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小火器工具セット(Waffenwerkzeugsatz)

だいぶ暖かくなりましたね。苦しかった花粉症もおさまり、気軽に外出できるようになったエーデルマンです。気が付けば平成もあと10日ほどですね。振り返れば平成元年は二十歳になったばかりでした。当時は携帯もインターネットも無く、個人がブログで情報を発信できるなど夢にも思いませんでした。令和になって、どんな技術が発達するか分かりませんが、変わらずドイツ軍装趣味は続けていきたいと思います。

さて平成最後(ついに言えた!)のアップは小火器用工具セット(Waffenwerkzeugsatz)を紹介します。

1_KWZK.jpg

こちらは小火器=地上部隊が使う火器のうち、歩兵部隊が使用するもの、特に兵士1人で携帯操作できるものを言う (by Wikipedia)の整備や修理に必要な工具をコンパクトにまとめたセットです。

2_KWZK.jpg
外観は、普通の弾薬箱です。

3_KWZK.jpg
弾薬箱の蓋を開けると工具収納ケースが入っています。なお、外から工具セットと分かるように、側面に"Werkzeugkasten"や"Werkzeuge"とステンシル或いは手書きされている弾薬箱もあります。

30_KWZK.jpg
取手を使って、工具収納ケースを引き出します。

4_KWZK.jpg
本体は薄い板金製でコンパクトに折り畳めるようになっています。
5_KWZK.jpg
収納ケースを広げると、様々な工具が収められていることが分かります。


39_KWZK1.jpg
裏面。上下に補強用のリブがあります。蝶番で開閉するようになっています。

それでは、工具を一つずつ見ていきたいと思います。
・・とその前に、
22_KWZK1.jpg 
工具を外した状態がこちら。白いペイントで工具のシルエットが描かれており、使った後に戻す場所が一目瞭然です。
46-2_KWZK.jpg
こちらは44年製の収納ケース。ダークイエローで塗装されており、シルエットは黒いペイントです。


32_KWZK.jpg
まずは向かって右側の工具類から紹介していきます。

■手万力(Handschraubstock)
6_KWZK.jpg 
ねじを締めたりする時に手だけでは対象物を押さえきれない時に使用します。
7_KWZK.jpg 
ハンドルと固定部分には滑り止めのチェッカリングが入っています。対象物を挟んでネジで締め付けます。

■両口スパナ(Doppelschlüssel)
8_KWZK.jpg 
サイズ30/36でMG34やMP40のナットの取り外しに使います。同じものがMG34ガンナーズポーチにも入っています。

■モンキーレンチ(Einstellbare Schlüssel)

10_KWZK2.jpg
現代のモンキーレンチとは形状が違いますね。

11_KWZK2.jpg  
親指のところを押し込むとアゴの間隔を自由に調整できます。銃器メーカーの"MAUSER"の刻印があります。

■ポンチ(Schlag)とねじ回し(Schraubendreher)


12_KWZK3.jpg   
ポンチはねじがバカになった場合、溝を再構築する際に使用します。ねじ回しはKar.98やMG34のネジに合致するサイズとなっています。

■小型プライヤー(Kleine Zange)

14_KWZK3.jpg   
全長11cmで先端が尖っています。ネジなど小さな部品を摘まむ場合に使用します。



33_KWZK.jpg

次に向かって左側の工具類です。

■ノギス(Messschieber)
18_KWZK9.jpg
現代のフォルムとはほとんど一緒です。センチとインチの両方で計測できるようになっています。残念ながら、このノギスは深さを測るデプスバーが欠落しています。

■鉄工やすり(Raspel)

16_KWZK.jpg

各種やすりの刃は平形、半丸形、三角形の形状に単目、複目となっています。

15_KWZK.jpg
ハンドルのサイズは大中小。

17_KWZK.jpg 
やすりの刃とハンドルと結合した状態。ドイツと言えども削り合わせが必要な場合もあったのでしょう。

■金槌(Hammer)
19_KWZK2.jpg

金槌はポンチを叩く場合に使用します(あるいは昭和のテレビのように叩いて機関銃を直すこともあったのかも?)

■プライヤー(Zange)
21_KWZK.jpg 
全長16cmでこちらは先端部分に滑り止めのチェッカリングが入っています。

工具収納ケースの中央には、引き出し付きの収納ボックスがあります。
26_KWZK2.jpg
この収納ボックスはスライドすることで本体と切り離せるようになっています。

43_KWZK.jpg
左側の状態ではロックがかかり、右側のように水平に倒さないと引き出しは開閉できないようになっています。
24_KWZK1.jpg
清掃用のワイヤーブラシやピンポンチ、MG34リアサイト取り外し専用工具などが入っています。
23_KWZK1.jpg
こちらの引き出しに入っているのはVerschlußschraube(ねじ回し)や、MG34 エクストラクター取り外し工具などです。

40_KWZK.jpg
収納ケースの裏側にも収納スペースがあります。(何を収納するか情報が無く、写真の状態が正しいかどうかは不明です)

ところでこちらの工具セットはKleinen(小型)Waffenwerkzeugsatzとも呼ばれていますが、Große(大きな)工具セットも存在しています。

下記は資料本『PROPAGANDA SERIES』の「Vol.1 THE K98k RIFLE」に掲載されている写真ですが、注釈では壁際に置かれている木製の箱が"Grosse(Große) Waffenmeisterkiste fur MG und Handwaffen"となっています。
31_KWZK.jpg
確かにGroße(大型)ですね。ちなみにGroßeがWaffen(武器)を形容すると、重火器となりますが、その後にfur MG und Handwaffenとなっているので、こちらも小火器用になります。

こちらはネットで拾った画像です。
37_KWZK.jpg
箱には"gr.=Große Waffenmeisterwerkzeug für M.G. und Hdw"とスタンプされています。

34_KWZK.jpg
資料本の工具箱と形状は違いますが、大型です。

こちらは中身。
35_KWZK.jpg
パネルには工具の形に合わせて収納スペースがあり、それぞれ番号がふられています。ノギスやプライヤー、ねじ回しはkleinen Waffenwerkzeugsatzと共通しています。

36_KWZK.jpg
左側には拳銃用工具弾、右側にはMG08と刻印された工具が収納されています。

38_KWZK.jpg
大型の万力のほか、小型工具セットに含まれている手万力や金槌があります。

以上、大・小の武器工具セットの紹介を終わります。次回令和第一弾の記事は、戦闘工兵のアイテムをアップする予定です。


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Karl Lindner軍曹 (第14装甲師団第103装甲擲弾兵連隊)

こんにちはエーデルマンです。今週は桜が満開で花見日和ですが、相変わらずの出不精で家でゴロゴロです。

さて、本日は第14装甲師団第103装甲擲弾兵連隊第1大隊第1中隊(I/Panzergrenadier-Regiment 103)のUnteroffizier Karl Lindnerの勲記(Urkunde)/所有証明書(Besitzzeugnis)について記事をアップしたいと思います。 (過去mixiにアップした日記の転載です)
※なおUnteroffzierには伍長と軍曹の意味がありますが、この記事では軍曹に統一することにします。
GR103-13-7.jpg
個人的にドキュメントのコンテンツ化は難易度が高く、弊ブログを見ても分かるようにこれまでほとんど手を出さないでいました。しかしながらこの兵士が所属していた部隊の戦歴はかなり興味深く、思い切って記事にする事にしました。(間違いが多々あるかと思いますのが、ぜひともご容赦願います)

残念ながらWehrpassやSoldbuchの様な記録的なドキュメントは付属していない為、勲記にある情報(受章時の所属部隊、階級)から兵士の戦い様を推察していきたいと思います。なお、「こうだったら面白いな」という個人的な願望(妄想)を多分に含んでいますのでご了承願います(笑)

それではまずは第14装甲師団の戦歴について。

pz-14-logo.jpg

1934年10月1日にドレスデンで創設された第4歩兵師団(1939年ポーランド侵攻、1940年フランス侵攻に参加)を母体とし、1940年8月15日に第14装甲師団へ改編。

1941年6月バルバロッサ作戦が始まると南方軍集団の第1装甲配下にてソ連侵攻部隊として従軍。有名なロストフの戦い(1941年11月5日-12月2日)、第二次ハリコフ攻防戦(3月28日〜5月28日)に参加。

GR103-8-1.jpg

1942年6月28日に始まったブラウ作戦ではB軍集団、フリードリヒ・パウルス将軍指揮下の第6軍に編入。ヘルマン・ホト大将麾下第4装甲軍に従属し、南からスターリングラードへ進撃。
1942年7月23にツィムリャンスク、8月10日にはスターリングラードまで130キロのコテリニコヴォに到達。

GR103-7.jpg

さて、ここから少し詳細になります。(スターリングラード攻防戦は個人的に興味があるので・・)

1942年8月23日に第6軍によるスターリングラードへの総攻撃が始まると第14装甲師団は電撃戦によりソ連軍第64軍の防衛線を突破しスターリングラード市の南端に到着。その後も勢いは止まらずバリケード防衛線(高射砲陣地)を撃破し、ルイノクの北方でボルガ河西岸の高地を占領。

 GR103-14.jpg 
10月14日、第14装甲師団の第103および第108装甲擲弾兵連隊はトラクター工場を攻撃しソ連軍第61軍司令官チュイコフ将軍の司令部300メートルまで肉迫。なお、この闘いで第103装甲擲弾兵連隊の一部はヴォルガ川に到達。 (しかしながらこれまでの激戦による消耗は激しく、可動する戦車はわずか19輌となる)

続く10月17日、残った戦車ともに擲弾兵連隊はバリカドイ兵器工場を攻撃。19日までの3日間の戦いで両工場の大部分を占領するも、赤軍兵士の必死の反撃により攻撃は頓挫、膠着状態となる。その後も赤い10月製鉄工場への攻撃にも加わるが同じくソ連軍の激しい抵抗に遭い消耗を重ねる。
GR103-18.jpg 
11月11日 午前6時30分、第14装甲師団を含む7個師団が工場地区に向けて総攻撃を開始。市内の大部分を占領するがドイツ軍の消耗も激しく、日ごとに寒気が強くなるなかで、戦線は再び膠着状態となる。(結局、これが第6軍にとって最後の総攻撃となる)

GR103-26.jpg 
11月22日にソ連軍の大反攻"ウラヌス作戦"が開始され、スターリングラードにいるドイツ軍の包囲網が形成される。ドン軍集団による包囲解除攻撃「冬の嵐作戦」も失敗し、1943年2月2日の第6軍の降伏とともに第14装甲師団は事実上壊滅。

1943年3月フランス西部で残存部隊により第14装甲師団は再編成される。10月に第8軍に編入後、再び東部戦線へ従軍。11月にはドネツク、第8軍は1944年1月にコルスン-チェルカーシィでソ連軍に包囲されるが、多数の死傷者を出しながらも2月には包囲網の突破に成功。
GR103-20.jpg 

1944年4月に第6軍に編入、4月8日-6月6日にかけて行われた第一次ヤッシー=キシニョフ攻防戦に参戦。
その後、再び第8軍に従属後、1944年8月には第18軍の北方軍集団に編入されクールラント橋頭堡の防衛に配置される。9月に"バルト海攻勢"が始まると北方軍集団は中央軍集団と分断され、クールラントは包囲される。(クールラント・ポケット)師団にとってこれで3度目の包囲戦となる。一部は海上脱出に成功するが多くは同地にて降伏、終戦を迎える。

このように第14装甲師団はスターリングラード、コルスン-チェルカーシィ、クールラントと3度も包囲戦を経験した非常に稀有な師団である事が分かります。

それでは、師団戦史に照らし合わせて勲記・所有証明書からKarl Lindner軍曹の戦いを順番に見ていきたいと思います。

1941/42年東部戦線冬季戦記章:WINTERSCHLACHT IM OSTEN 1941/42

GR103-29.jpg

勲記:URKUNDE
GR103-3_201904060952538e2.jpg IM NAMEN DES FÜHRERS 
UND
OBERSTEN BEFEHLSHABERS
DER WEHRMACHT

(総統兼国防軍最高司令官の名において)
IST DEM

Gefreiten Karl Lindner  (カール・リンドナー上等兵)

AM
23.September 1942 (1942年9月23日)

DIE MEDAILLE 
WINTERSCHLACHT IM OSTEN
1941/42
(1941/42年東部戦線冬季戦記章)
(OSTMEDAILLE)
(東部戦線従軍記章)

VERLIEHEN WORDEN. 
(ここに授与する)

FÜR DIE RICHTIGREIT:(代理署名)

Obftlt. u. RegimentsKommandeur
(中佐 連隊長)

Ottomar Hansen中佐による署名

GR-9.jpg

授章には1941年11月15日から1942年4月15日まで間、東部戦線において下記の条件を満たす必要がありました。

・14日間戦闘に参加した者(空軍兵士は30回の出撃)
・60日間非戦闘活動に従事した者
・戦闘で負傷した者
・戦死した者
・戦傷章に値する程度の凍傷もしくは冬季の風土による負傷をした者

この後に紹介する戦傷章の勲記には負傷認定日が1942年8月となっている為、Lindner軍曹(当時は上等兵)が該当するのは、上2つのどちらかと考えられます。


戦傷章(黒):VERWUNDETENABZEICHEN(Schwarz)

GR103-30.jpg     
 
所有証明書:BESITZZEUGNIS
GR103-1_201904060952506e8.jpg
BESITZZEUGNIS (所有証明書)

DEM

(NAME,DIENSTGRAD)
(氏名,階級)
Gefr. Karl Lindner  (カール・リンドナー上等兵)

(TRUPPENTEIL, DIESTSTELLE)
(所属部隊)
Stab I. / Panzer-Grenadier-Regiment 103
(第103装甲擲弾兵連隊第1大隊第1本隊所属)

IST AUF GRUND 
(授章理由)
SEINER AM 4.8.1942 ERLITTENEN MALIGEN
EIN MALIGEN VERWUNDUNG-BESCHÄDIGUNG 
(1942年8月4日に被った1回の負傷もしくは損傷)

DAS
VERWUNDETENABZEICHEN 
in
"Schwarz"(戦傷章 黒)

VERLIEHEN
 WORDEN. (ここに授与する)

O.U.  ,DEN  20.7.1943.
(1943年7月20日 *O.U.=Ortsunterkunft 宿営地にて)

(UNTERSCHRIFT)
(署名)
gez. Hoppe
(*gez=gezeichnet 署名省略)

(DIENSTGRAD UND
 DIENSTSTELLE)(階級と職務)
Hauptmann u. Btl.-Kommandeur
(大尉 大隊長)

F. d. R.=Für die Richtigkeit(代理署名)
Leutnant u. Adjutant (少尉 副官)

負傷認定日が1942年8月4日となっており、この時期は部隊がスターリングラードの南部、ドン川東側に部隊は展開しており、チュイコフ麾下の第51軍との交戦で負ったものと思われます。
授章が一年近く後、所属が本部(Stab)付きなので、恐らくKarl Lindner軍曹は後方へ輸送される程の重傷だったのでしょう。しかしながらスターリングラードでの師団の命運を考えれば、この時負傷したのは不幸中の幸いと言えます。

GR103-10.jpg 


戦傷章(銀):VERWUNDETENABZEICHEN(Silber)

GR103-23.jpg  

所有証明書:BESITZZEUGNIS
GR103-2_20190406095252417.jpgBESITZZEUGNIS(所有証明書)

DEM

(NAME,DIENSTGRAD)
(氏名,階級)
Unteroffizier. Karl Lindner (カール・リンドナー上等兵)

(TRUPPENTEIL, DIESTSTELLE)
(所属部隊)
2. / Panzer-Grenadier-Regiment 103
(第103装甲擲弾兵連隊第1大隊第2中隊)

IST AUF GRUND 
(授章理由)
SEINER AM  21.7.1942, 7.8.42 u 5.6.44 ERLITTENEN 
3 MALIGEN VERWUNDUNG-BESCHÄDIGUNG 
(1942年7月21日、同年8月7日、1944年6月5日に被った3回の負傷もしくは損傷)

DAS
VERWUNDETENABZEICHEN 
IN "Silber"
(戦傷章 銀)
VERLIEHEN WORDEN(ここに授与する)

 
Btl.-Gef.-Std. ,DEN 10.6.1944

(1944年6月10日大隊司令部にて)

(UNTERSCHRIFT)
(署名)

(DIENSTGRAD UND
 DIENSTSTELLE)
(階級と職務)
Hauptmann und. Btl.-Führer I./Pz.Gren.Rgt.103
(大尉 第103装甲擲弾兵連隊第1大隊長)

※Btl.-KommandeurとBtl.-Führerをどちらも大隊長と訳していますが、Kommandeurは正規、Führerは代理(試用)という位置づけです。なお、規定では大隊長は左官(少佐)が務めることになっていましたが、戦争後期になると大尉が務める例がよく見られます。
戦傷章(銀)の授章条件は、前線での負傷が3回もしくは4回、また一回であっても手肢を切断するような負傷、片目の視力あるいは聴力を失うことでした。
負傷認定日には、1942年7月21日、1942年8月7日、1944年6月5日となっています。
1944年6月5日の負傷は第一次ヤッシー=キシニョフ攻勢で受けたものと思われますが、授章日が5日後なので軽傷だったのかも知れません。

一つ疑問なのが、2回目の負傷認定日が戦傷章(黒)の認定日(8月4日)の3日後になっている点です。スターリングラードで師団記録が消失した為、後方の病院の受入記録が記載されたのかもしれません。 なお、授章日1944年6月10日時点で階級が軍曹(Unteroffizier)に昇進していることが分かります。

白兵戦章(銅):NAHKAMPFSPANGE(I. Stufe)

CCC.jpg 

所有証明書:BESITZZEUGNIS
GR103-4_20190406095255812.jpgBesitzzeugnis (所有証明書)

(Dienstgrad)
(階級)
Dem Unteroffizier.(軍曹)
 
(Vor-und Familienname)(氏名)
Karl Lindner  (カール・リンドナー)

(Truppenteil)
(所属部隊)
I. / Pz.Gren.Rgt 103
(第103装甲擲弾兵連隊第1大隊第1中隊)

Verleihe ich für tapfere Teilnahme
an 15 Nahkampftagen
(勇敢な15日間における近接戦闘参加に対し)

die 1.Stufe der
Nahkampfspange

(白兵戦章 銅)

Rgt.-Gef.-St., den 28.12.1944.
(1944年12月28日連隊司令部にて)

Oberst u. Rgt.-Kommandeur
(大佐 連隊長)


Walter Palm大佐による署名 。1945年3月20日に最後の第14装甲師団長として就任。

※こちらの所有証明書はゼラチン複写版=ヘクトグラフ(Hektograph)で作らています。印刷された証明書が手元にない場合、仮発行用とされました。
白兵戦章は近接攻撃を行った兵士に与えられる戦功章です。授章条件は参加した日数で金章(III. Stufe)が50日、銀章(II. Stufe)が30日、銅章(I. Stufe)が15日となっています。
授章日が1944年12月28日となっており、それ以前に行われた戦闘で15日間の近接攻撃に参加したことになります。
クールラントでの大規模な戦闘は6回で12月28日以前は、1回目と2回目、3回目の前半が該当します。

1回目:1944年10月27日−1944年11月7日
2回目:1944年11月20日−1944年11月30日
3回目:1944年12月23日−1944年12月31日
4回目:1945年1月23日−1945年2月3日
5回目:1945年2月12日−1945年2月19日
6回目:1945年3月17日−1945年4月4日

GR103-6.jpg
クールラント包囲戦の前線マップ。1944年と1945年の前線の間にあるPriekule (独:Preekuln)に第14装甲師団が配置された記録があります。

Karl Lindner軍曹についての記録はここまでで、無事に終戦まで生き延びたのかどうかは不明です。
以前、こちらで記事にしたとおり、空・海路で脱出した一部の兵士を除く約135,000名の兵がソ連軍に降伏、捕虜となりました。降伏の際、ロシア兵の報復を恐れ、カフタイトルなどの戦功章やその勲記、授章履歴が書き込まれたSoldbuchなどは破棄したと考えます。この勲記も授章後に家族へ宛てた手紙に同封された可能性が高いです。
60436_2019040609524636b.jpg 
クールラントで捕虜になった兵士たちはシベリアの強制収容所へ送られ、故郷に生きて戻れたのはごく僅かでした。


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