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Gew.43 (Gewehr 43)

こんにちは、エーデルマンです。お盆休みですが、今年も暑さと人混みが苦手なので恐らく家に籠りっぱなしです。(一回位は山登りに行こうかと思っていますが・・・)

さて、本日紹介するのは“Hitler's Garand"(ヒトラーのガーランド)ことGewehr 43(Gew.43)です。
ドイツ軍部は第一世界大戦での経験から、ボルト・アクション式に代わる次世代の自動装填式の小銃=半自動小銃の必要性を理解していましたが、全歩兵に支給するという発想や、その為の資金も無く、第二次世界大戦が始まっても、ドイツ歩兵の主力兵器はGew.98を15cm短縮させただけのKar.98Kでした。

一方でソ連やアメリカは半自動小銃の開発を進め、ソ連はシモノフM1936(英:AVS-36 露:ABC-36)とトカレフM1940(英:SVT-40 露:CBT-40)、アメリカはM1ガーランドを採用します。

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1941年に独ソ戦が始まると、ソ連軍兵士の持つボルト操作しなくても装填できる半自動小銃の威力を思い知ることになります。ドイツ陸軍兵器局はマウザー社とワルサー社へ開発を要請、一年弱という短い期間でそれぞれ「Gew.41(M)」と「Gew.41(W)」を完成させます。


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Gew.41(M) 


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Gew.41(W) 
画像提供:「WWⅡ ドイツ軍小火器の小図鑑」*Gew.41(M)の原図提供元 Kentomon

実用試験の結果、ワルサー社がマウザー社よりも優れていると判断、Gew.41(W)が正式に採用されます。しかしながら銃口部分が大きくなるバン・システムはフロントヘビーで扱い難く、また同方式はガスの移動距離が長い為、ロシア戦線の過酷な状況では作動不良が頻繁に発生しました。そこでGew.41のバン・システムの改良では無く、より信頼性の高いSVT-40のガス作動方式をコピーしてGew.41に組み込んだ新型の半自動小銃「Gew.43」を開発します。

Gew.43 (Gewehr 43) 仕様

種別 半自動小銃
口径 7.92mm
銃身長  546mm 
使用弾薬 7.62×57mm 
装弾数 10発
作動方式 ガス・ピストン方式
全長  1117mm
重量 4400g
発射速度40発/分
銃口初速775m/秒
有効射程 1200m

Gew.43は1943年4月に採用され、ワルサー社のほか、グストロフ社、そしてリューベッカー・マシーネン・ファブリク社(BLM)が製造します。なお名称は、1944年4月25日にkarabiner 43に変更され、それに伴い刻印も「K.43」となります。G.43/K.43併せて終戦まで46万2千挺が生産されました。

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Gew.43は安価に大量生産する為の工夫が随所に見られます。ストックの材質に積層材(ラミネート)やベークライトが使用されるのは同時期の軍用銃と同じですが、Gew.43では鉄製部品の製造に初めて鍛造工程が導入されます。
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レシーバーとボルトキャリアは型鍛造となります。鉄の塊から削り出す切削加工に比べて大量生産向きで製造コストは下がります。またボルドがスライドするレシーバー後部のハウジングはプレス加工で製造されています。

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トリガーガード部もプレス加工された部品を使用しています。なお、プレス加工とは金型に金属(メタルシート)を挟み、圧力により成型を行う製造法で鍛造同様に大量生産に向いています。

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10発装填可能なマガジンです。Gew.41とは違い脱着が可能です。追加装填は、小銃用の5発装弾クリップを用いて上部から行うよう推奨されていました。

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マガジンはメタルシート製で補強用のリブが刻まれています。バネの圧力は強くなく、10発装填は容易にできます。

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マガジンの底部にはgcb (Grohman u. Sohn Ad. Metallwarenfabrik, Wurbenthal/Sud.)のメーカーコード、WaAB92のヴェッフェンアムトとK43の刻印があります。
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バットストックはボルトアクション銃では一般的な形状です。
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バットストックにはメンテナンスキットや予備パーツ、マニュアルを収納するコンパートメントがあります。

■Gw ZF4(4倍 狙撃スコープ)
Gew.43/Kar.43ともに標準でレールが付いており、ワンタッチで4倍の狙撃スコープが装着できるように設計されていました。半自動小銃の狙撃銃は初弾をミスした場合、第二弾を迅速に発射できる、反撃された場合の素早い応戦が可能になるといった利点があり、『最強の狙撃手』の中で、"ゼップ"・アラーベルガーもKar.98KとGew.43を状況によって使い分けています。

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しかしながら、連合国の戦略爆撃が激しさを増す中、安定した生産体制の維持が困難になり、さらに爆撃の被害や兵役により熟練工が減少、労働力として強制収容所の囚人や捕虜などに頼らざるを得なくなります。そのような状況で生産された中で狙撃銃としての要求仕様を満たせたものは極僅かで、実際に狙撃銃として使用されたのは10%以下でした。
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こちらは4倍率スコープのGw ZF4(Gewehr Zielfernrohr 4-fach)です。Gew.43以外にFG42やMP43にも装着されました。製造メーカーは3社でそれぞれ生産数は下記の通りです。

メーカーコード生産数
Voigtländer und Sohn, Braunschweigddx. 73,000 
Opticotechna GmbH, Preraudow. 40,000 
AGFA Kamerawerk, Münchenbzz. 3,500 


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このスコープには「Gw ZF4」の刻印がありますが、1944年12月15日には「ZF K43」に変更されます。なお、△はグリース記号で1943年後半以降の製造、水色は一般的には寒冷地仕様を示すとされています。

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ZF4のアクセサリーは、①ゴム製アイカップ②遮光フィルター③サンシェード④レンズカバー⑤マウント⑥ウィンテージ・ノブキャップがセットになっています。

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垂直に配置されているノブは距離を調整するエレベーション・ノブでレチクルが上下します。1~8(100~800m)まで50m間隔で目盛りが刻まれています。
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水平に配置されているノブはウィンデージ・ノブでレチクルを左右に移動します。
レティクルの前にあるレンズ(対物レンズ側)が左右に動き、像自体が動くようです。(A.Iさん、ご指摘ありがとうございます)


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ドイツ軍の狙撃スコープはこのパターンのレチクルが一般的です。

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ZF4の脱着方法について。

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レールに沿ってマウントをスライドします。




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「カチッ」と音がしてレールの溝でロックがかかります。スコープを外す時は矢印の部分を押しながら左にスライドさせます。




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レバーを左から右に移動し、固定 ”fest"します。外す時はレバーを左に移動し、解除"lose"にします。
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最初から狙撃スコープ有りでデザインされている為、この状態でのバランスは抜群です。スコープは短く、右側にオフセットされているので、ボルト操作や5発クリップでの装填には一切干渉しません。

■マガジンポーチ
Gew.43のマガジンが2個(20発分)が収納可能な専用のポーチを紹介します。マガジンポーチは本革製以外に代用皮革やビニール製、布製、ゴム引き製と様々なタイプがあります。MP44のポーチと同じく残像数が少なくコレクターの間で高額取引されていた為、東欧を中心にフェイクが大量に生産され市場に出回りました。

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こちらはビニール製のポーチです。ビニールは正確には「ポリ塩化ビニル(PVC)」という合成樹脂の一種で、塩化ビニルモノマーを重合させた樹脂に柔らかくする可塑剤と劣化を防ぐ安定剤が加えられたものです。1927年にアメリカで工業化がスタートします。
ポーチ本体の生地はフランスの高級ブランドのルイ・ヴィトン製品と同じく、キャンバス地をポリ塩化ビニルで加工したものです。

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こちらは革製のポーチです。写真は無いですが、内部に"bla 1944"の刻印があります。

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こちらは"ros 1944"刻印で生成りの革製です。ストラップ通しが無く、留め金具が底部についています。
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ウエストベルトの左側にマガジンポーチ、右側に30発小銃弾入りポーチを装着します。

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私の記憶の限りにおいては、Gew.43が登場する映画や漫画は無かったように思いますが、ショウエイのモデルガン効果もあり非常に人気のある銃です。


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Robert Weger兵長(第7山岳師団第206山岳猟兵連隊)

こんにちは、エーデルマンです。梅雨が明けていよいよ夏本番ですね。
最近駆け込みで『アンノウン・ソルジャー・英雄なき戦場』を観ました。本作品は第二次大戦中の1941年6月25日から1944年9月19日にかけて、ソ連とフィンランドの間で戦われた戦争、いわゆる“継続戦争”(別名:第二次ソ・芬戦争)を兵士の視点で描いたもので、銃弾の飛び交う戦場描写は臨場感があり迫力満点でした。

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映画を観終わった後、なぜ"継続戦争"と呼ぶのか?ふと疑問に思い、さっそくWikipediaで調べてみました。
それは1939年11月30日にソビエト連邦のフィンランド侵攻による国土防衛戦争、通称"冬戦争"(別名:第一次ソ・芬戦争)に"継続”している”戦争”だからのようです。(確かに映画の中でも冬戦争で戦った兵士が再招集されていました)

冬戦争ではフィンランド軍は貧弱な武装にも関わらず地の利と気候を活かした戦術によりソ連軍に多大な被害を与え講和に持ち込みますが、カレリア地方などを割譲、ハンコ半島を租借地とすることを余儀なくされます。
Finnish_areas_ceded_in_1940.png 
フィンランドが冬戦争で失った領土(Wikipediaより)

間違いなくソ連が再び侵攻してくると考えたフィンランド政府はドイツと秘密協定を結び、軍事経済援助を受ける代わりに領土内へのドイツ軍の駐留および領内通過を認めました。ところがこの密約はすぐにソ連にもバレてしまいます。
当初は中立を通そうとしましたが、1941年6月22日にドイツがソ連へ侵攻すると、ドイツ空軍がフィンランド領内からソ連を攻撃した報復攻撃としてソ連空軍がフィンランドを空爆、フィンランドが6月26日にソ連へ宣戦布告したことで戦争が始まります。

前回の孤軍奮闘とは違い、今回はオウル=ベロモルスクを結ぶ線より北側はドイツ軍が、南側は、カール・マンネルハイム元帥のフィンランド軍の作戦地域とし、失地回復を目指します。

8月末にはカレリア地方を奪還。冬戦争以前の国境線を取り戻す事に成功します。
Map_of_Finnish_operations_in_Karelia_in_1941.png 

このブログではフィンランド駐留部隊の一つである第7山岳師団(7.Gebirgs-Division)に時折スポットライトを当て、ドイツ軍側からの視点で継続戦争とドイツ‐フィンランド間で行われた戦争"ラップラント戦争"を見ていきたいと思います。

まずは第7山岳師団の戦役について説明から。

第7山岳師団は第99軽歩兵師団(1940年11月に編成、1941年6月バルバロッサ作戦に参加 、ウクライナでの戦闘で消耗し10月にドイツ本国へ撤退)を母体とし1941年10月22日に再編成されました。

師団マークの"Der Bergschuh"

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<第7山岳師団部隊編成>
■第206山岳猟兵連隊
・第1大隊
・第2大隊
・第3大隊
・山岳装甲猟兵中隊(機械化)
■第218山岳猟兵連隊
・第1大隊
・第2大隊
・第3大隊
・山岳装甲猟兵中隊 (機械化)
■第99装甲猟兵大隊
■第99偵察大隊
■第79山岳砲兵連隊
・第1大隊
・第2大隊
・第3大隊
・第4大隊
■第99山岳工兵大隊
■第99山岳通信大隊
■第54山岳補充大隊
■第54スキー大隊
■第99補給部隊

第7山岳師団は継続戦争でフィンランド軍を支援するため、1942年にフィンランドのラップラント(フィンランドの北端部)に派遣され、Uhtua(現カレリア共和国カレヴァラ)で、ソ連軍の進撃をフィンランド軍と共に迎え撃ちます。
Continuation_War_1942_and_Soviet_assaults_English.jpg  
1942年の戦線(Wikipediaより)

なお、師団の一部 (Geb.Jg.Rgt. 206, III./Geb.Jg.Rgt. 218,  I./Geb.Art.Rgt.82) はカンプグルッペ"Hoffmeister"として1942年3月にデミャンスク盆地のIlmensee(イリメニ湖)での戦闘に加わります。

Bundesarchiv_Bild_146-1972-042-42,_Russland,_Kesselschlacht_von_Demjansk
デミャンスク包囲戦(1942年2月8日 - 4月21日)のドイツ軍。

Hoffmeisterの戦役
1942年3月28日 -1942年3月30日: KoslowoとKudrovoへの攻撃
1942年4月03日 -1942年6月02日: Redzywegで防衛 
1942年6月03日 -1942年6月09日: Gridinowegへ攻撃 
1942年6月10日 -1942年7月12日: Gridinowegで防衛
1942年7月13日 -1942年8月12日: フィンランドへ転戦 

1942年8月中に第7山岳師団の全連隊はフィンランドに集結、Kiestinkiでソ連軍の反撃に備えます。

同師団は1943年8月に行われたSenossero地域での「Bunkerrücken」(トーチカ尾根)攻略にも参加。このBunkerrückenへの攻撃は、1943年のカレリア地峡において最も傑出した闘いとされています。 BunkerrückenはKangaschwara南部のソ連海軍歩兵旅団部隊によって約1年半かけて要塞化された尾根で、1941年のフィンランドの攻撃の後もソ連軍が確保していました。
尾根の地形は、防御側に極めて有利で攻撃側の背後まで見通しが利き、攻略には多大な犠牲が必要とされました。
この攻略については第99山岳工兵大隊兵士の手記が残されているので紹介したいと思います。

攻撃準備は1943年6月から既に始まっていた。突撃部隊は第7山岳師団の第218山岳猟兵連隊第2と第12中隊、第16山岳装甲猟兵中隊の駆逐戦車2両、迫撃砲部隊 、重戦車砲兵部隊から構成されていた。これらの部隊は前線から引き抜かれ、徹底的に訓練された。 さらに他の突撃部隊として火炎放射器 、対戦車砲と重火器を装備した第99山岳工兵大隊第2中隊が加わり、2大隊分の兵力がトーチカ尾根を攻略することとなった。最初の中隊が尾根の北側斜面のトーチカを潰し次第、次の中隊が続き、左右のトーチカを潰す。

攻撃開始時間は1943年8月9日に12時35分に設定。 各中隊は敵に気づかれずに突撃開始位置に着き、それから目標に向かって突撃した。 トーチカからトーチカへ(その数は元々想定していた以上に多かった)攻撃と占拠を繰り返した。 トーチカは視界の悪い森の中に巧妙にレイアウトされていた為、山岳部隊が接近して見つけるしかなかった。この勇敢な攻撃で、第6中隊はSukkulaに接近して基地に突入した。第99山岳工兵大隊第2中隊のDennerlein中尉の優れた指揮に援護され第7中隊は地峡に攻め込んだ。(中尉は、攻撃の翌日1943年8月10日に戦死)

-「Einzelschicksale Riedlingsdorfer Soldaten im Zweiten Weltkrieg」より-


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1943年夏に第206山岳猟兵連隊第1大隊の大尉と軍曹がキューベルワーゲンで走行中に2本の木に結びつけられたワイヤーで斬首されるという事件が発生しました。ドイツ軍はソビエトパルチザンの仕業と断定。(東カレリア地方ではソビエトパルチザンが度々破壊活動を行っていたが、攻撃対象のほとんどはフィンランド市民でしかも女性や子供であった。ソビエトパルチザンについて説明したWikipediaのページ(英語)はこちら
ドイツ軍は報復として赤軍パルチザンに協力する村を襲撃し、村民(含むパルチザン)70人を殺害します。

ここで少し時間を遡り、全体的な話に戻します。

1943年2月にドイツ軍がスターリングラード攻防戦で決定的な敗北を喫すると、枢軸国不利と見て戦争からできるだけ早く離脱し、ソ連との講和を結ぶことを考え始めました。
しかしソ連側の要求は厳しく、その中でも独力でフィンランド在留のドイツ軍を駆逐するという条件は簡単に呑めるものではありませんでした。

フィンランドはソ連との講和交渉を打ち切り、カレリア地峡に前もって備えていた防衛線以外にも防塞の建築を始め、動員を拡大するなどソ連との本格的な戦闘に備えます。

1944年6月9日に連合軍がノルマンディーに上陸すると、ソ連軍はフィンランドへの攻撃を再開します。冬戦争とは比較にならないほど戦闘スキルが向上したソ連軍の攻撃に、フィンランド軍は苦戦。カレリア地峡の主防衛線は破られ、6月21日には第三のVKT防衛線まで後退します。

しかしながら、ここからがフィンランドの粘り強い所で、再びドイツに接近しリュティ大統領が「フィンランドはドイツと共に断固最期まで交戦する」と(個人名義で)宣言することで航空機や対戦車兵器など軍需物資と兵力の支援を確保します。

交渉の裏方で尽力したのが、第20山岳軍団司令官のエデュアルト・ディートル上級大将であると言われています。

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1944年6月23日、会議においてソ連軍に降伏したフィンランド軍を軽蔑する言葉を発したヒトラーにディートルは、「総統閣下、私は一人のバイエルン人としてあなたに話しかけなければなりません!」とテーブルを叩いて、フィンランドに対するヒトラーの不当な評価を激しく非難した。意外にもヒトラーはディートルに対して「君の言うことは全面的に正しい」と答え、ディートルに心のこもった別れを告げた後、他の軍人の方を向いて「諸君、私の将軍たちはみなあの男のようであって欲しいものだ」と語ったとされる。

-「Wikipedia」より-

ドイツ軍の援軍があってもソ連軍との兵力差は圧倒的であり、フィンランド軍は善戦しますが徐々に追い詰められていきます。しかしながら再び幸運の女神はフィンランド軍に微笑ます。ソ連軍の暗号無線を傍受し解読、7月3日にソ連軍がイハンタラへ総攻撃を加えようと集結しているところへ、航空機による爆弾投下と火砲による集中砲火により壊滅状態に追い込みます。

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このようにフィンランドの激しい抵抗にソ連は3倍近い損害を出すことになりやむを得ず侵攻を停止します。

ここでソ連首脳陣は考えます。これ以上フィンランドへ戦力を割くのは、戦略的に意味はあるのか?また連合国が欧州を東進する構えを見せており、ソ連としては対枢軸国戦争後のヨーロッパでの勢力圏拡大の為に、東欧諸国へ攻撃を行った方が理に適っているのでは無いか?

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フィンランド側もドイツの敗戦は火を見るよりも明らかで援助物資もいつまでも期待できない中、長期戦は避けたい。
戦線が膠着すると同時にフィンランドはソ連との講和交渉を再開します。ソ連から提示された講和条件は賠償金3億ドル(現在の米ドルで約40億ドル)相当の支払い、国境線を冬戦争後のものに戻すこと、ペツァモの割譲、フィンランド湾の要衝ポルッカラをソ連の租借地とすること(その代わりハンコ半島の租借権は返上)、そしてドイツ軍を武装解除し、フィンランドから追放することでした。 

フィンランドはこの条件に合意すると、まずは1944年9月2日にフィンランドがドイツとの外交関係を解除、9月19日にソ連との間で停戦協定を締結します。(「モスクワ休戦協定」)

ドイツ軍をフィンランドから撤退する期限は9月15日と定められており、残るドイツ兵は武装解除しソ連へ引き渡すことになりました。当時フィンランドには21万4千のドイツ軍将兵が駐留しており、短期間での撤退は絶対に不可能です。

実はドイツ軍側も本国には内緒でノルウェーへの撤退準備「ビルケ作戦」を進めており外交関係の解除の翌日、9月3日から退路の建設を開始していましたが、まだまだ不十分な状態でした。

期限が過ぎてしばらくした9月28日にドイツ軍第20山岳軍とフィンランド軍の間で戦争が勃発します。(「ラップランド戦争」)
戦争は始まったものの、両国はこれまで共に戦った盟友であり、ドイツ兵とフィンランド兵の間には友情が芽生えていた為、死傷者は出ないよう手加減して戦っていました。

しかしながらソ連はドイツとフィンランドが本気で戦っていないことを見抜き、フィンランドを強く批判します。またドイツ軍もソ連が割譲することになったペツァモ(ニッケルの産地)を保持しようとし、退却は中々進みませんでした。

ドイツ軍を1日も早く退却させなければ休戦協定を破棄するとソ連に迫られたフィンランド軍は、Tornioに上陸し、同時に陸路Kemiを攻撃する進攻作戦を計画、1944年10月1日に実行します。(Tornioの戦い)ドイツ軍も激しく応酬した為、両軍に多数の死傷者がでます。この戦いを境に戦闘は本格化します。

ドイツ軍はヒトラーから命令された焦土作戦により撤退途中の町々を廃墟にしながら次々とノルウェーへ撤退します。(ただしロタール・レンデュリック将軍は病院と教会だけは残すよう命令)最後に残ったドイツ軍第7山岳師団が陣地を放棄して、ノルウェー領に撤退したのが1945年1月10日、負傷などで取り残されたドイツ兵がフィンランドを離れたのは1945年4月27日でした。

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前置きがいつにもなく長くなりました。
本日のネタはこちらの第7山岳師団所属兵士のヴェアパス(Wehrpaß)ゾルドブーフ(Soldbuch)です。

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アンノウン・ソルジャーから始まり簡単に継続戦争について前置き程度に記述するつもりが、ついつい熱が入って長文になってしまいました。
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まずはヴェアパスから見ていきたいと思います。この手帳の持ち主であるRobert Weger氏は1923年4月5日生まれ。バイエルン州のSchweinfurt出身で、徴兵前の職業は靴職人(Schuhmacher)です。

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所属部隊のページ。19歳で軍歴がスタートします。
1942年2月25日-1942年5月11日:第481歩兵補充大隊訓練第2中隊(2./Inf.Ers.Abt.481)
1942年5月12日-1942年6月23日:第3野戦補充大隊第7中隊(Feld Ers.Btl. 7/3)
1942年6月24日-1945年5月08日:第206山岳猟兵連隊第2大隊第7中隊(7./Geb.Jg.Rgt. 206)
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軍務記録のページ。
1942年6月24日 -1942年7月15日: Ilmensee(イリメニ湖)で攻防戦に参加
1942年7月16日 -1942年8月15日: 戦線から離脱、ラップラント方面軍(第20山岳軍)の作戦区域に移動
1942年9月03日 -1944年9月02日: 北部フィンランドで戦闘配置
1944年6月10日 -1945年1月20日: 北部フィンランドで防衛戦 / 北部フィンランドから撤退、Lyngen-Narvik域へ移動
1944年9月15日 -1944年9月26日: a)Kuusamo東部で防衛戦 
1944年10月1日 -1944年10月8日: b)KemiとTornioで防衛戦
1945年1月21日 -1945年5月08日: ノルウェーに駐留

なかなかの経歴です。"Hoffmeister"の一員としてデミャンスクで戦い、その後フィンランド防衛に従事し、ラップラント戦争ではTornioの戦いにも参加しています。

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1944年6月-9月の第206山岳連隊の配置地図 (Courtesy of Simon.O)

続いてゾルドブーフです。
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ヴェアパスの写真は入営前の撮影なので私服姿ですが、ゾルドブーフの写真は軍服姿です。このページから1942年10月に一等兵、1942年12月に上等兵、1944年6月に兵長に昇進したことが分かります。
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こちらは武器と装備のページ。この兵士には狙撃銃(Zielfernrohr=Gewehr)が支給されていました。ちなみにKar.98Kと共に支給された狙撃スコープですが、ZF.39のような高倍率スコープでは無く、1.5倍率のZF.41と思われます。
高倍率のスコープは狙撃訓練を受けた狙撃手のみに支給されますが、この兵士のヴェアパスにはKar.98KとMG34以外に特別な訓練の記録がありません。一方でZF.41は狙撃手以外にも射撃の上手い兵士(日:選抜射手 英:Marksman/Sharpshooter 独:Scharfschütze)へ支給され、その場合は特別な訓練は行われませんでした。
※ZF.41の開発コンセプトについては相互リンクをさせていただいているKentomoさんのHPに詳しい説明があります。

しかしながら上等兵の身分でMP40が正式に支給されていることから、やはり狙撃手の可能性もあります。(狙撃兵には即応力向上の為、短機関銃が支給されることがあったようです)
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また一般装備のページには狙撃手に支給された「Tarnjacke」は無く、代わりに「Tarnnetz(迷彩ネット)」の文字が。
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ちなみにネットで見つけた情報ですが、第7山岳師団に支給された小火器は以下の通り。
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Zielfernrohrgewehre 182挺は、4倍率とZF.41合わせた数と思われますが、割合としては中隊当たり1挺と非常に少ない支給率です。

最後に受章履歴のページです。
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1943年8月21日に戦傷章(黒)、1944年8月5日に二級鉄十字章(E.K.II)、そして1945年7月31日にラップラント盾章(Lapplandschild)を受章しています。

1944年11月から勃発したラップランド戦争を対象戦役として、第20山岳軍のフランツ・ベーメにより提案された。ラップランド盾章はこの戦争で6か月以上「立派で役立った」人物に贈られる予定であった。
1945年2月に制定されたこの盾章は、正式に設けられた盾章としては最後のものである。制定された時期が終戦間近ということもあり、1945年5月以降も部隊の司令官によって授与されたが詳しい数は不明である。
ラップランド盾章は他の盾章と異なり、国家鷲章にハーケンクロイツが使用されていなかった。また、兵科を表す裏布も存在していなかった。

-「Wikipedia」より-
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ラップラント盾章のバリエーション。 (Courtesy of http://www.cimilitaria.com/branchindex.htm)

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ヴェアパスにもラップラント盾章の授章記録があります。(署名はHptm.Herbert Schmidt)こちらはブロック体で書かれていて分かりやすいですね。

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師団記録によれば第7山岳師団は撤退時には殿(しんがり)を務め、ノルウェーへ撤退したのは1945年1月でした。第206山岳猟兵連隊はノルウェーのトロンハイムで終戦を迎えイギリス軍に投降しました。

なお戦後ノルウェーで捕虜になったドイツ兵(主に工兵部隊)は、地雷の除去作業に従事し1945年8月までに350人が死亡したという記録があります。(デンマークで地雷除去作業を行ったドイツ兵の苦難ついてはこちら
ただしノルウェーにおいては連合国による強制ではなく、第20山岳軍のフランツ・ベーメが自ら指揮したという記録が残っています。(地雷を250個除去した兵士には二級鉄十字章が支給されたそうです)
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ノルウェーで地雷除去作業をするドイツ兵


ノルウェーから引き揚げるドイツ兵


Weger兵長が生きて故郷で家族と再会できたことを祈ります。
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エーデルマン

Author:エーデルマン
脳内の99%をドイツ軍が占めている、そんなアラフィフ親父です。
注)当時のドイツ軍の装備・生活用品に興味がありますが、特定の団体・思想を支持するものではありません。

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エーデルマンの参考文献
Ss-brigadefuhrer Und Generalmajor Der Waffen-ss Theodor "Teddy" Wisch
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個人秘蔵の未公開写真が満載でLSSAHファンは必読の書。著者は友人

WWII ドイツ軍兵器集 〈火器/軍装編〉 (1980年) ワイルドムック
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長年教科書だった本。小宮氏の「ドイツ軍の全貌」の解説がすごい

最強の狙撃手
最強の狙撃手
ドイツ軍No.2スナイパーの回顧録。狙撃シーンもすごいが、当時の兵士の生活も垣間見れる一冊

第2次大戦ドイツ軍装ガイド
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鮮明な写真による軍装品説明はブログ写真撮影の参考にしています

ドイツ軍装備大図鑑: 制服・兵器から日用品まで
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軍装品のカタログとも言えるボリュームは圧巻。実は密かに打倒を狙っていたり・・・

第2次大戦ドイツの自動火器
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実物のFG42実射レポートを読めるのはこの本だけ

“グロースドイッチュランド”師団写真史―東部戦線におけるGD機甲擲弾兵師団1942‐1944
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ドイツ国防軍好きなら買って損はなし

図説ドイツ軍用銃パーフェクトバイブル (歴史群像シリーズ Modern Warfare MW)
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ドイツの軍用銃の専門書でビジュアル的に見ていて楽しい

ドイツの小銃拳銃機関銃―歩兵兵器の徹底研究 (光人社NF文庫)
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ドイツ軍用銃のバイブル的な書。ドイツ軍スナイパートップ3への一問一答が興味深い

Feldbluse: The German Soldier's Field Tunic, 1933-45
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M33からM44までドイツ陸軍の野戦服を網羅。特にM36以前の野戦服は必見

Rations of the German Wehrmacht in World War II
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とにかく当時のドイツ兵が食べていた糧食にこだわった一冊

武器と爆薬―悪夢のメカニズム図解
武器と爆薬―悪夢のメカニズム図解
迫撃砲はどうやって砲弾を飛ばすのか?小銃擲弾は?ほかにも大砲や爆弾のしくみを源文マンガでわかりやすく解説

グラフィックアクション GRAPHIC ACTION 1993年 No.17
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このシリーズは市場で見つけたら買うべし

ドイツ武装親衛隊軍装ガイド (ミリタリー・ユニフォーム)
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WSS専門だけど全部実物!

鼠たちの戦争〈上〉 (新潮文庫)
鼠たちの戦争〈上〉 (新潮文庫)
映画「スターリングラード」の原作本的な内容だが100倍面白い

鼠たちの戦争〈下〉 (新潮文庫)
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スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943 (朝日文庫)
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塹壕から故郷へ送った兵士の手紙が興味深い「クリスマスはドイツ風に」の章は涙なくしては読めません

ケルベロス 鋼鉄の猟犬 (幻冬舎文庫)
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ヒトラーが暗殺された後の撤退戦を描いた架空小説。小道具にこだわるところがマニアっぽい

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート (大日本絵画)

ナルヴァ戦線で活躍したオットー・カリウスの自伝を宮崎駿監督が漫画化。「ティーガー薬局」を営むカリウスを訪問しインタビューという企画が素晴らしい

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