陸軍M42略帽 (Feldmütze 42)
2回連続で略帽について書いておりますが、年内最後の締め(たぶん)ということで、私にとって究極の略帽、M42略帽ついて書きたいと思います。
M42略帽は(Feldmütze 42)で、M34略帽の後継モデルとして、1942年7月から導入されました。
特徴は折り返しのフラップが防寒用の耳あてとして使用できるよう前面にボタンが付けられ取り外し可能となった点です。
スターリングラードで“冬将軍”と戦う兵士たち。手前の兵士はM34略帽のフラップを下げて耳を凍傷から守っています。(撮影場所はグムラク飛行場でしょうか)
ドイツ軍の武器や被服の共通の傾向として、後期になるにつれ生産工数が省略されていく中、この略帽においてはかえって手間のかかる改良がなされている点がとても面白いです。
フラップを下げたところ。
※上記は某ショップで売られているモノを借用しております。
今回入手したM42のフラップを下げた写真を撮ろうとしたところ、フラップ自体が本体に糸で縫い付けられていて外せませんでした
糸を切ろうか迷いましたが、ひょっとしたらこれがオリジナルの状態かも??と考えるとどうしても出来ませんでした。。。)
比較のために、M34とM42の帽章をクローズアップしました。
M34(40年製と41年製)の帽章は、縫い付け位置が離れています。
一方で、M42略帽はボタンとの位置関係により、国家鷲章の真下に国家章(コカルデ)が縫い合わされてれています。また右側の写真のような一体化したT字型の帽章も存在しています。
改めてM34略帽とM42略帽の比較です。
M34略帽(40年製)
M34略帽(41年製)
M42略帽(42年製)
話はM34略帽に戻りますが、1935年に導入されたのにもかかわらずM35では無く、M34という名称になっているところがどうも腑に落ちませんでした。
ところがM42略帽についてあれこれ調べている時に、とあるフォーラムでのマニア同士のやり取りからようやく謎が解けました。
(原文そのまま)
The M34 cap was worn from November 1934. It had two buttons to the front and was worn with the cockade and soutache where you would normally expect the eagle to be. So this cap was very similar to the later M42 in appearance. In October 1935 the cap was modified. The buttons were eliminated and the soutache and cockade put in their place. The eagle was then added in the familiar place.
元々のM34略帽にはM42略帽に良く似て2つボタンが前面に付いていたが、1935年にボタンが省略され現在良く知られている形に変更されたとあります。ちなみに最初のモデルには国家鷲章は無く、国家章とソーターシェのみが取り付けられていたようですね。
M42略帽は導入後、1年足らずでバイザー付きM43規格帽(Einheitsfeldmütze M43)に置き換えられていきますが、ここでも面白いことが起きます。
下記の写真をご覧下さい。
(海外コレクターの写真を借用)
帽子本体とバイザーの色が違うことに気が付かれたでしょうか?
そう、この帽子は元々はM42略帽として作られ、その後バイザーが後付けされたものなんですね。M42略帽がベースになっている為、コレクターの間ではM42/43規格帽とも呼ばれてます。
M42/43とM43を見分ける方法は、本体とバイザーの色違い以外にも2つあります。
・通気孔の有無(純正M43には通気孔が無い)
・国家鷲章と国家章の形(M42/43はM42と同じ、M43は逆台形:trapazoidの帽章)
純正M43規格帽
(海外コレクターの写真を借用)
もちろん例外もあり、条件が当てはまるからと言って必ずしも○○と言えないのがドイツ軍装品の面白いところでもあります。
さて、M42からM43への“アップグレード”は少なからず行われたのと、1年足らずという生産期間の短さから無改良の42型はなかなか市場に出てくることがありませんでした。
以上長々と書きましたが、一般人から見たらどーでもイイことを、ちょこっとだけ言いたかったのかも。。。
フェルト製略帽を並べました。“布”系ヘッドギアは集めだすとキリが無いので、これ以上手を出すのはやめたいと思います。(たぶん)
特徴は折り返しのフラップが防寒用の耳あてとして使用できるよう前面にボタンが付けられ取り外し可能となった点です。
スターリングラードで“冬将軍”と戦う兵士たち。手前の兵士はM34略帽のフラップを下げて耳を凍傷から守っています。(撮影場所はグムラク飛行場でしょうか)
ドイツ軍の武器や被服の共通の傾向として、後期になるにつれ生産工数が省略されていく中、この略帽においてはかえって手間のかかる改良がなされている点がとても面白いです。
フラップを下げたところ。
※上記は某ショップで売られているモノを借用しております。
今回入手したM42のフラップを下げた写真を撮ろうとしたところ、フラップ自体が本体に糸で縫い付けられていて外せませんでした
糸を切ろうか迷いましたが、ひょっとしたらこれがオリジナルの状態かも??と考えるとどうしても出来ませんでした。。。)
比較のために、M34とM42の帽章をクローズアップしました。
M34(40年製と41年製)の帽章は、縫い付け位置が離れています。
一方で、M42略帽はボタンとの位置関係により、国家鷲章の真下に国家章(コカルデ)が縫い合わされてれています。また右側の写真のような一体化したT字型の帽章も存在しています。
改めてM34略帽とM42略帽の比較です。
M34略帽(40年製)
M34略帽(41年製)
M42略帽(42年製)
話はM34略帽に戻りますが、1935年に導入されたのにもかかわらずM35では無く、M34という名称になっているところがどうも腑に落ちませんでした。
ところがM42略帽についてあれこれ調べている時に、とあるフォーラムでのマニア同士のやり取りからようやく謎が解けました。
(原文そのまま)
The M34 cap was worn from November 1934. It had two buttons to the front and was worn with the cockade and soutache where you would normally expect the eagle to be. So this cap was very similar to the later M42 in appearance. In October 1935 the cap was modified. The buttons were eliminated and the soutache and cockade put in their place. The eagle was then added in the familiar place.
元々のM34略帽にはM42略帽に良く似て2つボタンが前面に付いていたが、1935年にボタンが省略され現在良く知られている形に変更されたとあります。ちなみに最初のモデルには国家鷲章は無く、国家章とソーターシェのみが取り付けられていたようですね。
M42略帽は導入後、1年足らずでバイザー付きM43規格帽(Einheitsfeldmütze M43)に置き換えられていきますが、ここでも面白いことが起きます。
下記の写真をご覧下さい。
(海外コレクターの写真を借用)
帽子本体とバイザーの色が違うことに気が付かれたでしょうか?
そう、この帽子は元々はM42略帽として作られ、その後バイザーが後付けされたものなんですね。M42略帽がベースになっている為、コレクターの間ではM42/43規格帽とも呼ばれてます。
M42/43とM43を見分ける方法は、本体とバイザーの色違い以外にも2つあります。
・通気孔の有無(純正M43には通気孔が無い)
・国家鷲章と国家章の形(M42/43はM42と同じ、M43は逆台形:trapazoidの帽章)
純正M43規格帽
(海外コレクターの写真を借用)
もちろん例外もあり、条件が当てはまるからと言って必ずしも○○と言えないのがドイツ軍装品の面白いところでもあります。
さて、M42からM43への“アップグレード”は少なからず行われたのと、1年足らずという生産期間の短さから無改良の42型はなかなか市場に出てくることがありませんでした。
以上長々と書きましたが、一般人から見たらどーでもイイことを、ちょこっとだけ言いたかったのかも。。。
フェルト製略帽を並べました。“布”系ヘッドギアは集めだすとキリが無いので、これ以上手を出すのはやめたいと思います。(たぶん)
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この記事へのコメント
冬野ソナタさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
M38は将校・下士官向けの略帽という認識です。デザインはM34と同一で指揮官をあらわすシルバーパイピングが目印です。
http://www.germanmilitaria.com/Heer/photos/H006061.html
M40はSS向けに採用された略帽で、空軍のものに良く似た形をしております。
http://www.germanmilitaria.com/WaffenSS/photos/S001856.html
などなど、えらそうに書いていますが、ほとんどがSTEINERさん他大先輩の受け売りです。
たま~に勘違いしていることもあるので、その際はご指摘下さい。
同年代のよしみで、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
M38は将校・下士官向けの略帽という認識です。デザインはM34と同一で指揮官をあらわすシルバーパイピングが目印です。
http://www.germanmilitaria.com/Heer/photos/H006061.html
M40はSS向けに採用された略帽で、空軍のものに良く似た形をしております。
http://www.germanmilitaria.com/WaffenSS/photos/S001856.html
などなど、えらそうに書いていますが、ほとんどがSTEINERさん他大先輩の受け売りです。
たま~に勘違いしていることもあるので、その際はご指摘下さい。
同年代のよしみで、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
こんばんは、突然失礼いたします!
自分もドイツ軍が好きで軍装品(といってもレプリカですが)を買ったりし、サバイバルゲームやヒストリカルゲームなどをしています。
今回のM42略帽の記事はとても関心をひきました。
特にM42改造のM43規格帽の話、言われてみればそうかもしれませんね。
自分も知識は浅いのでもっともっと調べてみたいと思っています。
また、M34略帽についても1935年制定だとは知っていましたし、「あれ?どうしてM35じゃないんだ?」とは感じていましたが、「まぁドイツ軍だから仕方ないか(笑)」と軽く流していました。今回のエーデルマンさんのこの記事で、正式採用は1934年、ただし一般的に我々が知っている形になるのは1935年11月以降のタイプから、と知って衝撃的でした(笑)
ここで疑問なのは、何故ボタンを取ってしまったのかです。自分は単純に国家鷲章を付けるためだと思いましたが、全く別に理由があるんでしょうか。
あと、一番最後の兵士の写真、本来の形であるM34略帽ですよね?(笑)
更に野戦服も一見するとM40に見えますが、よくよく見るとM33ではないしょうか?襟章も最初期のものに見えます。M33は殆ど見たことがなく、M34もシュタイナー氏のHPしか見たことがないので貴重な写真を拝見できてとても嬉しいです♪
自分もドイツ軍が好きで軍装品(といってもレプリカですが)を買ったりし、サバイバルゲームやヒストリカルゲームなどをしています。
今回のM42略帽の記事はとても関心をひきました。
特にM42改造のM43規格帽の話、言われてみればそうかもしれませんね。
自分も知識は浅いのでもっともっと調べてみたいと思っています。
また、M34略帽についても1935年制定だとは知っていましたし、「あれ?どうしてM35じゃないんだ?」とは感じていましたが、「まぁドイツ軍だから仕方ないか(笑)」と軽く流していました。今回のエーデルマンさんのこの記事で、正式採用は1934年、ただし一般的に我々が知っている形になるのは1935年11月以降のタイプから、と知って衝撃的でした(笑)
ここで疑問なのは、何故ボタンを取ってしまったのかです。自分は単純に国家鷲章を付けるためだと思いましたが、全く別に理由があるんでしょうか。
あと、一番最後の兵士の写真、本来の形であるM34略帽ですよね?(笑)
更に野戦服も一見するとM40に見えますが、よくよく見るとM33ではないしょうか?襟章も最初期のものに見えます。M33は殆ど見たことがなく、M34もシュタイナー氏のHPしか見たことがないので貴重な写真を拝見できてとても嬉しいです♪
dokuroさん
こんばんは!お返事遅くなってしまいました。コメントありがとうございます。
> 今回のM42略帽の記事はとても関心をひきました。
> 特にM42改造のM43規格帽の話、言われてみればそうかもしれませんね。
> 自分も知識は浅いのでもっともっと調べてみたいと思っています。
私もほとんど受け売りです。ドイツ語が苦手なので1次資料(写真やREIBERTなど)の研究は他人まかせです(笑)
> また、M34略帽についても1935年制定だとは知っていましたし、「あれ?どうしてM35じゃないんだ?」とは感じていましたが、「まぁドイツ軍だから仕方ないか(笑)」と軽く流していました。今回のエーデルマンさんのこの記事で、正式採用は1934年、ただし一般的に我々が知っている形になるのは1935年11月以降のタイプから、と知って衝撃的でした(笑)
M34など「~年型」という名称の多くは、後年コレクターによって分類上つけられたものが多いようです。本当のM34実物が多く残されていたら、M35という分類があったのかも知れませんね。
> ここで疑問なのは、何故ボタンを取ってしまったのかです。自分は単純に国家鷲章を付けるためだと思いましたが、全く別に理由があるんでしょうか。
そうですね。肝心なのは「そのボタンはどんな役目を担っていたのか?」だと思います。ドイツ軍の装備の多くは戦争の進行と共に生産効率を高める工夫があらゆる所にみられます。省略されたということは、M42のボタンとは違って単なる飾りだったのかも知れません。
> あと、一番最後の兵士の写真、本来の形であるM34略帽ですよね?(笑)
> 更に野戦服も一見するとM40に見えますが、よくよく見るとM33ではないしょうか?襟章も最初期のものに見えます。M33は殆ど見たことがなく、M34もシュタイナー氏のHPしか見たことがないので貴重な写真を拝見できてとても嬉しいです♪
わお!自分は完全にM42だと思っていました(笑)そう言われてみれば野戦服もM33に見えますね。、もしご指摘の通りだとすればすごい貴重な写真ですね!dokuroさんの鑑識眼には驚きました。
ここ数ヶ月は海外への移住もあり更新が滞っておりましたが、ボチボチ再開するつもりです。ぜひ又のご訪問をお願いいたします。
こんばんは!お返事遅くなってしまいました。コメントありがとうございます。
> 今回のM42略帽の記事はとても関心をひきました。
> 特にM42改造のM43規格帽の話、言われてみればそうかもしれませんね。
> 自分も知識は浅いのでもっともっと調べてみたいと思っています。
私もほとんど受け売りです。ドイツ語が苦手なので1次資料(写真やREIBERTなど)の研究は他人まかせです(笑)
> また、M34略帽についても1935年制定だとは知っていましたし、「あれ?どうしてM35じゃないんだ?」とは感じていましたが、「まぁドイツ軍だから仕方ないか(笑)」と軽く流していました。今回のエーデルマンさんのこの記事で、正式採用は1934年、ただし一般的に我々が知っている形になるのは1935年11月以降のタイプから、と知って衝撃的でした(笑)
M34など「~年型」という名称の多くは、後年コレクターによって分類上つけられたものが多いようです。本当のM34実物が多く残されていたら、M35という分類があったのかも知れませんね。
> ここで疑問なのは、何故ボタンを取ってしまったのかです。自分は単純に国家鷲章を付けるためだと思いましたが、全く別に理由があるんでしょうか。
そうですね。肝心なのは「そのボタンはどんな役目を担っていたのか?」だと思います。ドイツ軍の装備の多くは戦争の進行と共に生産効率を高める工夫があらゆる所にみられます。省略されたということは、M42のボタンとは違って単なる飾りだったのかも知れません。
> あと、一番最後の兵士の写真、本来の形であるM34略帽ですよね?(笑)
> 更に野戦服も一見するとM40に見えますが、よくよく見るとM33ではないしょうか?襟章も最初期のものに見えます。M33は殆ど見たことがなく、M34もシュタイナー氏のHPしか見たことがないので貴重な写真を拝見できてとても嬉しいです♪
わお!自分は完全にM42だと思っていました(笑)そう言われてみれば野戦服もM33に見えますね。、もしご指摘の通りだとすればすごい貴重な写真ですね!dokuroさんの鑑識眼には驚きました。
ここ数ヶ月は海外への移住もあり更新が滞っておりましたが、ボチボチ再開するつもりです。ぜひ又のご訪問をお願いいたします。
いつも楽しく見させていただいております。
こんな古い記事に今さらの書き込みで申し訳ないですが、
前から思っていたことを少し。
この回の特集であるM42帽
記事を読んでから無性にはまり、
レプリカを購入するに至りました。
そこで実際着てみて思ったのですが、この記事のフラップは糸で縫い付けてあるとのことですが、それがオリジナル状態だと思います。
この帽子はM43のようにつばがありません。そしてそれはフラップが勝手に下がってしまうことにつながります。
制服のポケットからさっと出した時などいかにもフラップが引っかかってくれそうで、それを避けるために前所有者であろう兵士が戦場で縫い付けたものではないでしょうか?
もし既にそちらで解決済み内容でしたらすいません^^;
こんな古い記事に今さらの書き込みで申し訳ないですが、
前から思っていたことを少し。
この回の特集であるM42帽
記事を読んでから無性にはまり、
レプリカを購入するに至りました。
そこで実際着てみて思ったのですが、この記事のフラップは糸で縫い付けてあるとのことですが、それがオリジナル状態だと思います。
この帽子はM43のようにつばがありません。そしてそれはフラップが勝手に下がってしまうことにつながります。
制服のポケットからさっと出した時などいかにもフラップが引っかかってくれそうで、それを避けるために前所有者であろう兵士が戦場で縫い付けたものではないでしょうか?
もし既にそちらで解決済み内容でしたらすいません^^;
ルドルフさん
ご覧いただきありがとうございます。
古い記事でもご意見・ご感想(もしくは間違いの指摘)をいただけるのはいつでも大歓迎です。
さてフラップの糸ですが、裏地を貫通しており明らかに工場での縫われたものではないですね。
ドイツ軍の被服の場合、裏地を貫通させて縫製することはあまり一般的ではないので・・・
ご指摘の通りフラップが装備に引っかからないようにする、あるいは風ではためくのを防止する目的で兵士が自分で縫ったという理解で良いかと思います。
一方でM34略帽の方はソータッシェの上部辺と本体を糸で縫いつけています。
こちらは多くのM34略帽に共通する縫製で、やはり裏地にも貫通していないことから工場での縫製と考えられます。
M34略帽の際は工場で行われていたフラップの本体への縫い付けがM42略帽でなくなったというのはやはりフラップを防寒用の耳あてとして使うことを前提にしているからでしょう。
いやー縫製一つとってもなかなか奥が深いですね。ぜひ、またのお越しをお待ちしております。
ご覧いただきありがとうございます。
古い記事でもご意見・ご感想(もしくは間違いの指摘)をいただけるのはいつでも大歓迎です。
さてフラップの糸ですが、裏地を貫通しており明らかに工場での縫われたものではないですね。
ドイツ軍の被服の場合、裏地を貫通させて縫製することはあまり一般的ではないので・・・
ご指摘の通りフラップが装備に引っかからないようにする、あるいは風ではためくのを防止する目的で兵士が自分で縫ったという理解で良いかと思います。
一方でM34略帽の方はソータッシェの上部辺と本体を糸で縫いつけています。
こちらは多くのM34略帽に共通する縫製で、やはり裏地にも貫通していないことから工場での縫製と考えられます。
M34略帽の際は工場で行われていたフラップの本体への縫い付けがM42略帽でなくなったというのはやはりフラップを防寒用の耳あてとして使うことを前提にしているからでしょう。
いやー縫製一つとってもなかなか奥が深いですね。ぜひ、またのお越しをお待ちしております。
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URL :
はじめまして - 冬野ソナタ - 2010年12月25日 00:18:21
寡聞にして浅学なのでお尋ねしたいのですが
M38、M40という帽子を存じません。
資料があれば、ご教授下さい。
初書き込みが質問で失礼とは存じますが
同年代のかたとのこと、よろしくお願い致します。