のみです。

IMG_0005_20120210161436.jpg IMG_0021.jpg IMG_0003.jpg IMG_0019.jpg
そしてドイツ式はエースに代わってダウス(Daus)というカードが使われます。


skat2_20120210223109.jpg
フランス式と比べると縦長ですね。厚味もあってごっつい感じです。

今回の記事を書くにあたって再度シュカートの遊び方を理解しようとしましたが、どうしても無理・・・アラフォーともなると新しいことがなかなか頭に入ってきません。やはりこういうゲームは遊びながら徐々に覚えるしかないようです。
ドイツ語ですが、シュカートが遊べるサイトもあるので、時間がある時に試してみようと思います→こちら


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エーデルマン

Author:エーデルマン
脳内の99%をドイツ軍が占めている、そんなアラフィフ親父です。
注)当時のドイツ軍の装備・生活用品に興味がありますが、特定の団体・思想を支持するものではありません。

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