山岳猟兵用背嚢(Gebirgsjäger Rucksack) その2
もうすぐ10月ですね。苦手な夏が終わって食欲旺盛の秋、一日一本は焼き芋を食べているエーデルマンです。
さて、今回は前回に引き続き、山岳猟兵用背嚢(Gebirgsjäger Rucksack)をアップします。
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だいたいナップサック位の大きさです。この背嚢には制式な名称はありませんが、コレクターの間では小型山岳猟兵用背嚢(Kleines Gebirgsjäger Rucksack)や突撃背嚢(Sturmrucksack)と呼ばれています。
当時の写真。
山岳猟兵用M31背嚢と小型背嚢の比較。小型は一泊分の荷物がやっと入る大きさです。駐屯地から周辺の偵察、デポ地点から頂上へのアタックに使われたのでしょうか。
形はまさに袋(Sack)、非常にシンプルですね。雨蓋は一本のストラップで閉じられるようになっています。
山岳猟兵用の背嚢はビルトインのショルダーベルトが特徴です。よく砲兵用背嚢(Artillery-Rucksack)と間違えられますが、背面を見ると明らかな違いがあります。

こちらが砲兵用背嚢です。砲兵用背嚢はショルダーストラップは無く、Yサスペンダーに接続するDリングがあるのみ。
山岳猟兵用背嚢にショルダーベルトがビルトインされているのは、山岳部隊にはYサスペンダーが支給されなかったことが理由と言われています。確かに今までYサスをした山岳猟兵の写真を見たことがありません。
Yサスに背嚢を装着する方式が山岳部隊に導入されなかった理由として、この方式の欠点である装備の取り外しに時間がかかるところにあったのではないかと考えています。
山登りをされた方ならお分かりかと思いますが、急な斜面の登り降りや、トラバース時などの場合、背嚢を外してバランスを取ることが頻繫にあります。このような時に4点留めのYサス方式では素早い対応ができません。
それでは、ショルダーベルトの詳細点を見ていきます。
ショルダーベルトは左右で違う金具で接続されています。
こちら側はバックルで固定されています。
こちら側はDリングとフックで繋がっています。M31山岳猟兵用背嚢も同様に、簡単に取り外しができるようになっています。滑落の際など素早く背嚢を外す必要があり、これに対応したものと思われます。
ショルダーベルトはハート(半円形の革パーツ)にリベット留めされています。刻印はありません。雨蓋には装備を括り付ける為の金具があります。
雨蓋を開いたところ。主室の口は紐で縛ります。内側にベークライト製のボタンが見えます。
裏返したところ。ボロボロですが、主室は一枚の布で仕切りられており、ベークライト製のボタンで留めます。
紐の先は金具で覆われており、口に通しやすいように処理されています。
本体両側にある装備を装着する為の革製ループ。上は滑らかで下側はシボ加工がされています。
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Carro Veloceが映っているのでイタリア戦線でしょうか。今回は山岳猟兵マニアの方以外にはつまらないネタですが、備忘録的に取り上げてみました。
さて、今回は前回に引き続き、山岳猟兵用背嚢(Gebirgsjäger Rucksack)をアップします。
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だいたいナップサック位の大きさです。この背嚢には制式な名称はありませんが、コレクターの間では小型山岳猟兵用背嚢(Kleines Gebirgsjäger Rucksack)や突撃背嚢(Sturmrucksack)と呼ばれています。
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当時の写真。
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山岳猟兵用M31背嚢と小型背嚢の比較。小型は一泊分の荷物がやっと入る大きさです。駐屯地から周辺の偵察、デポ地点から頂上へのアタックに使われたのでしょうか。
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形はまさに袋(Sack)、非常にシンプルですね。雨蓋は一本のストラップで閉じられるようになっています。
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山岳猟兵用の背嚢はビルトインのショルダーベルトが特徴です。よく砲兵用背嚢(Artillery-Rucksack)と間違えられますが、背面を見ると明らかな違いがあります。

こちらが砲兵用背嚢です。砲兵用背嚢はショルダーストラップは無く、Yサスペンダーに接続するDリングがあるのみ。
山岳猟兵用背嚢にショルダーベルトがビルトインされているのは、山岳部隊にはYサスペンダーが支給されなかったことが理由と言われています。確かに今までYサスをした山岳猟兵の写真を見たことがありません。
Yサスに背嚢を装着する方式が山岳部隊に導入されなかった理由として、この方式の欠点である装備の取り外しに時間がかかるところにあったのではないかと考えています。
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山登りをされた方ならお分かりかと思いますが、急な斜面の登り降りや、トラバース時などの場合、背嚢を外してバランスを取ることが頻繫にあります。このような時に4点留めのYサス方式では素早い対応ができません。
それでは、ショルダーベルトの詳細点を見ていきます。
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ショルダーベルトは左右で違う金具で接続されています。
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こちら側はバックルで固定されています。
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こちら側はDリングとフックで繋がっています。M31山岳猟兵用背嚢も同様に、簡単に取り外しができるようになっています。滑落の際など素早く背嚢を外す必要があり、これに対応したものと思われます。
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ショルダーベルトはハート(半円形の革パーツ)にリベット留めされています。刻印はありません。雨蓋には装備を括り付ける為の金具があります。
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雨蓋を開いたところ。主室の口は紐で縛ります。内側にベークライト製のボタンが見えます。
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裏返したところ。ボロボロですが、主室は一枚の布で仕切りられており、ベークライト製のボタンで留めます。
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紐の先は金具で覆われており、口に通しやすいように処理されています。
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本体両側にある装備を装着する為の革製ループ。上は滑らかで下側はシボ加工がされています。
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Carro Veloceが映っているのでイタリア戦線でしょうか。今回は山岳猟兵マニアの方以外にはつまらないネタですが、備忘録的に取り上げてみました。
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山岳猟兵用M31背嚢(Gebirgsjäger Rucksack 31)
こんにちはエーデルマンです。三連休をいかがお過ごしでしょうか?私は日本列島に上陸した台風18号のせいで引き籠り状態です。(天気が良くても、家でダラダラしていると思いますが・・・)
さて、今日はドイツ軍山岳猟兵(Gebirgsjäger)のM31背嚢(Rucksack)をサックと(失礼)紹介したいと思います。
まずは背嚢の定義から。

こちらは山岳猟兵に支給されたM31背嚢です。ランドセル型のM34及びM39背嚢(Tornister)や、後に一般歩兵に支給された袋型背嚢に比べて収納スペースやポケットの数が多くなっています。山岳部隊は物資の調達が難しい土地で活動することが多く、また道の険しい山岳地帯は輜重車両が随伴できません。よってできるだけ多くの弾薬や食糧を人力で運べるように設計されています。さらに登山道具も運搬しなければならないことも関係していると思われます。
雨蓋を開けたところ。主室の口は紐で縛って、中身が外に飛び出さないようになっています。
雨蓋の裏にも収納スペースがあります。中身がこぼれ出ないよう、3本のストラップで留めます。
雨蓋の上部には革のループが5つあり、M31ツェルトバーンや毛布、M31飯盒などを装備用ストラップで括り付けることができます。
こちらはフロントポケット。すぐに取り出せるモノを入れる場所です。2本のストラップで留めます。
サイドポケットは缶詰やパンなど行動糧食にちょうど良い大きさです。
ショルダーベルトは荷物の重量を支えられるよう、頑丈な牛革で作られています。Yサスペンダーと同じで主ベルトと補助ベルトの組み合わせです。
主ベルトは弾盒の金具に引っ掛けるフック金具があり、補助ストラップは片側が背嚢本体に縫いけられ、バックルで接続されています。
補助ベルトはショルダーベルトとナス環をつかってワンタッチで取り外すことができます。
フック金具のクローズアップ。ウエストベルトに付けた装備品に引っ掛けます。
こちらは専用のウエストベルト。長さは106cmです。
ベルトバックルはフィールドグレイ塗装。当て革加工で直接バックルが体に当たらないようになっています。
ウエストベルトは下側のループに通し固定します。
現代のザックのようにヒップベルトやインターナルフレームなんてものは無く、当時の背嚢を担いで長時間歩くことは大変だったと思います。また防水処理も無く、雨に濡れたら数倍の重さとなって肩に食い込んだことでしょう。

さて、今日はドイツ軍山岳猟兵(Gebirgsjäger)のM31背嚢(Rucksack)をサックと(失礼)紹介したいと思います。

まずは背嚢の定義から。
リュックサック(独: Rucksack、蘭: rugzak:背に負う袋の意)は、荷物を入れて担ぐための袋である。登山、軍事などその用途は広く日常生活でもよく用いられる。そのためさまざまな呼ばれ方をする。背嚢(はいのう)、リュック、ザック(独: Sack)、バックパック(英: backpack)、ナップサック(英: knapsack)など。
ー「Wikipedia」よりー

こちらは山岳猟兵に支給されたM31背嚢です。ランドセル型のM34及びM39背嚢(Tornister)や、後に一般歩兵に支給された袋型背嚢に比べて収納スペースやポケットの数が多くなっています。山岳部隊は物資の調達が難しい土地で活動することが多く、また道の険しい山岳地帯は輜重車両が随伴できません。よってできるだけ多くの弾薬や食糧を人力で運べるように設計されています。さらに登山道具も運搬しなければならないことも関係していると思われます。

雨蓋を開けたところ。主室の口は紐で縛って、中身が外に飛び出さないようになっています。

雨蓋の裏にも収納スペースがあります。中身がこぼれ出ないよう、3本のストラップで留めます。

雨蓋の上部には革のループが5つあり、M31ツェルトバーンや毛布、M31飯盒などを装備用ストラップで括り付けることができます。

こちらはフロントポケット。すぐに取り出せるモノを入れる場所です。2本のストラップで留めます。

サイドポケットは缶詰やパンなど行動糧食にちょうど良い大きさです。

ショルダーベルトは荷物の重量を支えられるよう、頑丈な牛革で作られています。Yサスペンダーと同じで主ベルトと補助ベルトの組み合わせです。

主ベルトは弾盒の金具に引っ掛けるフック金具があり、補助ストラップは片側が背嚢本体に縫いけられ、バックルで接続されています。

補助ベルトはショルダーベルトとナス環をつかってワンタッチで取り外すことができます。

フック金具のクローズアップ。ウエストベルトに付けた装備品に引っ掛けます。

こちらは専用のウエストベルト。長さは106cmです。


ベルトバックルはフィールドグレイ塗装。当て革加工で直接バックルが体に当たらないようになっています。

ウエストベルトは下側のループに通し固定します。

現代のザックのようにヒップベルトやインターナルフレームなんてものは無く、当時の背嚢を担いで長時間歩くことは大変だったと思います。また防水処理も無く、雨に濡れたら数倍の重さとなって肩に食い込んだことでしょう。

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配給カード(Lebensmittelkarten)
こんにちは。まだまだ残暑が厳しいですが、夜はだいぶん涼しくなりましたね。
さてドイツ軍ファンとして『月刊アームズマガジン 』の連載記事「リエナクトメントのススメ」をいつも楽しく読んでいるのですが、現在発売中の10月号には戦時中の食糧事情と配給制度について描かれており、今回は便乗で配給カード(Lebensmittelkarten)について記事をアップしたいと思います。

以前こちらでも記事にしましたが、ドイツは第一次世界大戦中にイギリスの海上封鎖により深刻な食糧難に陥り、76万人の餓死者を出してしまいます。ドイツにとって食糧不足はトラウマであり、1939年に第二次世界大戦が始まると、再び国家による食糧統制が施行されます。
「ハムスターのように貯め込む汝を恥よ!」
日本でも太平洋戦争による深刻な食糧不足から配給制度が敷かれ、「米穀通帳」などによって配給が行われていたことは、祖父母や両親から聞かされてなんとなく知っていましたが、この記事を書くにあたり改めて調べてみました。
消費統制(Verbrauchslenkung)
消費統制は、原則として、備蓄の放出、輸入促進、生産統制等の供給サイドの管理措置を講じてもなお十分な効果がない場合に限って実施される。消費統制の目標は、消費量の抑制と公正・均一な分配の達成であり、主な手段には次のものがある。
(ⅰ)一般的な販売統制(Generelle Abgabebeschränkung)
一般的な販売統制とは、店頭での 1 人 1 回当たりの販売量を制限することである。これにより、数量が少ない特定の重要な財に対する買占めを防止し、かつ、配給制の採用に至らない場合でも、財を比較的公正・均一に分配することができる。
(ⅱ)配給制(Rationierung)
長期にわたる深刻な供給危機等の場合に、全国民に対して等量かつ最小限の供給を確保するため、「配給カード」(Bezugsausweis)を個別に支給し、各人がこれと引換えに当該物資を購入する制度をいう。十分な準備期間が必要であり、また、管理コストは膨大になる。

配給カードは、あくまで購入引き換え券だったんですね。(ずっと無料引き換え券と勘違いしていました)
配給制度はドイツ軍がポーランドに侵攻する直前の1939年8月28日に導入され、まずは肉、ラード、砂糖やコーヒから統制が始まり、次にパンや卵も対象となります。
配給カードは、物品によって色が分れていて一目でわかるようになっていました。

ネットで拾った情報なので確かさは不明ですが、開戦当時は1週間分の配給制限として一人あたり肉やソーセージは700グラム、砂糖は280グラム、ジャムは100グラム、パンは2,400グラム、ラードや脂は1/5リットルだったようです。
ちなみに現代のドイツ成人の一般的な肉の摂取量は男性で103グラム/日、女性で53グラム/日だそうで、もし上記が本当なら十分な量かと思います。(もちろん戦争が進むにつれ、どんどん減っていくわけですが・・・)
なお、より栄養が必要な肉体労働者や育ち盛りの子ども、妊婦用の配給カードもあったようです。
それでは、配給カードを見ていきましょう。まずは主食から。
1. パン(Brot)
Reichsbrotkarte(赤)
こちらはバーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトのVaihingenで発行された配給カードで、使用期限は1939年10月23日から11月19日となっています。切符の単位は1000・500・50グラムで、購入した量の分、マス目を切り取るか、スタンプを押す、もしくはパンチャーで穴を開けることになっていました。
2. 肉(Fleisch)

Reichsfleischkarte(青)

この配給カードはヘッセン州のGießenで発行されたもので、期限は上記のパンと同じ1939年10月23日から11月19日となっています。肉(Fleisch)もしくはソーセージなどの加工品(Fleischwaren)用です。
3. ミルク(Milch)

Reichismilchilkarte(グレー)
ミルクは1/4リットル単位の配給となります。マス目には日付が明記されており、使える日が決まっています。
4. 脂肪(Fett)
Reichsfettkarte(黄)
対象はバターもしくは澄ましバター(Butter oder Butterschmalz)、チーズもしくはクワルク=フレッシュチーズ(Käse oder Quark)、マーガリンもしくは植物油もしくは人工油もしくは食用油(Margarin oder Pflanzen oder Kunstspeisefett oder Speiseöl)、ラードもしくはベーコンもしくは牛脂(Schweineschmalz oder Speck oder Talg)となっています。
5. ジャムと砂糖(Marmelade und Zuker)
Reichskarte für Marmelade und Zucker(ベージュ)
ジャム(ドイツ語でマーマレードはジャムの意味)と砂糖の配給カードです。長期保存が可能な為、他のカードに比べてマス目の数が少なくなっています。

こちらは卵(Eier)が一緒になった配給カード。購入した会社のスタンプが押されています。
6. じゃがいも(Speisekartoffeln)
Bezugsausweis für Speisekartoffeln(黄)
バーデン=ヴュルテンベルク州Heilbronnで1942年に発行された配給カードです。じゃがいもは長期保存が可能な為、期限が約半年間(6月29日から12月13日まで)です。
7. 栄養食品(Nährmittel)
Nährmittelkarte(ピンク)
こちらはヘッセン州カッセル上級都市で発行された1942年12月14日から1943年1月10日まで有効の配給カードで、オートミールやシリアルなどの栄養食品(Nährmittel)、パスタ(Teigwaren)、澱粉(Sago)、片栗粉(Kartoffelstärkemehl)、プディングパウダー(Puddingpulver)といったいわゆる“粉もの”が購入できました。
このブログではお馴染みのドクトル・エトカーのプディングパウダーです。以前、油脂も卵も使わない"戦時ケーキ"をこちらで紹介しました。プディングは少ない燃料費で作れるうえに栄養価の高い合理的で経済的な食品だったようです。
このような食糧の他に、石鹸配給カード(Reichsseifenkarte)や衣服配給カード(Reichskleiderkarte)なども存在しています。
なお、酒や煙草などの嗜好品は配給カードでは無く20パーセントの税金かけることで消費を抑制したようです。
一人あたりの一週間分の食料(1941年)
終戦までナチスドイツの配給制度は続けられます。当時の事を描いた本には、市民が末期の食糧不足で苦しむ様子が描かれていますが、第一次世界大戦の様な深刻な飢餓状態にはならなかった事を考えると十ニ分に機能していたと思われます。
さてドイツ軍ファンとして『月刊アームズマガジン 』の連載記事「リエナクトメントのススメ」をいつも楽しく読んでいるのですが、現在発売中の10月号には戦時中の食糧事情と配給制度について描かれており、今回は便乗で配給カード(Lebensmittelkarten)について記事をアップしたいと思います。

以前こちらでも記事にしましたが、ドイツは第一次世界大戦中にイギリスの海上封鎖により深刻な食糧難に陥り、76万人の餓死者を出してしまいます。ドイツにとって食糧不足はトラウマであり、1939年に第二次世界大戦が始まると、再び国家による食糧統制が施行されます。

「ハムスターのように貯め込む汝を恥よ!」
日本でも太平洋戦争による深刻な食糧不足から配給制度が敷かれ、「米穀通帳」などによって配給が行われていたことは、祖父母や両親から聞かされてなんとなく知っていましたが、この記事を書くにあたり改めて調べてみました。
消費統制(Verbrauchslenkung)
消費統制は、原則として、備蓄の放出、輸入促進、生産統制等の供給サイドの管理措置を講じてもなお十分な効果がない場合に限って実施される。消費統制の目標は、消費量の抑制と公正・均一な分配の達成であり、主な手段には次のものがある。
(ⅰ)一般的な販売統制(Generelle Abgabebeschränkung)
一般的な販売統制とは、店頭での 1 人 1 回当たりの販売量を制限することである。これにより、数量が少ない特定の重要な財に対する買占めを防止し、かつ、配給制の採用に至らない場合でも、財を比較的公正・均一に分配することができる。
(ⅱ)配給制(Rationierung)
長期にわたる深刻な供給危機等の場合に、全国民に対して等量かつ最小限の供給を確保するため、「配給カード」(Bezugsausweis)を個別に支給し、各人がこれと引換えに当該物資を購入する制度をいう。十分な準備期間が必要であり、また、管理コストは膨大になる。

配給カードは、あくまで購入引き換え券だったんですね。(ずっと無料引き換え券と勘違いしていました)
配給制度はドイツ軍がポーランドに侵攻する直前の1939年8月28日に導入され、まずは肉、ラード、砂糖やコーヒから統制が始まり、次にパンや卵も対象となります。
配給カードは、物品によって色が分れていて一目でわかるようになっていました。

ネットで拾った情報なので確かさは不明ですが、開戦当時は1週間分の配給制限として一人あたり肉やソーセージは700グラム、砂糖は280グラム、ジャムは100グラム、パンは2,400グラム、ラードや脂は1/5リットルだったようです。
ちなみに現代のドイツ成人の一般的な肉の摂取量は男性で103グラム/日、女性で53グラム/日だそうで、もし上記が本当なら十分な量かと思います。(もちろん戦争が進むにつれ、どんどん減っていくわけですが・・・)
なお、より栄養が必要な肉体労働者や育ち盛りの子ども、妊婦用の配給カードもあったようです。
それでは、配給カードを見ていきましょう。まずは主食から。
1. パン(Brot)

Reichsbrotkarte(赤)

こちらはバーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトのVaihingenで発行された配給カードで、使用期限は1939年10月23日から11月19日となっています。切符の単位は1000・500・50グラムで、購入した量の分、マス目を切り取るか、スタンプを押す、もしくはパンチャーで穴を開けることになっていました。
2. 肉(Fleisch)

Reichsfleischkarte(青)

この配給カードはヘッセン州のGießenで発行されたもので、期限は上記のパンと同じ1939年10月23日から11月19日となっています。肉(Fleisch)もしくはソーセージなどの加工品(Fleischwaren)用です。
3. ミルク(Milch)

Reichismilchilkarte(グレー)

ミルクは1/4リットル単位の配給となります。マス目には日付が明記されており、使える日が決まっています。
4. 脂肪(Fett)

Reichsfettkarte(黄)

対象はバターもしくは澄ましバター(Butter oder Butterschmalz)、チーズもしくはクワルク=フレッシュチーズ(Käse oder Quark)、マーガリンもしくは植物油もしくは人工油もしくは食用油(Margarin oder Pflanzen oder Kunstspeisefett oder Speiseöl)、ラードもしくはベーコンもしくは牛脂(Schweineschmalz oder Speck oder Talg)となっています。
5. ジャムと砂糖(Marmelade und Zuker)


Reichskarte für Marmelade und Zucker(ベージュ)

ジャム(ドイツ語でマーマレードはジャムの意味)と砂糖の配給カードです。長期保存が可能な為、他のカードに比べてマス目の数が少なくなっています。


こちらは卵(Eier)が一緒になった配給カード。購入した会社のスタンプが押されています。
6. じゃがいも(Speisekartoffeln)

Bezugsausweis für Speisekartoffeln(黄)

バーデン=ヴュルテンベルク州Heilbronnで1942年に発行された配給カードです。じゃがいもは長期保存が可能な為、期限が約半年間(6月29日から12月13日まで)です。
7. 栄養食品(Nährmittel)

Nährmittelkarte(ピンク)

こちらはヘッセン州カッセル上級都市で発行された1942年12月14日から1943年1月10日まで有効の配給カードで、オートミールやシリアルなどの栄養食品(Nährmittel)、パスタ(Teigwaren)、澱粉(Sago)、片栗粉(Kartoffelstärkemehl)、プディングパウダー(Puddingpulver)といったいわゆる“粉もの”が購入できました。

このブログではお馴染みのドクトル・エトカーのプディングパウダーです。以前、油脂も卵も使わない"戦時ケーキ"をこちらで紹介しました。プディングは少ない燃料費で作れるうえに栄養価の高い合理的で経済的な食品だったようです。
このような食糧の他に、石鹸配給カード(Reichsseifenkarte)や衣服配給カード(Reichskleiderkarte)なども存在しています。
なお、酒や煙草などの嗜好品は配給カードでは無く20パーセントの税金かけることで消費を抑制したようです。
一人あたりの一週間分の食料(1941年)

終戦までナチスドイツの配給制度は続けられます。当時の事を描いた本には、市民が末期の食糧不足で苦しむ様子が描かれていますが、第一次世界大戦の様な深刻な飢餓状態にはならなかった事を考えると十ニ分に機能していたと思われます。
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